神リナおめでとうそしてありがとう











顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた少女の顔が更に暗くなる。涙で張りついた髪の毛をどうにかしてやろうと力を込めるがどうしたって腕は浮き上がらなかった。いらないと言ったのにわざわざ麻酔までされてしまったからだ。そんな俺に不幸な境遇だとか看護婦が小声で言う。その意味を問おうと思ってもすぐにどこかへ行ってしまったが、それを聞いて少女は完全に俯いてしまう。
不幸? 不幸ってなんだ? こっちの言語が不自由だった訳ではない。脳内ではunhappinessイコール不幸、ときっちり結ばれていた。
「おいリナリー」
小さな手で目を覆う少女に呼びかける。
「不幸ってなんのことだ?」
嗚咽をなんとか押し殺しながら少女は声を発した。
「私たちが不幸だって言ってるんだよ。私こっちにきてからよく聞くもん。まだ子供なのに可哀想とか、運が悪かったとか。でも皆最後には笑ってこう言うの。『諦めろ』」
「なんでだよ。なんで俺たちがそんなこと言われなきゃならないんだ」
決まってるでしょ。目蓋の腫れた赤い目で俺の折れていた右腕をじっと見詰める。
「神の使徒なんて言われるけど、望んでなったんじゃないからだよ」
「俺は望んだ」
そう言えば少女は無理矢理笑みをつくり「じゃあ不幸じゃないんだね」と言う。少女に不幸を問う前と問うた後で何か変わったかと言えば、俺の疑問が解消されたことではなくて少女が一層悲壮感を増したことだ。俺の曖昧で疑問にすらならないような疑問は更に膨れる。
「なあ」
腕は動かない。すぐに骨は治るからとよくよく言ったにも関わらず、まさか言葉が通じていなかった訳ではなかろうが放っておけば無茶なことでもしでかすと踏んだのか医者はご丁寧に麻酔をかけていった。まさかそんな使い方をするとは。暫く安静にと言われても動かせないのならそうするしかないだろう。
「なんで泣いてるんだ」
びくりと小さく少女は肩を震わせる。
「……神田は、哀しくないの。つらく、ないの」
「全然」
どこか思い詰めたような問いだったのに俺は素っ気なさすぎたと思うが今更手遅れだ。少女はぎゅうと両手を握り締める。口には出さないがもしかしたら俺を殴りそうになるのをどうにか堪えているのかもしれない。
「だって神田、人が、死んだんだよ……涙は、出るよ」
少女が誰を指したのかはすぐに思い至った。少女と俺と探索部隊の男ひとりで出発したが帰る頃にはふたりに減っていた。アクマとの交戦中に巻き込まれたのだ。子供の非力な手では大の大人など運べやしないし、ぐずる少女をなんとか引っ張って帰ってきたはいいがそれ以来こんな調子だった。俺が医務室で治療を受けている間も隣で。
「神田は、哀しくないの」
「お前は」
先程と同じ問いにもう一度答える気は、けれどなかった。
「お前は、望んでエクソシストになったんじゃないのか?」
「そうだよ……さっきも言ったでしょ」
もう嗚咽は止まったと思いきや、目から流れる涙は止まっていなかった。度々しゃくりあげつつその涙を拭う小さな手を強引に掴み顔からはがした。いまだ赤い目。
「適合者だからって強引に連れてこられた! そこに私の意志があった訳じゃない。……兄さんと一緒にいたかったのに。戦うことだって嫌だったのに」
「嫌なら引きこもってりゃいいだろう」
「そんな簡単に言わないで! それができないんだから、こうして、戦ってるんだよ」
「なんでできないんだよ」
「……兄さんが心配する。私のためにここまできてくれたのに、わたしがちゃんとしないと……」
「心配より、迷惑なんじゃないのか」
ああ、またやってしまった。そう思ったのは本当だ。少女はすごく傷ついたという顔で俺を見て、そして医務室のドアが開き赤毛が飛び込んでくる。
「おけーりっ」
「……ただいま」
片手を顔の横まで上げる少年から、少女は泣き顔を見られたくないと思ったのかふい、と視線を逸らした。一瞬戸惑いを見せるがすぐに少年は俺へ向き直る。
「あれ、ユウ怪我したんさ? 大丈夫?」
「神田だ。……大事ない。まだ戦える」
「あっは、武士みてぇなこと言ってるさ」
「変わりねえだろ」
「うーん、そうさねー。ユウちゃん刀使うしねー」
「誰がユウちゃんだ貴様。これだからお前は嫌なんだ」
「そんなに嫌わなくてもいいじゃんさ、仲間なんだしよう。と思ってるのは実はオレだけ? わはは、さみしー」
勝手にひとりで盛り上がる少年を無視してさっさと部屋に戻ろうと立ち上がったときだった。そっぽを向いていた少女が俺を呼び止める。決意の篭った強い瞳は、今度は少しも揺らぎはせずに俺を射止めた。
「さっき、戦うのは嫌だったって、私言ったよね」
「……ああ」
「それは、過去形なの。今は違うの。今は、兄さんや、皆のために、大事なもの守るために戦ってるの」
「……心配かけたくないんじゃあ、なかったのか?」
意地の悪い問いかけにも少女は先程の狼狽えようが嘘のように気丈だった。
「そうだよ」
その、ただ一言。認めないか押し黙るかしかないと思っていたために反応が一瞬遅れる。
―――、意味わかんねぇ」
「うん、そう、だね。でも、今思ったの。心配かけたくないよ。それとね、私には力があるんだから、大好きな人を守るくらいできる筈でしょ? それには神田もラビも入ってるよ。だから今度は、神田ひとりに無茶なんかさせないから。まもるよ」
「エゴの押しつけはまっぴらだ」
「ごめんね。でもそうじゃなきゃ、私がここにいる意味はないんだよ、きっと。それなら不幸だってわかってても、飛び込んでいく。誰も傷つかないように。哀しまないように」
「なー、リナリー?」
それまでただじっと耳を傾けるだけだった少年が少女へ問いを投げかける。
「話がよく見えないんだけどさ、それってリナリーはどうなんの? ひとりでなんとかしよーとしてんの? 皆のためにを観念に、自分ひとりならいくらでも傷ついていいとかって、そういう意味?」
「そう。駄目? そんなこと言わせないよ。私もう決めちゃったもん」
「うーわ。……お前変なとこ頑固だしなあ……」
少女の輝く瞳とにこやかな、どこか満足そうな笑みに少年も反論できなくなる。少女は頬に残っていた雫を拭い取った。
「私は皆っていう世界を守るよ!」
自分たちは神の使徒で選定された適合者で兵で駒でそれ以上も以下もないと思うのだが、大多数には不幸だと定義されるらしい。つい最近知った新しい知識だ。理由なんて陳腐なもので望んで戦場へ立つ訳ではないからだという。本当に人間て奴は他人の不幸が好きなのだとそれくらいにしか思わなかったが少女にとってはそれだけでは済まなかったらしい。
疑問はとうとう解消されずじまいだったが少しだけ理解できた気がするのでよしとしておく。それに何より、少女が。ずっと弱い生きものだと認識していた少女が胸を張って誇らしげに口にした言葉が、思いがけず響いてしまって。
俺は感覚のない右腕を動かそうとするがそういえば動かないのだったと左手を持ち上げ、少女の乱れた髪を無理矢理撫でつけた。







黒の庇護欲/December 1st.







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