やりすぎた捏造











右手にはいつもマナの手があった。
はぐれないように旅の途中、強く握り締められていた、僕もそれに応えた。誰かと繋がっていることがとても尊かった。
血の繋がりもない捨て子を拾ってくれた彼が、僕のすべてだった。




   ■ □ ■




「アレン」
そのとき僕らが生活していたのは粗末な家とも呼び難い住居だった。僕のピエロは街を転々と渡り歩く人だから、元々家なんか持ち得ない暮らしぶりで、そんなものでも夏の暑さや冬の寒さとか死なない程度に凌げればそれで十分だったのだ。
隙間風だけではなくてちょっと吹雪くと雪まで入り込んでくるのも困りものだけれど、勿論暖を取るものなんかありはしない。隅で縮こまり手に息を吹きかけている僕をマナが呼んだ。
「散歩に行かないか」
「寒いよ」
「歩いた方があたたかいよ。何せ家と外では大して温度が変わらないからね」
それもそうかと思い、僕はマナの後をついて外に出る。実際本当に変わらなかった。なんだってこんなに冬は冷えるのだろう。僕らを殺す気でもあるのだろうか、なんの得もしないのに。

マナはいつも僕の右側を歩く。僕が何も言わなくても手を奪って握る。ぎゅっと離さないように。今日もそうだった。
「ねえマナ」
「ん?」
「マナの誕生日はいつ?」
そう問えばマナは目を丸くして、けれどすぐに弧を描く。
「突然どうしたんだ」
「いきなりじゃないよ。そういえば僕、マナがいつ生まれなのか知らなかったなあって」
言いながら僕は横を過ぎていく少女を目で追う。その手は僕と同じようにやさしげな女の人と繋がれていて、はっきり違うとわかるのは、少女の手に赤いリボンのかかった人形が握られているところ。僕の空いた左手は、何を持つでもなくだらりと手持ち無沙汰気味。彼女ははにかんで、母親らしき女の人にありがとうと言っていた。
「……あの子が羨ましいのかい」
「違うよ!」
違うよ、ともう一度否定する。
「僕は……マナがいれば、いいんだもん」
「……明日、だったかな」
俯いてしまった僕に、マナは今思い出したかのように何気なく呟いた。何が、と見上げるといつものやさしい顔がそこにあった。
「私の誕生日」
「明日? 明日なの?」
「確かね。いつの間にか誕生日なんて忘れていたよ。今まで祝ってくれる人もいなかったしね」
「僕が祝ってあげるよ! 明日の、マナの誕生日、僕がいるから、僕が祝うよ!」
―――初めて、だったのだ。いつも手を差し伸べてくれるやさしさのかたまりみたいな彼に、僕が何かをしてあげられる機会なんて滅多になくて、そして誰かの誕生日を祝うことなんて、初めてだったのだ。こんな僕でも、こんな僕だけれど、誰かを祝うことができる。とても誇らしい気分だった。
「マナ、マナ、明日楽しみにしてて!」
「ありがとう、アレン」
うれしそうな彼を、もっと見たいと思った。たったそれだけだったのだ。




   ■ □ ■




マナ。

また冬がやってきたよ。あんたと過ごした冬は、また何度だって巡ってくるんだ。
ねえ覚えている? あんたと過ごした冬はいつだって寒かったけれど、心の中はいつもあたたかかったんだよ。あんたの腕の中は、いつもあたたかだったんだよ。貧乏でも、しがないピエロでも、家がなくても、僕の心はいつもしあわせで満ちていたんだよ。
けれど僕はどうしようもない過ちを犯したよね。あんたはそれでも笑ってくれた。お前の所為じゃないと繰り返し言ってくれた。その言葉に嘘はないと信じてみても、その犯した罪は悪い夢となって僕を幾度となく襲ったんだ。赦されないことをしたんだと、僕ははっきり悟ったよ。

マナ。
僕のしでかした罪について神さまに赦しを請うことはなかったけれど、僕は一度だけ、別のことを神さまに願ったんだ。




   ■ □ ■




現実問題、僕にはお金がなかった。マナを喜ばせようと思っても何かプレゼントを買うことすらできない。お金を稼ぐ方法も知らない。少しだけマナに教わっていた芸もまだ未完成だ、こんなものでお金をもらうことなどできない。
たった一度の―――犯行だった。けれどそれすらも誇りに思ってしまうような僕は、浅はかだった。矮小だった。誰かのためだとか思ってしまってはいけなかった。役に立てるなんて思ってしまってはいけなかった。
やはり罪は罪、その所業はいずれ露呈する。どんなに僕が記憶を封じ込めてしまいたくても、どんなに周りに秘密にしていても、嘘を吐きとおしていても、偽っていても、だ。

「アレン……!?」
ほうほうの体で家に帰りついた僕を見とめたマナが、今にも倒れようとする僕の方を掴む。それによって僕は、今さっき味わってきたばかりの大人と子供の体格差というものを、二度実感しなければならなかった。
「どうしたんだ、何か、いや、何があったんだ」
「違、うよ、これは、僕のじゃ、ない、僕の血じゃ、ない、から」
走って逃げてきたというものあるけれど、決してそれだけではない息切れと両手にべっとりとついた赤黒い錆。これで何もなかったことにはとてもできない。罪を告白するのも自覚するのも恐怖。いっそ世界から閉め出してほしいと心から願った。
「ごめ、ごめんなさ、い、」
「謝ってちゃわからない。きちんと説明しなさい」
―――言っても、僕を、捨てないか、どうか。それが重要だった。僕を置いてけぼりにしないか、どうか。それが喉に引っかかって、
「僕を捨てちゃ、やだよ」
彼の重荷には決してなりたくはなかったのだけれど、これくらいならば許されるかと思った。少しくらい不安を吐き出してもきっと彼なら受け止めてくれる。―――僕の犯した罪なら? わからないから、声が震える。身体が、顫動してしまうのだ。
目の前の現実を直視していることが辛くて思いきり目を瞑った。それと同時に激しく掻き抱かれる。
「マナ、?」
「お前は私の子だ。誰がなんと言おうが、私だけは何があってもお前の見方だ。お前がいなければ意味がない。私はお前がいなければ生きていけない。ここまで言っても信じられないかい」
「ぼ、くが」
(このあたたかいぬくもりを手放したくないのは、)
「人を、殺してしまっても……?」
(僕だけじゃ、ないの?)
強く抱かれているから、マナが大きく身体を震わせたのも直に伝わって。どちらともなく息を呑む。
「あの、ね。わざとじゃ、なかったんだ。ほんとに、わざとじゃ。今日は、マナの……誕生日でしょ? だから、何か、お祝いしてあげたくって、っ……ごめ、ごめんなさい」
これを言えばそのぬくもりすら、手に入れたぬくもりすら手放してしまうことになるのだろうか。マナに嫌われてしまうことが怖かった僕だけれど、突き詰めれば僕は、彼に嘘を吐くことだけは、したくなかった。それなら怖れを乗り越える必要が、あって。信じることと覚悟も紙一重で。
「……っ、ケー、キ」
「ケーキ……?」
「お金がなかった、からっ、……僕は、お店から、ケーキ、盗んだんだ」
どうにかこうにか、言えた、けれど。
背中に回る腕の力が、更に込められる。
「そう、か……それで、ケーキはどうしたんだい? お前の手についている血は」
「……お店の人……ケーキ切るやつだと思うんだけ、ど。ナイフ持った、女の人が、追いかけてきて、僕、怖くて、っ、わ、悪いことしてるって、わかってるから、逃げて、そしたら、後ろから変な音して、振り返ったら、」
「……振り返ったら?」
「その女の人、倒れてて、おなかに、……っあ、あのね、おなかに、ナイフが刺さってた」
今日は随分あたたかく路面に積もった雪も溶けていたのだけれど、日が落ちるにつれて凍りついてしまっていたようで、多分彼女は凍りに足を取られてしまったのだと思う。硬質な何かが落下するような音とともに聞こえたのは低く囁かれた呻き声。彼女の腹にまっすぐに突き刺さったケーキナイフ。そこから夥しく流れ出る血の存在は、薄暗い中でもよくわかった。
「も、どうすればいいのか、わかんなくって、女の人のおなかから、血が沢山出てて……っ」
「お前は本当にどこも怪我していないんだね?」
首肯することで肯定とした。
「ケーキは、走ってる途中に、どっか、行っちゃった。ねえマナ、どうしよう、どうしたらいいの? 僕は、悪いことをしたよ。あの人を、っ、殺しちゃったのかもしれないんだよ」
―――辛そうに苦しそうに呻く彼女の腹に、僕は確認するかのように手をやった。それは殆ど無意識下での行動だった。僕の両手についた血は、そのときのものだ。その後のことは、よく覚えていない。ただ闇雲に、何かから逃れようとして走りついた先が、このぼろぼろの家だった。彼が待っている筈の、唯一の。
マナは僕の首筋に埋めていた顔を離して言った。
「忘れるんだ」
その一言はあまりにも衝撃的だった。
「すぐに支度をしなさい。この街から出て行くよ。いいね」
「な、んで?」
「……足がついたらいけないだろう」
―――僕を置いてくの?」
くしゃりと頭を撫でられる。大きな手に。マナは有り得ない話の後でさえも笑っていた。
「一緒に行こう」
まだ子供だったからわからなかったけれど、それはただの逃亡だった。けれど彼と一緒にいられるのなら、どこへだって行ってよかった。
「いいかい、今日のことは、お前の所為じゃないよ。私の所為だ」
「ちが、マナの所為じゃ、」
「ありがとう。うれしかった。―――盗みはいけないことだが、その気持ちは、十分うれしいよ。むしろそれだけで私はしあわせだ」
「……迷惑かけて、ごめんなさい」
「もういいから、忘れるんだ。忘れなさい。すべて悪い夢だ、お前の所為ではないんだから」

もう一度力強く抱き締めてくれたマナは、今思えば涙を隠すように僕を抱いたように、思う。




   ■ □ ■




最期までそばにいることができてよかった。途中で愛想が尽きて捨てられるのではないかと危惧したことも恥ずかしくなる程、全身全霊をもって愛してくれたことは、決して親孝行とは言えない浅慮で愚かな僕でも、変わらず笑いかけてくれたことは、僕にとって救いだった。

しあわせだった。僕はしあわせだったんだ。そしてあんたもできることならしあわせであるようにと願っていた。

(あんただけでも神さまに愛されますようにって)



「ハッピーバースデイ、マナ」


また冬がきたよ。あんたと手を繋いだ冬が。







無欲な白濁/Dcember 29th.




総合的におかえりSelfman,and lady.そして頑張れ。


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