幸福の色は金色
黄瀬君が誠凛にきたとき、僕は君に向かって久しぶりと言ったけれどそれは単なる形式上で、本当はそうは思わなかった。何故って多分、君が表紙を飾る雑誌をつい先日も見かけたばかりだからだと思う。 書店に数多く並ぶ雑誌の中ですぐに君を見つけてしまった僕は、そのまま手に取ることはせずに女子高生の集団が君を奪っていくまでじっと眺めていた。 紙の中の黄瀬君は、僕が知るそれよりずっと綺麗な笑い方をするのだな、とふと思う。 中学の、それこそバスケ部に入る前からそういう写真を撮られる仕事はしていたようだけれど、あの頃はいつも体育館で会っている人を改めて紙面で見てみようという気にはならなかった。君も君で、わざわざ自分が載った雑誌を持ってくることはなかったし、それどころかバスケ部の面々に見られることをどこか気恥ずかしいと思っているようだったから、余計に。 かしましい声を上げながら女の子たちは黄瀬君をレジまで持っていく。格好いいとかイケメンとか、それらしい言葉をいくつも並べて君を評価する。そう、確かにモデルの仕事をしている君は格好いい。僕だってそう思う。 「くーろこっち」 いつもどおり練習を終わらせ、広い体育館の床にモップをかけているところに黄瀬君は現れた。彼も同じく部活帰りなのだろう、着替えるのが面倒くさかったのか制服ではなく海常のウェアを着ている。前もっての連絡はなく、本当に突然現れたという表現が正しかったので僕も少なからず驚いた。彼と会うのはこの前の海常高校で行った練習試合ぶりだ。 「誠凛までくるなんて、どうしたんですか?」 「急にごめんね? 黒子っちとバスケしたくてきちゃったっス。相手してくんないスか?」 「そう言われましても……」 体育館の外に繋がる扉からにこにことした顔を出したまま、黄瀬君はバスケットボールを手のひらでくるりと回転させる。どうやらボールも持参したらしい。 「……わかりました。ちょっと待っててください」 「了解っス!」 折角ここまで足を運んでくれたのだから、無碍に帰す訳にもいかない。了承するとボールを持っていたのとは反対の手をひらりと翳し、彼は薄暗い闇に溶け込んでいった。 「あいつ、何しにきたって?」 「バスケのお誘いです」 「はあ。好かれてんなあ、お前」 返答に困ることを言いながら、火神君はがらがらとボールの入った籠を押していく。寝ても覚めてもバスケ一辺倒なのが火神君なのに、どうやら今回彼は僕たちに混ざる気はないらしい。 残りのモップがけを終えた後、どことなく複雑そうな顔をした監督にお願いして鍵を貸してもらった。あまり遅くならないようにと釘を刺されたけれど、それは正直黄瀬君に委ねられている、と思う。わざわざこちらまで赴いたくらいだから、バスケット以外にも何か目的があるのかもしれないと思ったのだ。 「黄瀬君、お待たせしました」 体育館に残ったのが僕だけになると、開け放したままの扉から黄瀬君に呼びかけた。彼は身体の周りをぐるぐるとボールを回して暇を潰しているところで、相変わらず憎たらしくなるくらい滑らかなハンドリングだった。彼は指の先に至るまで器用にボールを操る。 「ん、ほっと」 最後に頭上に放り投げたボールを背後でキャッチすると、地面に放り投げたバッグを掴み、律儀にお邪魔しますと言って体育館に足を踏み入れた。 「やー、前も思ったけどやっぱ綺麗っすね。羨ましい」 「綺麗でもぼろくても、バスケができれば文句はありませんよ。コートがあれば十分です」 「ま、そうなんスけど」 黄瀬君はひととおり体育館内を見渡すと、がばりと上着を脱ぎ捨てる。 「……なんで僕なんです?」 「なんでって?」 「海常にはいい選手が沢山そろっているじゃないですか。海常じゃなくても、うちには火神君とか、僕以外にもいくらだって……」 バッシュを履き、そのまま軽いストレッチをはじめる黄瀬君に、僕は気になっていたことを尋ねた。そう、どうして僕なんかと。ワンオンワンをやるにしても、黄瀬君の相手は僕ではもの足りないに決まっている。 「オレは黒子っちがいいんスよ。いーじゃないっスか、中学んときを懐かしんだって」 「それはそうですが……」 それならそれで、他にも、選択肢はあるではないか。そう思ったけれど、最後にぐっと伸びをして黄瀬君はボールを突き出してしまったので、それ以上の詮索はできなかった。彼が僕相手にワンオンワンを誘ってきたことなんて数える程度しか覚えがないのに。 ドリブルを数回、そして放物線を描いて僕へと放られるボール。ゴール目がけて走り込む黄瀬君へパスを出せば、次の瞬間派手な音を立ててリングが揺れて、吸い込まれたボールが滑り降りてくる。それがはじまりの合図となった。 黄瀬君は、僕がバスケットという競技において手を抜かれるのを嫌がるということを知っている。僕のお粗末なディフェンスも遠慮なく抜かれては遠慮なくゴールを決められるし、攻守交代しても遠慮なくすぐにボールを奪われる。実力差は明らかだというのにそれでも黄瀬君は終始たのしそうで、それは世間で評価されているよそ行きの笑顔なんてものより、ずっとずっと本物だった。 何本目になるか知れないボールがネットをすり抜けて落ちたとき、やっと黄瀬君は動きを止めて一息吐く。 「はー、ちょっと休憩いっスか?」 まったくもって疲れているようには見えないけれど、黄瀬君はそう言って冷たい床に腰を下ろした。おそらく僕のための休憩だろう。汗が吹き出し流れ落ちてくる僕とは対照的に、彼は涼しい顔をしている。そんな黄瀬君の隣にしゃがみ込み、忙しなく脈打つ心臓が静まってきたところで、漸く僕は口を開くことができた。 「……黄瀬君はこんなとこ、って言いましたけど、僕は誠凛にきて、よかったと思ってます」 「……いきなり、どしたんスか?」 「誠凛の皆は本当にバスケが好きで、そんな皆と一緒にバスケができて、すごくたのしいんです」 僅かに見上げる黄瀬君は何か言いたそうに唇をもごもごと動かすけれど、言葉が見当たらないのか結局そのまま閉ざしてしまう。 バスケットが好きだと心から言えなくなったとき、いっそこのままやめてしまおうかと考えたりもした。つらいだけのバスケなら、もうやめた方がましだって、何度も。それでも今ここで僕がバスケットをしているのは、喜びを知っているからだ。自分が信じるやり方で、たのしんでプレイして勝てたとき、その喜びは何よりも勝るものだと知ってしまっているから、僕は手放すことができなかった。 「黄瀬君だって、そうでしょう?」 僕を怪訝そうに見ていた視線が、ふと逸れる。 「……黒子っち、オレね。正直、誠凛なんかに負ける訳ないって思ってたんスよ」 黄瀬君は転がっていたボールを拾い上げ、長い指で手持ち無沙汰気味に弄り回す。眉間に寄った皺は、そのときのことでも思い起こしているのだろうか。 「でも負けた」 それは僕らしかいない広い体育館に響くことはなく、ともすれば溶けて消えてしまいそうな声音だった。黄瀬君のこんな声を聞くのは、もしかしたらはじめてかもしれない。 「生まれてはじめての敗北っスよ、先輩には負けたことないって方がなめてんだよって怒られたけど、……あんなに悔しいものなんスね」 「……そうですか」 「うん。あんまり悔しくて、モデルの仕事も休んで、毎日遅くまで、死にもの狂いで練習して。オレってちゃんと本気になれんじゃん、って思って……そしたらなんか、無性に黒子っちに会いたくなったんス」 ゆっくりと立ち上がって僕にボールを投げ渡した黄瀬君は、それまでの硬い表情を解いてやんわりと頬を緩めた。 「今のオレを、見てもらいたくなったのかも」 昔からどこにいても観衆の視線を集めてしまうのは変わりないけれど、暫く見ないうちに中学の頃よりずっとバスケットがうまくなって、ずっと真摯にそれと向き合い出した黄瀬君は、やはりコート上にいるときが一番格好いいのだと思う。そしてそこにはバスケットというスポーツを通してでしか見られない彼の顔というものがある。ひた向きに努力して、よろこんだり、かなしんだり、悔しがったりする顔。 「……また、いつでもやりましょうね」 「約束っスよ!」 紙面を飾る黄瀬君のつくりものめいた綺麗な笑顔よりも、そうやって無邪気に笑っている顔が、僕は何よりも好きだった。 2013/05/22
1・2巻を眺めながら海常から誠凛までふらっとこれる距離なんだろうかと…… |