大分早いけどメリークリスマス











リナリー。
自分を呼ぶ声がした。自分を呼ぶ声がしたけれど反応しようという気にはなれなかった。だって痛いんだもの。返事をしたら嫌なことばかり強要するんだもの。嫌だって言っても大人たちはいつもいつも厳しい顔でわたしを見下ろす。お前が悪い子だからって。そうなの? わたし、わるいこなの?

じゃあいっそのこと殺してしまえばいいじゃない。




   □ ■ □




ここへきて何度目かの冬が訪れた。わたしは監獄に収容された囚人さながらにベッドの上に括りつけられたままで、見えるのは薄汚れた天井くらいだったけれど朝晩が特に冷えるようになって季節の変わり目を感じた。吐き出す息が白くこんな部屋にいればいずれは凍傷なんて理由で死んでしまうかもしれないなと少しだけ思いつつ、どうせ今だって生かされているだけなのだからその瞬間がいつ訪れてもいいと頭の端で考えた。拘束されたままじゃ生きた心地なんかしない。
突然扉が数回ノックされて誰かが入ってくる気配がした。わたしは見ようともしなかった。もう何を言われたって聞こえていないふりをすればいい。壊れたことにしておけばいつか諦めてくれるだろうと愚かにも思っていた。そんなことでこの悪魔染みた組織がわたしを手放すことは絶対に有り得ないことなのにわたしはそんな一縷の希望を抱いて天井ばかり見上げていた。
不意に視界が暗くなると思えば見慣れた顔が光を遮っていた。名前を呼ばれたのはもう何年も何十年も前のことのように感じられる。
「リナリー、調子はどうだい?」
その人はわたしをあたたかい視線で見下ろしていた。わたしは視線を合わせようとはしなかった。その人はわたしの兄にあたる人だったけれどわたしにとってそんなことはもうどうでもよかった。兄は哀しそうな目をした。わたしはじっと天井を見据えていた。
「あのね、もうすぐクリスマスだよ」
それがなんだというのだろうか。クリスマスなんかどうせわたしには関係のないことだったのに兄はにこりと微笑んでプレゼントは何がいいかなと訊いてきた。どうせわたしの望みを素直に伝えたところでそれが叶う訳でもない。わたしは聞こえてないふりを装った。そうしたらもっと兄が哀しそうな顔をするのが目に見えたけれどわたしと同じように沢山傷つけばいいとしか思えなかった。
どうしてわたしがこんなところへ連れてこられなければならなかったのだろう。わたしはどうして縛りつけられていなければならないのだろう。もう会えないけれど母さんや父さんからは嫌なことは嫌とはっきり言いなさいと言われて育ったのに、教団の人間ときたら皆一様に顔を顰めるのだ。わたしは正しいことを言っているつもりなのにどうして怒られるのかちっとも理解できなかった。
兄は尚もわたしに話しかける。早く出て行ってくれればいいのに。わたしはそう強く願った。
「……ごめんね、リナリー。早く自由にしてあげたいんだけれど、中々許しがもらえないんだ」
ごめんね。
何を謝る必要があるのだろうかとかどうして言い訳なんかしているのだろうと不思議に思う。そんな御託を聞きたいんじゃないのにわたしの兄である人は馬鹿みたいに謝罪を繰り返した。その内胸が苦しくなって両目から水が零れ出しどうしてか兄も同じような状態になった。わたしは本当に久しぶりに声を発した。どうして泣くのと。本当に久しぶりだったために出が掠れてしまったけれど兄には伝わったらしい。
「……リナリーがうれしいと僕もうれしいし、リナリーが哀しいと、僕も哀しいんだよ」
詭弁だ。わたしの気持ちが兄にわかる筈がなかった。理解することも絶対にできはしないのに兄はそれよりやっと僕を見てくれたねと目に涙を溜めて笑った。そして笑いながらわたしの涙をかさついた指で拭った。人の体温というのはこんなにもあたたかなのだということにわたしは気づいた。ここへきて初めて人間に触れたような気がして、それまでの兄の発言など兄はわたしの血の繋がった兄妹だという事実と同じようにどうでもよくなってしまった。それというのもわたしに触れる人間はどれもわたしにとって悪魔でしかなり得なかったからだ。兄は確かに人間だった。
リナリー。
兄が呼ぶ。
「クリスマスプレゼントは、何がいい?」




   □ ■ □




手足の拘束がなくなった途端わたしに課せられたのはエクソシストという役だった。それは科せられたと表記する方がわたしにとって相応しいものかもしれない。教団から逃げることなどできないのだと聞きたくもない言葉が耳の中へ流れ込む。息も絶え絶えなわたしを見下ろす大人たちは口々に困った子だの悪い子だの無駄な足掻きはよせだのわたしを貫く言葉を並べ立てる。もう嫌だった。限界だった。こんなことになるくらいならあのベッドで死ぬまで繋がれていた方が余程ましだった。リナリー、と。攻め立てるようにわたしの名前を使われるのが心底辛かった。
あの日わたしは兄に何も伝えなかった。ほしいものは何もないと嘯いた。叶わない願いを口にする勇気すらなかったのだ。帰りたいと一言告げることもわたしにはできなかったのだ。言おうとしても胸が圧迫されてどうしようもなかった。
ここへ連れてこられて何回目かのクリスマスにもわたしはただただ天井だけを見上げるだけだった。誰もいない部屋にひとり取り残されたまま、遠くから微かに聞こえてくるクリスマスを祝って歌うという歌を追った。どうやらわたしは子供の味方である筈のサンタクロースにまで見放されてしまったらしかったけれど、そんなこといつの間にか眠ってしまって忘れていた。次に起きたときに見たものがあまりにも衝撃的だったというのもある。

そのクリスマスの夜、兄さんは大きな包みをいくつも抱え、わたしの枕元で静かにクリスマスキャロルを口ずさんでいたから。







赤は見捨てる/December 3rd.







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