や が て 流 れ 去 る よ す が |
なんて夢をみてしまったのだろうか、と、思う。右半身に感じる固い感触に眉をしかめ、黒子はのそりと起き上がった。制服のシャツがべったりと肌に張りついて気持ちが悪い。首筋に垂れた汗を黒子は乱暴に拭った。 「あれ、黒子っち起きたの?」 黄瀬君、という言葉はまともに声にならなかった。何をしていた訳でもないのに黒子の喉からは醜くしゃがれた声が出て、何度か咳払いをすることで漸く黄瀬の名を呼ぶことができた程だ。 「こんなとこで寝てるからっスよ。はい、どうぞ」 呆れた顔をして差し出されたミネラルウォーターを見て、黄瀬の気のききように驚く。彼のことだから、大方青白い顔でベンチに突っ伏している黒子が目を覚ます前に、飲みもののひとつでも用意しておこうと思ったのだろう。実際、気分の悪いときに冷たい飲料はとてもありがたかった。 「ありがとうございます……君はいつからここに?」 「さっきっスよ。倒れ込むように寝てるから、何ごとかと思ったっス。もうすぐ昼休み終わっちゃうよ」 黒子が寝ていたのは中庭の隅に申し訳程度に置かれた白いベンチだった。昼食をとった後、天気がいいからとふらふら外へ出て、そのままベンチへ寝そべったところまでは覚えている。こんな気まぐれ、起こさない方が余程よかった。自分の取った行動が忌々しい。 「……黒子っち、顔、真っ青っス。大丈夫?」 心配そうに黄瀬の手が伸びる。何か考えるより先に、黒子はその身を引いてしまった。まるで黄瀬に触れられたくないとするように。あ、とか細く息を漏らした後、慌てて黒子は寝汗をかいて汚いからとつづけたが、なんだか自分でも酷く言い訳じみていると思った。 「黄瀬君、……僕は……僕はね……」 「うん?」 黒子の指先に宿る熱をどんどん奪っていくのは、握り締めたペットボトルから伝わる冷たさだろうか。現実的な感覚が少しずつ失せていくような気がする。そうして同時に、心まで凍りついていくようだ。吐き気がおさまる気配はない。 「君の意思を尊重したいとは、思うんです。でも、」 「黒子っち?」 「人生に、百はないんですよね」 別々のチームでプレイする姿。知らないユニフォーム。異なる背番号。見たことのない顔で見たことのないチームメイトと笑う、彼。ただの夢がおそろしい程鮮明に、目蓋の裏に浮かんでは消えていく。 (僕はいつまで、君といられるんだろう) それがいつか現実となる日がくるなら、あとどれくらいの時間が残されているのか。黄瀬がその気になればおそらく黒子などあっという間においていかれるだろう。中学時代を思い起こして、あの頃は、なんて過去の記憶のひとつとして語られる日がくるかもしれない。過去の産物として、彼の中で片づけられてしまう日がくるかもしれない。 「すみません、黄瀬君。忘れてください。ただの世迷い言でした」 「えっ? ちょ、黒子っち」 「予鈴が鳴りましたよ。ほら、早く戻らないと」 じっとこちらを見つめる曇りのない目に耐えられず、黒子は遠く聞こえてきた予鈴を理由に立ち上がる。あっやべ! と慌てた黄瀬の一歩後に、やっと黒子も歩き出した。 「ねえ、何ゆっくりしてるんスか! ほら急いで急いで!」 振り向いて急かす黄瀬の顔がうまく見られない。差し出された手を拒んだときの、黄瀬の傷ついたような一瞬の表情が頭から離れない。 確かに自分で選んだと思っていたものでも、実際はそうではないのだろう。何か見えないものによって選ばされているにすぎないのだ。黄瀬も、黒子も、誰も彼も。だから結局なるようにしかならなくて、そこに誰かの意思が絡んだとしても行き先は決まってしまっている。だとすればそのときを大人しく待つことしか、黒子にはできない。 |