にんげんは半分うそをついて、半分ほんとのことをいう



呟きひとつで霞んだ











例えば映画のワンシーン。 えろい雑誌。 もしくは文字を追って頭に浮かぶ描写。 などなど。 刺激の強い情報はいつでも入手可能ではある。 うん、そうだろう。 だけれどここまで近くに、それどころかドアを開けたらそこにまんま存在していたというのは、中々、お目にかかれないものでもある。 本音を言うと見たくなかった。 すごく見たくなかった。 どれくらい見たくなかったのかというと、汚いおっさんのケツを公衆トイレ開けたら丁度大で―――さすがにこれはないな。 ないよオレ。 自主規制。 麗しいお嬢さん方ごめんなさい。 けれどオレはそれくらい見たくなくて、そして何よりも驚いて、ドアノブを握ったまま硬直した。 変なの。 変なの、オレ。 そんなに見たくないならすぐさまドアを閉めればいいのに。 少々荒くたって構わない。 後から見たのがばれて気まずくなろうが関係ない。 今が嫌だ。 目撃してしまった家政婦!  みたいな状態のオレが嫌だ。 もう見たくないと思うのに意思とは相反して目が離せないでいると、不思議な色合いをした瞳がこちらに気づいた。 やべっ、と思う間にそれはにっこり弧を描いて、甲高い嬌声と共に口端をついっと上げた。 笑った。 笑ったというか、それは、笑われたのだ。 多分。 オレは笑われた。 みっつも年下な恋愛なんか知らないよって顔した子供にオレは笑われたのである。 衝撃的だった。 どんなものより衝撃を受けた。 そう、例えばよくある話、健康的な頭だなあと思っていたら実はかつらでしたみたいな。 どうだ、これは案外上手くいった例えだと思うのだけれど。 ああ、ごめんオレ、混乱してるみたい。 心中で呟いたとき、じっとこちらに目を向けたままのあの光彩の中に何かを見たような気がした。 ああ、あざけり。 嘲りだ。 オレはわからなくなった。 あの子供という存在がわからなくなった。 や、もう子供じゃないか。 だって、十五なんだものな。 そこいらのろくすっぽ働こうとしない奴らよりかは、余程大人だった。 それなのに彼のくちびるは面白いものを探し当てた、もしくは掘り当てた子供のような笑みを浮かべていたものだから、オレは益々彼という存在がわからなくなった。 なんだあいつ全然わかんねー! とその夜はずっと考えていた。 気づいたらオレは自室にいてベッドの中に蹲っていたのだけれど、なんだかおとめというか純なおんなのこっぽく思えてこんなの誰にも知られたくないと思った。 落ち着け、落ち着くんだオレ。 何か別なことを考えよう。 こんなのくだらないだろう、あまりにも馬鹿らしいだろう。 そうだ身近にヨーロッパ史とか。 ギリシャ文化とヘレニズム文化について。 オリンピアの祭典!  ああこんなのどうでもいいな、あー、禁欲主義のスト―――もう駄目だと思って大人しく呼吸をしてみた。 僅か七十字で終わってしまった自分の馬鹿さに呆れる。 あの記憶から逃れたいと思っての逃避だったのに、呆気なく行き着いてしまった。 禁欲っていい言葉。 今までのオレだったらきっとこんなことは言えなかった。 それどころか何が禁欲主義だと、寝ぼけるのもいい加減にしろと罵るところだ。 もう何も信じたくないと思うくらい、ともかくオレの受けたショックはすさまじかった。


―――何してるの?」


そう、いつの間に入ってきたんだとか思ったのは随分後の方で、オレは誰もいないものと思っていた部屋で突然に話しかけられて心臓が飛び跳ねた。 それこそ直に心臓マッサージを受けたみたいに。 もしかしたら身体も五センチくらい浮いていたかもしれない。 何してるの、って。 誰だお前などと問い返さなくても正体は面白いくらいはっきりしている。 オレが彼の声を間違えることなど有り得ない。 あどけないような口ぶりで彼はオレを揺り起こそうとする。
「寝てるの? まだ夜じゃないですよー」
うるさいな知ってるよそれくらい!  起き上がれないのはお前がいるからだろう。 そう言えばどうして僕がいると起きれないのとか知っていて訊いてくるに決まっているから、オレは口を噤む。 寝たふりをやりとおす。 ただしもうばれている可能性百二十パーセントという破滅的数字は算出されている。 狸寝入りっていい言葉。 今までのオレでもおそらくは使っていたのだろうけれど、今のオレでなければここで使う必要はなかった。 最悪だ。 最悪だ。 それしか浮かばない。 彼は大袈裟なくらい溜息を吐いてシーツに包まったままのオレのベッドに腰かけた。
「起きてるくせにねえ、」
ふふん、とわざわざ口にまで出した擬音語には今更何を隠れているのかちっともわからないよ馬鹿じゃないの、といった意味合いが込められていることを、オレはやっぱり気づきたくなかった。 頭まですっぽり覆って見えなくしていたというのに、彼はわざわざシーツを剥いで何を思ったかオレの耳にふーっと息を吹きかけてきた。 オレ我慢!  と思って目につかない程度に目蓋を強く閉じる。 思わず声をあげてしまいそうだった。 それも変な。 これでも起きないのか、と次は項にするりと指を押し当て、皮膚が当たるか当たらないかの瀬戸際で動かす。 何をしたいんだかまるで理解不能だった。 くすぐって起こそうという魂胆か、馬鹿にするなオレは我慢の子だ。 もう彼がというかオレが訳わからない。
「……つまんな」
やがてぽつりと呟いて変な行為をやめた。
「あのね、誤解しているようだから言っておくけど、別にあの人のことが好きだとかそんなんじゃないですよ」
それがどうしたっていうのか。 あそこに愛がないことは一目瞭然だったのに、わざわざそんなことを弁解するために彼はやってきたのか?  それこそくだらないだろう。 くだらなすぎて、つい本音が零れた。
「あほがいるね」
だけれど本当にくだらないのは自分だということをオレは知っている。 気づいたのはたった今だ。
「好きとかそんな感情、知ったこっちゃねえよ。お前が誰と遊んでようがオレには関係ないから」
そのお相手には、少しばかり古臭い表現を使うなら、吃驚仰天! という感じだったけれど。 オレは何を思ったんだかえらく強気だった。 それは多分強がりというやつで、そんなのは、彼にもお見通しだったようだ。 これでおあいこというところか。 それとも、そんな平和な話じゃない?
「僕がキミのことを好きなんだよって言っても関係ないって言いそう、キミ」
「うん。関係ない存在でいたい」
「そういう立場だものね。大変だ、」
過去にとびたい。 そんで速やかに過去のオレを殴ってでも止めてやる。 そんな非現実的なことを、とうとうオレも言うようになってしまった。 けれどそういう非現実的で非常識な力をもしも手に入れたとしたら、何千年も何億年も昔に遡ってずっと続いてきた歴史をこの目で捕らえることの方がずっと有意義なんだろうとは頭の端に掠めつつも、オレはそれでも目撃してしまったのをなかったことにしたいと思うだろうな。 己の知識の泉を溢れさせることよりも、きっとそっちを優先する。
「……僕のこと嫌いになった?」
的外れなことを訊いてきたので無視した。
「うーん、でもね、これも立派な社会貢献なんですよ」
「……なに、」
「あ、ちょっと違うな、教団貢献? あは、変なの」
そこで笑っていられる程変じゃないと思う。 とは言わなかった。
「ここには、女性が少ないでしょ」
それだけで、その一言だけで―――ああ、と。 納得してしまった。 得心してしまった。 合点がいってしまった。 まあどう言ったところで、それが、うん、お馴染みの。 嫌だった。
「それに女の人じゃあ、後始末が大変になったりするし」
なんか、そういう本どこかで読んだ気もする。 そしてえてしてそういうものには女が苦労するストーリーが付属されるものだ。
「お前のことだから、ゼノンなんて知らないんだろうな」
「ゼウスなら知ってますよ」
「神さまの話じゃなくて」
「知らないし、別に知りたいとも思わないから、いいです」
「あ、そう」
「ねえ、ラビ」
今度は言葉だけではなくて、手も追加された。 ゆるやかに身体を揺すられる。 起きて、と言っているようだった。 自分はいつまで寝たふりにもなっていない寝たふりをしなければならないのかと思っていたので丁度よかった。
「知らなくっていいんだけど、」
「ん、なーに」
もうこいつの口からはどんな言葉がぽんと飛び出てきたって驚かない。 オレは喘ぎ声だって聞いてしまったのだ。 と、思っていたのに。 ―――掠めるように触れた口唇には不覚にも驚いて、驚きまくって、今度こそ、五センチくらい跳ねたかもしれない。
「こんなこと、誰にでもする訳じゃあないんですよ」
ああ、やっぱ隠せてない。 彼はオレの本心など概ね心得ているのである。 なんとか折り合いをつけようとしていたオレにこの仕打ち。 離れていったくちびるが描くのはあのときと同じ嘲りを孕んだもので、もうほんとに勘弁してくれと叫びたかった。 オレはどうやら目撃してしまった家政婦!  から目撃してしまってネタを売ろうと思ったら主人に弱みを握られて脅される家政婦!  みたいな状態へと変貌を遂げてしまったようでなんともいたたまれない気持ちでシーツをもう一度頭まで被るのだった。












February 17, 2008

すいませんすいませんほんと申し訳……!

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