子供はいつだって。




くちうつしラウヒェン




堕ちるところまで堕ちてもいいと本気で思っていた。それは開き直りだとかなんやらであっさり片づけられるようなものではないし、まして適当に吐いた言葉でもない。生きることが無為であり無意味であり、アレンにとっての生とはつまりそんなものだった。そこにあるのはただひとりを失った痛みと、神への蔑みと。失うものはもう何ひとつとして残っていないのだから、どんな場所に、どんな戦場に出されたところで怖れることはない。けれど神を憎む自分が神の使徒として聖戦に参加―――参戦することは何よりも気の喰わないことではあった。それでも自分が持って生まれた使命、逃げることは決して許されず、いよいよ前線に放り出される前の、神を嫉むようになって三年目の冬。いずれそのときが、別れる日がくるのはわかりきっていた。いつまでもこんな子供を抱えていては、自分を拾った男だって満足に動けないだろう。アレンは何も聞いてこそいないけれど、これがその男と過ごす最後の冬なのだと悟った。

静かに降り積もる雪の所為で、外はもう逃げ場もない程に白く侵されている。自分もまた、この世に生まれ落ちた瞬間から目の前に敷かれていたレール上から逸脱することは、―――逃れること、は、
「さっさと寝ろ、くそがき」
相部屋、なのは喜ぶことなのか、それとも嫌がることなのか判別がつかなかった。静かにベッドから抜け出し、窓の桟に凭れてただただ白い景色を眺めていたアレンは、いつの間にやら起きていた男の方を振り向かずに言った。
「くそがきなんて名前、知りませんけど」
「……可愛くねえ」
「師匠なんかに可愛いとか思われたくありません」
自分がどれ程生意気で可愛くなくてくそがきであるかなど、とっくに自覚しているし自ら望んでいるのも本当だ。もういい子でいる必要は欠片もない。心配せずとも数少ない戦力であるアレンを捨てる真似など、誰ができるだろうかという話だ。冷酷無比なこの男であっても、手塩をかけて育てた弟子、このくらいの陳腐な反抗であっさりと寒空に捨て置くことなどしないだろう。この男にとってはただの子供の癇癪にしかすぎないのだから。
窓の向こうは街灯ひとつなく、暗闇。夜が明ければ一面に広がる銀に息を呑む光景がまざまざと目蓋に浮かび、それがなんとなく悔しくてアレンは力任せにカーテンを引っ張った。しゃ、と鋭い音を立て遮断される。室内もまた、暗闇。静寂すら寒々と広がる―――と、男の手元で火が点り、焦げ臭いにおいが鼻腔を掠める。見えはしないけれど、男の吐き出す煙が部屋を満たしていく。
「……暗いのに、危な……」
「なんとかなる」
「また意味わかんないこと言うし……」
煙草で火事になったりしたら、この宿の主になんと非を詫びればいいのだろうか。どうせ謝罪に行くのは男ではなくアレンだ、もしもの場合を考えて前もって用意しておいた方がよさそうだった。
「…………、」
ゆっくりと立ち上がる。気配はなんとなくだけれどわかる。アレンは男の隣に漫然と腰を下ろした。
「お前の寝床はここじゃない、隣だ。寝惚けてんのか」
「…………頭は冴えてますけど、」
近くに寄れば、余計煙草のにおいは酷くなった。
「知ってます? 煙草って、依存性があるんですよ。中々やめられなくなるっていう」
「……それがどうした」
「でもね、僕ももう十五になりますしね、色々試してみたいお年頃なんですよ」
「ふざけるな、お前になんぞ誰がやるか。粋がるのも大概にしろ」
「至って本気なんですけどね―――

(堕ちるところまで、堕ちてもいい)

もうアレンの頭に、煙草の火がどうとか、そんなくだらないものはなかった。大分瞳は暗闇に慣れた、煙を吸い込んだのを見計らい、アレンは男の襟元を掴む。紫煙が吐き出される前に強引に奪ってやる。口腔に広がる苦味の強い味を吐き出すなどという無粋な真似はせずに、そのまま肺を満たす―――こともできずに喉を通った瞬間、盛大に咽せ返る。
「……馬鹿かお前」
目的が違うとはいえ男にキスしたことよりも、勝手に煙草を間接的に吸い、その結果格好悪く咽せ返っていることの方が呆れの対象になったらしい。男は涙目になりながらも睨み上げるアレンに、おら、とぞんざいな口調で手を伸ばしてくる。その長い指に挟まれているのは、今も尚煙がのびる一本の煙草。
「俺は野郎とキスなんかしたくねえんだよ」
「…………そりゃ、もっともですよ」
だけどこれもキスの一種ですよね、と言うのはやめた。アレンはありがとうございますと取り敢えず受け取る。もうあまりおいしくもないものだと知ってしまったから、いらないといえばいらなかったのだけれど。
「僕ししょーとならどこにだっていけると思うんですよね」
わかってはいるのだ。理解したくないだけなのだと、これは単なる子供の我侭にしか過ぎないのだと。鳥の刷り込みと似ていて、手を差し伸べてくれたのがたまたまこの男で、この男でなければ絶対に駄目ということもなかったのだろうけれど、それもはじめの頃の話。今となってはこの男でなければいけなかったのだと切に思う。あのただひとりと同じ、かわりはないのだ。
―――俺がニコチン依存症なら、お前は俺依存症、とでも言うつもりか?」
「さあ? ああでも、」



ゆらゆらと昇る煙に、目がしみる。



「神さまはどうも僕を嫌ってるみたいだから、僕も神さまを憎んだりしてみてて―――要するに、縋る相手があなたしかいないというのは、事実ですけどね」
そんなことを嘯いたアレンに、男はただ一言返しただけだった。
「お前はいつまで経っても救いようのない、ど阿呆だ」






071112
どんくらい時間経ってるのかよくわからなかったので間違ってたらおもくそすんません(死)
やたら積極的なアレンを書きたかっただけ。

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