伝えたいことばは沢山あるよ。
G/r


僅かに湯気が揺らぐカップを手渡すと、アレンは何年もそうしていたようにダイニングの椅子を引いた。 「今日はどうする?」 向かい合って座るラビは少し悩むふりをしながらも、 「いつもどおりに」 とカップを傾けた。 アレンが怒る前にと新聞を雑に畳み、脇に寄せる。
開け放した窓辺からはあたたかい光とともに誰か笑い合う声が流れ込んでくる。 何気ない朝の風景だ。
「お隣さん、今日も元気ですね」
「だな」
一拍おいての同意。 アレンはこんがり焼き目のついたトーストにジャムを一思いに乗せ、存分にラビを呆れ顔にさせてから齧りつく。 食欲は以前と比べると大分落ちた。
「腕はどうさ」
「大丈夫」
「そ」
いつも繰り返される問答は習慣になりつつある。
「義手の調子悪くなったら、すぐ言えよ」
「うん」
言って微笑むアレンの顔にある傷痕は昔と同じ。 左腕は壊れた。
「そういえばラビ、知ってました? お隣のジェフリーさんの娘さん、歩けるようになったんだって」
「へえ。じゃあこれから大変だなあ」
「なんで?」
「歩けるようになったってことは、それだけどっか好きなとこ行ける訳だろ。こりゃ四六時中マティ見張ってねえと」
「そっか。そりゃ大変だ」
「奥さんには色々世話になってっから、今度相手してやりに行こうぜ」
「そうだね。昨日も美味しいパイもらったし」
「あれは美味かったよな。ジェリーのとはまた違う感じで」
「今度教わりに行ってこようかなあ。僕もつくりたいな」
「いいんじゃね? 時間なんて無駄なくらいあんだからさ」
誰がこんな何気ない会話を重ねる未来を予測できただろう。 これが今の日常だ。 決して近くはない筈だったものに自然に触れているこの感覚には奇妙さを覚える。
「……無駄な時間だって」
くすりとアレンはくすぐったいような笑みを浮かべる。
「おかしいね」
「おかしいな」
あの頃は一分一秒も無駄にできなかったというのに。
「やっぱ戦争っていうのは、何もかも狂わすんさね。オレは何度もそれを目の当たりにしてきたけど、今回のが、一番、馬鹿馬鹿しかった」
「でも僕らが関わったのが終わっても、まだまだ、世界中に戦争はある訳でしょう? 何してんでしょうかね。大抵戦争吹っかける奴なんか、自分たちの利益しか考えていないんだろうな。僕にはわからないや」
「わからなくていいよ、なんも知らんお前でいてくれ」
「なんか意味深な」
「はは、スルースルー」
ラビのカップが空になったのを見て、アレンは 「おかわりいります?」 と声をかける。
「いつも思うんだけどさ、お前のミルクティー甘すぎ」
「あ、言いやがった。コーヒーもありますけど」
「んー、じゃあそれちょうだい」
がたりと席を立ち、キッチンに消えた。 どうせ僅かな間だろうけれど、ラビはその隙に新聞記事に再び目を落とす。 世界中を巻き込んでの戦争は終わった。 自らの手で終わらせたのだ。 それなのに、紙面を飾る文字はW。 この世界をどうしたいのか、どうするつもりなのか。 力のある者の驕りゆえか、それとも治める民のためか。
「……わかりたくねえな」
心中での呟きはどうしてか音の波になった。 背後にある窓から、笑い声に乗って春の陽気なにおいが香ってくる。 何気なくて、穏やかな朝の風景。
平和なのに。 今ここは、確かに平和なのに。
「アレーン」
「はい?」
ひょこりと顔を出した少年に、ラビはにこりと笑いかける。
「散歩行こう」
苦しいことは、つらいことは、まだまだ世界中にあるけれど、 「なんか、お前となら平気そうだ」 それについて目を逸らすのは、どうしたっていいことではないと知っているから。
「そりゃ、」 アレンは目を細める。 口笛でも吹くかのような気楽さで 「光栄なことで」、 そう言った。






080114  こんな風にのんびり暮らしていけたらなと思って。

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