刺さったのは(逆)愛の、






彼の背中に細長い傷があることを、つい最近知った。






「……ラビ、それ、なんの傷痕……?」

そう訊いたときのことはよく覚えている。 いつも取り澄ましたような彼が一瞬にして表情を強張らせた。 手を伸ばして触れようとする僕の手を払ってそそくさとシャツを被った彼の目。 触れられたくないことなのだということもそのとき知った。

「吃驚した、……ノックくらいしろよ、人の部屋入るときはさ……」
「あ、……ごめん」
まさか着替えているとは思わなかったけれど、気軽に開けたドアの先に彼の過去が待っているとも思わなかった。 それも隠したいと思う程の。
「……あの、」
「何」
「痛い?」
「……痛くない。ずっと昔の、だから……」
「……あの、」
顔を逸らしたままの彼を慮ることができなくて。 僕はもっと彼のことが知りたくて。 単純な好奇心だったのかもしれないけれど、何か別の気持ちもあって。

「誰かに、つけられたの……?」
黒いシャツに覆われた彼の肩が少し跳ねた。


「お前に、関係ないと思うんだけど」


今思えば……それが始めて感じた彼と僕の壁だったのかもしれない。


「ごめ……んなさい、でも、」
―――でもとか、いらないっしょ。……それより、なんの用さ」
「や、暇だったから……遊びにきた……」
「残念、オレは忙しいの。お前に構ってやる時間、ねえんさ」
「あ、そう、ですか」
嘘だと思った。 根拠も何もないただの直感。 嘘だと。 僕を帰らせるための方便だと思った。

「悪い」
「いえ、」
触れられたくない過去は誰にだってあるだろう。 秘密にしておきたいことだってあるだろう。 僕にだって。 彼にだって。 それでも僕はそれじゃ我慢できなかった。 単なる自己満足のために彼の傷痕を抉ったのだ。 なんてことだろうか。

「ラビ」
「……まだ何か、」
「そんなに、話したくないことなの?」

―――出てけよ! お前もう出てけ!」


普段声を荒げることのない彼の怒鳴り声。 皺の寄った眉間と嫌悪を孕む隻眼。

「……ごめん、」
頭の悪い僕はそうやって不必要に抉ったまま埋めることもできなかった。









「任務、」
朝早くにリーバーさんが部屋の戸を叩き僕に告げた。 僕は確認するように繰り返した。
「……ラビと……?」
「ああ、着替えて早く司令室にこいよ」
「あ、……はい」

まだ昨日の今日だというのにどうしてこうも……。 そして多分こう思っているのは相手も同じなのだろう。


司令室に行くともう彼はお馴染みのソファに腰を下ろしていた。
ドアの開く音は聞こえている筈なのに、いつものように佇んでいながらいつものように僕に声をかけようとしなかった。 違和感だったし何か淋しい気もした。 そのようにしてしまったのは言う必要もなく僕自身なのだけれど……それ程悪いことをした風にも思えなかったので、少し苛々として彼の隣にかけた。

気まずさは不思議となかった。
指令官の欠ける司令室に降りるのは不機嫌な空気でもなくただの沈黙。 ふたりして黙したまま。 どちらも口を開こうとしないまま。

手のひらふたつ分……それが今の彼と僕との距離だった。 この間に壁があるのだ。 それはもしかしたら薄い膜のようなものかもしれないしコンクリートの厚い壁かもしれないけれど。



「……コムイさんは?」
「…………知らね」
返答は至極あっさりしたものだった。
「今度はどこまで?」
「オレ、なんも聞いてないから……訊かれても答えられない」
「ふうん…………それはそれは……」

そうこうしているうちに僕の飼っている悪い虫がまたむずむずし出した。 どうやら彼は怒っていないらしいと判断してから徐々にだ。 そして飼い主の僕にもその虫を手懐けることができないのだからもうどうしようもなかった。


「……刺されたんですか、あれ」
「うるさいよ、」
「キミが見てきた内戦とかのとばっちり? 小さい頃の事故?」
「……うるさいって、……」
「痛かった? 死にそうになった? ねえ、どんな気分だった?」
「…………」
もう彼は何も答えようとしなかった。 口を噤んでしまった。 けれどあの日のように発憤することもなかった。
「ラビ、答えてよ。どれくらい血が流れた? たくさん? 少しだけ?」
僕はどうしても知りたかったのだ。 彼の背中の傷は一体誰がどんなときにどこでどのようにしてできたものなのか……きちんと説明してもらわないことには僕の悪い虫は落ち着きそうになかった。






「あれはずっとずっと昔のことだよ お前の期待している答がどんなもんかはまったくわからないからありのままありのままを真実だけを述べるけど本当にお前が期待しているとおりの結末に行き着くかどうかはわからないから気に入らなかったら口を挟んでくれてもいい なあだけどアレンお前は随分な知りたがりさね オレはお前にとってそんなに魅力的か それともオレじゃなくて刺し傷なんていう珍しいかもしれない傷痕の所以が気になるだけか まあどっちにしたってオレが話す内容は変わらないんだけど聞きたいならコムイがくるまで大人しく聞いておけよ まずこの傷は女に刺されたもんだ とてもとても美しい女だった それはオレの初恋だっただけどその女は残念ながら複数の男と関係を持っていた オレはそれも知っていたしオレが位置するところはその女にとって最低ラインだったってことも知ってたんだ 財力もなければまだまだがきだったから 多分理由なんてもっとあるんだろうけどいまだに考えてもそれ以外の原因は見当たらないけど オレはそれでも好きだったから 愛していたから ブックマンなんかやめて一緒に暮らそうかなんてひとりで勝手に思ってた 今思うとすげえ恥ずかしいことだけどそんときのオレは本気だった その女のためなら世界すら敵に回せると思っていたんだよ たったひとりのためならどんなことでもできるって それこそ知恵と戦術策略をもってすれば国ひとつ乗っ取ることくらい朝飯前だと思っていたんだよ お前は笑うか オレを馬鹿と笑うか そうしたらお前が本当の愛を知らないからだってオレは言い訳するだろう でもさすがに聞き苦しいからそれはやめといてほしい ああでなんだっけ刺された理由だっけ ごめんそんなの昔すぎて忘れちまった 覚えてないんだほんとに覚えてないんだ ごめん 悪い 本当に覚えていないからそこは話せない だけど刺したのはオレの惚れた女だった筈だ 絶対と確信をもって言える訳じゃないけどきっと多分だけど愛してるって言ってくれた女にオレは刺されて そして吹き出る血液を垂れ流したまま 滑る地面に這いずりながら 女の細い足に縋りつきながら オレは尚もその女に世界で一番愛してるって、」





彼は小さな小さな声で……声にもならないくらいの微弱な音で……最愛の人の名前を唇が象った。





「世界で、いちばん……あい、してるって……」

滑らかな頬を滑り落ちてくるものを彼は気にも留めずぼんやりとしたまなこでここではないどこかを見ていた。
彼の傷は背中にある細長いものだけではなかったのだ。彼の昔愛した女性は僕以上に彼の心という心を抉って放置していたのだ。

彼が終始だんまりを決め込んでいたのも……。













「……愛してたのに…………」








080626 いや、もう、捏造しかできな……(ry
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