甘い水/20130514



僕は黒子テツヤという人間が嫌いだった。
否、一概に嫌いとも言い切れない筈だったのが、苦手意識や関わりたくないという思いが段々と、そう、両手で持ち上げた砂粒が指の隙間からぱらぱらと零れ、静かに降り積もっていくがごとく募り、無意識に彼との間に薄い膜を張ることで直視するのを避けてきた。勿論、部をまとめ、指針となる自分の立場を忘れた訳じゃあない。それはもはやただの中学生の部活動という範疇を軽々と越え、日々の生活について回る程、僕の人生という曖昧模糊としたものに確実に根づいていた。
世の中の中学生など、遊びと部活動、これだけで形成されているのだろうから何も特筆すべきことではないのでは、などと反論が飛んでこようことは百も承知だ。そうだ、概ねそれは正しい。ただしその一般論にこの僕を収めることは、些か不躾で、浅慮と言う他ない。曲者揃いの我が帝光中学の理念はただひとつ、全戦全勝。実にシンプルな文言だろう。勝てばよい、そう言っているだけなのだから。「勝ち」に慣れすぎ、それが当たり前だと、勝敗に対する価値観が麻痺している人間は校内外問わずいくらでもいることだろうが、まさか主将たる僕までもがそのぬるま湯に浸っている訳にもいかない。長年の間保ってきた王者としてのプライド、ブランド、それを僕の代で地に落とすことなど絶対にあってはならない。僕に降りかかる責任というものは、いかに絶大であるか。
よって、僕は勝利のためならどんな駒だって使ってみせる。バスケットはある意味知能戦でもあり、あの手この手でゲームを組み立てていく部分は将棋にも似ている。好き嫌いの問題で起用する人間を選ぶのは、実にくだらないし非合理的だ。だから僕は何度も試合に彼を投入した。負けたことは一度としてない。
僕らが引退するまでそんな関係(ただしかなり一方的であろうことは自覚している)は漫然とつづいていくのだろうと思ったが、そうはならなかった。突然の退部届に僅かに心臓が止まりかけた。正直危なかった、あのときは。だって、僕はてっきり、彼はバスケットをすることでしか、広いようで狭いコートの中でしか呼吸のできない人間だと思っていたのだ。なんの才能もないくせに、純粋にバスケットというスポーツを愛しているのだと思っていたのだ。彼の最後の言葉はこうだった。「さようなら赤司君」。そのまま、気がついたら僕らは中学を卒業していた。
次に会ったとき、彼には既に新しいチームメイトがいた。いつの間にか死んだ魚のような目でプレイするようになっていたのに、久しぶりに見た彼は水を得た魚のように活き活きとコート上を走り回っていた。まるで僕に、僕らに見せつけでもするかのように。それを視界に収めた瞬間、彼も彼が得たチームメイトも何もかもまとめて踏み躙ってやろうと決めた。なんならその居場所すらも奪ってしまうつもりでいた。何さまのつもりで僕らを拒んだのか知らないが、面白くないものは面白くないのだ、仕方がない。
(あのとき本当は、「君では駄目だ」、そう言いたかったんじゃないのか?)。君とではたのしくない。君とでは息ができない。君とでは、僕は潰れてしまうから。「さようなら、あかしくん」。
やはり僕は、黒子テツヤという人間が嫌いだ。
(きみのすべてが嫌いだからきみの好きなものも嫌い、だけど本当は好きだからきみの好きなものが気に入らないだけ)


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