おとうさん、
愚 者  の   代  弁






足の先から頭の天辺まで支配される感覚は何度となくあった。美しくも卑劣な言葉で他者を愚弄する僕は僕であって僕ではない。けれど誰ひとりとして僕を支配する存在を知らない。
聖職者と知って縋りついてきた貴婦人を酷い言葉で嬲ったこともある。これは僕じゃないんだと否定することもできずに、ただ僕はこのときが過ぎ去るのをじっと待っているだけだ(抵抗したってこの口は黙らないということは学習済みだったから)。
意識がある分にはまだいい。最悪なのは、その意識さえも乗っ取られてしまうことだ。これは同僚から聞いた話で、残念なことにまったくもって僕の記憶に残っていないことなのだけれど、僕は夜中教団内を徘徊しては奇怪な行為を繰り返し行っているようだった。聞いた中で一番ヘビーだったのは、僕が苦手とするエクソシストの部屋のドアに悪戯書きを施したということだ。赤いペンキでとんでもなく汚らしい言葉を書き殴ってしまっていたらしい。確かにあまり会いたくない相手ではあるけれど、それにしたって自我が存在している状態でそんな卑屈な行為を許す程、僕の理性は崩壊していない(というか見てたんなら止めてほしい)。

最近ではこれがしょっちゅうあることで、しかもその持続時間が延びてきているというのだから手に負えない。いつか僕ではない僕にこの身体も乗っ取られてしまうのかもしれない、なんていう危機感をも抱いてしまう。
さあどうしたものか、と頭を巡らすも、解決法など浮かばない。僕としては、もはや抗えないのならこのままでもいいかなどと思ってしまっているけれど、周りの被害を考えればやはりそれは許されないことなのだろう(ただし本音を言ってしまえば、ドアの悪戯書きの件に関してはどうでもいい)。
思いきって尋ねてみようか。
「きみは誰なの」そして、その間抜けぶりに自嘲する。「……答える訳、ないよなあ」
馬鹿みたいだ。ああ頭が痛い。左右に揺さぶられるような頭痛と共にあれはやってくる。諦めて、僕は身を委ねた。









「アレン」
「何?」
「変なこと訊いてい?」
「変なことって……毎度のことじゃないですか、ラビは」
「ひっでーさ、それ」
「それで?」


「うん、ずっと訊きたかったんだけど――お前、誰?」









淋しかったの? まさか、僕が忘れているとでも、思ったの? そんなことはたとえ天地が引っ繰り返ってたって世界が滅びたってあり得ないのに、うんでもごめんなさい、気づけなかった僕を許してくれる(気づこうとしなかった僕を許してくれる)? 淋しかったのは僕も同じだから、









「誰、って……」
「さすがに最初はわからんかったさ。でもオレが思うに、アレンは腹ん中で色々思ってることはあっても、それを表に出そうとしない奴なんさ。いくら腹が減ってたって夜中にばりばり生の野菜齧ったりしねーし、いくらユウがむかつくからって、ドアに脅迫まがいの言葉書きつけるなんて絶対しねーの」
「……そんなこと言われたって、……」
「冗談にしても性質悪すぎさ、それ」
「冗談なんかじゃ、ないよ?」
「じゃあ何? お遊びの一環?」
「ううん、」









そうだね。もうすぐあの日がくるから、多分それなのかなとは思ったよ。確信がなかっただけなんだ。もしかしたら二重人格とかいうやつかもしれないし、それか僕の気が狂ったか、とか、色々考えてしまって。
どちらにしろ、僕は僕でない僕を追い出すつもりなんか毛頭なかった。少しやりすぎな部分もあったけれど、それでもそれは僕だから。紛れもない僕の本心であることに違いないから。口に出す勇気のない僕に代わって代弁してくれたことには、感謝さえしているんだ。だから出ていけなんて、言わないよ。

とっくに死んだ筈の命。再び生を与えてくれたのはあなた。


(ふたりでもう一度生きていけたらいいのにね、)









「忘れていたあの子に、ちょっと思い出してほしくて。私を雪の下に埋めた日のこと」






愚  者   の  代 弁


070722
どこからしくじったんだかわからない。
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