何度でも繰り返されるそれ







ひとつ









苦労するのは当然の環境で今まで育ってきた。それが不幸だなんて言わないし言える立場でもないオレは当然のこととしてそれを受け止めていた。それが何故こんなに容易く崩れてしまう。何故オレは支えきれない。脆く、弱く、築き上げたものは一瞬にして塵。
言い訳する頭もない。小さなミスも大きなミスも、失敗は失敗だ。オレに失敗は許されない、だから言い訳する必要はこれまでなかった。けれど敢えて言わせてもらうならこれは多分にあいつの所為なのだ。(あいつの!)。
だって手を。手を、あいつは握り返した。握手とかそんなんじゃない。オレの差し出した手をあいつは掴んでぎゅっと握った。笑った。オレは言い訳するかわりに偽ることを覚えた、だからオレの笑顔は全然ほんものじゃなかった。それを指摘したのはあいつだ。「笑ってくれるのはうれしいけれど、キミは笑うのがへたくそだね」。なんてことを宣告してくるのだろう。けれどそう言うあいつは前とちっとも変わらないほんものの笑顔だった。
あいつはオレのように色んな世界を見てきた訳でもなければ、何か特別な事情を知っている訳でもないただの子供だったのに、オレの持ち得ない様々なものをその小さな手いっぱいに握っていた、むしろ抱え持っていた。オレはオレの持っているすべてのものとあいつの持ちものとでどれか勝っているものはないかと比較しつづけた。けれどいくらオレの持ちものの優秀さを自慢したって結局は自分が惨めな気持ちになるだけで、そこでやっとオレは敗者であることを認めることができた。生まれて初めて知った屈辱だった。
あいつは満ち足りた人生で一生を終えるのだろうと思うと悔しくて、どうして自分はこんな道を選んでしまったのかと後悔もした。けれどいくら悔やんだところで選択したのは自分だ。弁解も甚だしい。
「名前は?」と訊かれたとき瞬時に答えることができなかった。―――名前なら掃いて捨てる程、いくつもあった筈なのに。どうせおまえはたったひとつなのだろう、たったひとつの価値ある名前しか持ち得ていないのだろう。だから悔しくて自分にとって一番の名前を探そうと、教えてやろうと、そう思った。けれど自分は哀しいことにこれまでの名前をひとつも覚えていなかった。必要ないものはアウトプット精神がいけなかったようだ。
それから新しい名を自己につける度、それらを忘却していくことが辛く思えるようになってしまったオレ。捨てなければならないものなのに。(それでも生まれたときの名前くらい大事に持っておけばよかった)。
同じ場所に長くとどまっている訳にもいかず、今日でこの街を去る予定だった。別れまでの時間はゆっくりかと思いきやいやに早く、一日が二十四時間なんてしょぼいものじゃなくて五十時間くらいだったらよかったのにと本気で思ったのは後にも先にもこのときだけだ。
あいつと出会ったこの街を離れる前に、オレはもう一度あいつに会いたかった。伝えたかった。会って話をして、ずっとずっと忘れないようにしたかったのだ。あいつのすべて。名前とかも、勿論のこと。
いつもあいつのいる広場まで薄く雪の積もる道を必死で走った。夕刻の鐘が鳴る前にオレは戻らなければいけない、残された時間はそう長くなかった。―――広場に佇む線の細い少年に呼びかける。同じ笑顔で迎えてくれたことが、何より心苦しかった。「そんなに慌ててどうしたの」、オレは答える。「今日、この街を出ていく。さよならを、言いにきた」。ああ、あの吃驚した顔。「なんで、」。「もう役目を終えたから。……ずっとここにいられる訳じゃないって、言ったろ?」。「そうだけど、……急、だよ」。立ち尽くすオレたちに降る雪。「どうにかならないの? もっと、一緒にいたいよ。まだしてないことたくさんあるよ」。目の縁に溢れる涙を掬う。できることなら泣かないでほしかった。「なあ___、今まで、ごめんな」。きっと言ったってよくわからないだろう謝罪は、純粋な子供にはどうしたって伝わる筈もない。「……名前、教えてやるよ」。「え?」。「新しい名前」。そう言えば益々意味のわかっていない顔をされる。ふ、とついおかしくなって笑ってしまった。「忘れんなよ」、言えば「わすれないよ!」と強く言われる。「あのな、―――……」
わすれないよ、あいつは確かにそう答えたのに。手を握り返した。オレの差し出した手をあいつは握り返した。笑いながら。なのにオレは上手く笑えずその上へたくそだと指摘まで受けてしまった。これはオレのミス。けれどオレが笑えなかった原因の半分以上はあいつの所為に違いないのだ。
忘れるなと言ったのは名前だけではなかったのに。(そりゃあ名前は幾度も変えてしまったけれど)。オレはあいつの名前も何もかもきちんと記憶していたというのに。同じ舞台に上がって再会を果たしたオレたちは、もう。








「ハジメマシテ、」






070924
めもろぐ。
ラビさんのこと忘れちゃったアレンくんとアレンたんより優位に立ちたかった最低ラビ少年。

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