愛がかなうこと、愛がかなう、その日を





「おつかれ」
「……なんだ、いたの。趣味悪いわね」
疲れたような眼をして病室から出てきた彼女が発したのは、そんな一言だった。お世辞にも元気とは言い難いその理由をオレは知っている。
扉に身体を預けていたオレを彼女はちらりとオレを一瞥しただけで、その視線はすぐに離れてしまう。歩き出した彼女を追いながら尋ねる。何気ないふりを装い。人気のない廊下で、それはよく反響した。
「アレンのこと心配するのもいいけどさあ、お前はどうなん?」
「何が?」
尚も惚けようとする彼女の腕を、多少申し訳ないと思いつつ捻り上げれば、激しい痛みのためか片目を瞑り短く喘いだ。隠そうとしても負の感情はなんとなく読めてしまうものだ。空気とか、状況とかで。そしてその読みは当たった。
「お前も怪我してんだろ? アレンのこと構ってる余裕なんかねえよ。腕と、腹? は、ふたりして仲よくおんなじとこ」
「……ったいから、離してよ」
ぱ、と掴んでいた手を広げれば、彼女はすぐさま手を引っ込める。顔は苦痛と、オレの皮肉的な喋り方に嫌悪しているのか、酷く歪んでいた。それをつくったのがオレと、もうひとりのエクソシスト。オレの場合は意図してやったことだが。
「強がり」
「誰が」
「お節介」
「……だから、誰が」
「お前だよ、リナリー」
オレに背を向け前を行く彼女の細い首に、オレは後ろから腕を巻きつけ引き寄せる。一瞬の内に。もしかしたら首にも傷があるかもしれなかったが、それはあまり関係ない。
ただ彼女は黙っている、オレは離す気もないし逃げられないように力を込めている、というのが彼女にも伝わっているのだろう。それも空気とか、状況とかで。懸命な判断だ。
「アレンが戦闘不能になりゃ、お前がその後の一切を背負うしかない。ああ、頑張ったなとか言うつもり、全然ないから」
意図して冷徹さを強める。自分の中の、一番冷たい部分。きっと彼女はあまり知らなかっただろうオレの一部。けれど彼女も十分に敵意剥き出しの態度だった。
「……それはありがとう。むしろ言われたくなんてないわ。あなたなんかには」
「そうだな、言われて喜ばれちゃ、こっちも不愉快だ。んで? お前出歩いていいの?」
「……本当は駄目だけど。気になったんだもん、しょうがないでしょ」
馬鹿じゃないのか、と本気で思った。どこまでお節介を焼くつもりなのだ。多分彼女は、どれだけ否定されようが拒絶されようがそれをやめることは決してないのだろう、それがわかるからこんなにも苛つく。他人なんかよりまず先に自分を顧みろと、怒鳴りつけてやりたいくらいだった。
「私がつけた傷よ。私が、負わせたの。あの怪我は」
「それでもあいつはお前を拒否した。お前のあり方を、否定したよ。言葉にしていなくても。まさかわからなかった訳じゃねえだろ」
「わかってるわ、それくらい。でもこうしないと、私の気が済まないの。……自己中心的な考えだけど」
―――訂正、彼女は本当の馬鹿らしい。ここまでだとは、さすがのオレも知らなかった。彼女があの白いエクソシストの本質も知らず、いや、多少なりと知っているのだろうが、まだ重大な事実に気づいていないのが可哀想になった。つまりこれはオレなりの情けだと捉えてもらっていい。彼女が信じるかどうかは別として。
「いいこと教えてやろうか」
「別に、いらない」
そんな彼女の言葉は無視する。
「お前やオレが持っているものを、あいつも持ち合わせているとは限らない」
「……どういうこと」
「痛い目見るのはお前ってことだよ」
何か思い当たる節があるのか、彼女は黙り込んでしまう。相変わらず前を見ているので彼女がどんな表情をしているのかなどオレには予想するのみだったが、大体どんな顔をしているのかくらいわかる。
「そんなこと教えて、どうするのよ」
「別に? ただお前が不憫に思えて」
「お節介は……あなたじゃないの」
なんとでも言えばいいさ。オレも好きなようにする。させてもらう。
「これ以上あいつに近づくのはやめろ。あいつはお前とは違う。オレとも違う。いいな、これが最後の忠告さ」
彼女は僅か十五の少年に巣くう闇を知らない。それは上辺のみを見ていたってどうにかなることではなく、ましてわかった気でいることなど自殺行為もいいところである。彼女が理解できなくてオレにそれが理解できるのは、多くの地を回り多くの人間をこの眼で見て触れたからだ。だからわかる。このままでは彼女は潰される。これは決して大袈裟な表現ではない。何度だって言おう、彼女は潰される。
―――何故?」
「……は?」
「何故そんなことが言い切れるの。何故彼が私たちと違うと言えるの。あなたは彼の何を知っているの? 何も知らないのに勝手なことを言うのはやめて。反吐が出る」
「っ、……おいおい、それはこっちの台詞さ。じゃあ訊こう、お前はあいつの何を知ってる?」
「何も。……って言ったら、怒る?」
「……呆れる」
「そうね。だけど私だって何も知らないまま、彼のそばにいる訳じゃあないのよ。知らないことの方が圧倒的に多いかもしれないけど」
「そうさ、あいつは寡黙に、怜悧に、本質を隠している。あいつの心底にはアクマと養父のことしかないんだ。お前が割り込む余地はない」
「一概には、そう言い切れないんじゃないかしら」
彼女の言葉に耳を疑う。
―――どんだけだよ……っ。なんでそう、あいつに入り込めるんだ! 最終的に傷つくのはお前じゃねえか! あいつに触れようとする度、お前は、あいつの、……っ」
「ラビ」
そこで今日初めて、彼女はオレの名を呼ぶ。番号四十九、オレの、名前を。
「あなたは忘れている。彼は、……私の、私たちの、仲間よ」
「リナリ、」
「多分、それは彼も知ってる。だから、大丈夫よ。大丈夫なの。まだ入り込める余地は、あると思う。だから私……頑張ってみるつもりよ」
そう言って、彼女はくるりと向き直った。その顔は苦悩に塗れていると思いきや、どうしてかにこりと笑んでいて。そのか細い手をオレの首に回し、強く、強い、抱擁。
「ありがとう、心配してくれて。私なら平気、傷ならいつか癒える。ありがとう」
「……ばっ……かじゃねーの……心配なんて、してねーし……」
「うん、けど、ありがと」
ぱっと身を翻し、彼女はオレの腕からいとも簡単に逃れる。追いかける気には、今度はとてもじゃないがなれなかった。数歩行ったところで、彼女は突如思い出したように振り向き、こう言ったのだ。
「勿論、あなただって私たちの仲間なんだからね、ラビ」
「……ばーか」
彼女に聞こえないよう、そう呟くのがやっとで。





080101/He's...
Happy New Year! 君にもしあわせを分けてあげよう。



















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