ひとつ年を追うごとに身体の節々に痛みが感じられるようになった。
ただ立ち上がるだけでも膝がこきりと鳴る程だ。
女のように顔や手足の皺は気にはしないけれども、歩くのが辛くなってきているのはどうにかならないものかと思う。
日々の生活がどうにも億劫である。
やっとぼろぼろの椅子に座ったところに、背の小さな少年が老人を訪ねて小屋の扉を開けた。 西の外れに異人がきたって本当? すぐに少年がそう問うと、老人はしわがれた声で彼らの名前を教えてやった。 詳しいことはよく知らないけれども、迷惑はかけないから、四日間だけこの村に置いてくれと。 目の周りに黒く化粧をした老人と、背の高い、赤毛の青年だったか。 変わった名前の、……ああ、なんだったろう、もうひとりは、確か、Allenと名乗ったよ。 |
朝は昇る日の光で目が覚めて、夜は眠たくなったら寝る。 そんな一日を、もうずっと体験していなかった。 教団にいた頃は、毎日のようにひとをころす兵器たちと戦っていた頃は、命令されるがままにどこへでも飛んでいった所為で規則正しい生活とはとてもじゃないが言えなかった。 だからたまに夜中にも目を覚ます。 はっとして起き上がる。 そんな夜はいつも、自分を急き立てて起こすものはなかった。 当たり前だ、もう違うのだから。 そう言ってまた沈む。 安らかなる眠り。 命を落とす要素の見えない現状。 代償は、なんだったろう。 太陽が真上に昇った頃合に騒がしい客人が姿を見せた。 木戸を、それこそ叩き壊そうとしているのかと勘ぐってしまうくらいに叩きつけているのを取り敢えずはやめさせようとする。 「はいはい、どちらさま、」 「橙!」 「は?」 戸を引くと同時に流れ込んできたのは、自分の腰程の背丈しかない子供だった。 「村長の言ってたとおりだ、本当に、髪の色が違う! 目が、緑!」 目をきらきらと輝かせて、少年は最大限まで伸ばした腕で、髪、目、と順に指差した。 そんなに珍しいものだろうかと内心首を捻る。 けれどもここの村民たちは、皆一様に栗色のはしばみ色であったかと思い直す。 外の人間を見たことがないのならこの大仰な反応にも頷ける。 しかしそれとこれとは話が別であって、悠長に子供の相手などしていられないのだ、こちらは。 「そうだねえすごいねえ帰ろうねえ」 「わっ、わっ、なになに、押さないで!」 ぐいぐいと子供の背中を押して追い出そうとするも、少年はくるりと身体を回らせ向き直った。 「……あのね、オニーチャン、色々忙しいの。キミに構ってる余裕はないの」 「この村には何しにきたの?」 「もしかして話聞いてない?」 「観光? できるような場所もないよ。取り立てて食べものがおいしい訳でもないし。自然もそんな綺麗じゃない」 「自分の住んでる村なのにすごい貶しようだな」 「自分の住んでる村だから言えることだよ!」 そういうものなのか? と思いつつ曖昧に返事をして、木戸を閉めた。 少年はとても出て行きそうになかったので、仕方なく入れてやることにする。 「あんたがAllen?」 「うん。オレがアレン。お前は?」 「ディック」 間借りしている小屋の中には、最低限生活に必要なものしか置いていない。 それが珍しいことでもないのか、何も気にせずに少年は隣に椅子を置いて、ふたり並んで腰かける。 にこにこして、随分と愛想のいい子供だと思った。 けれどもこうしてお互い初対面の人間同士が並んで座っているのも、なかなか奇妙だと思った。 「へえ。いい名前さね」 「村長がつけてくれたんだよ。ここの人たちは、あの人に名前をもらったりするんだ」 「ふーん」 「だけど村長は、神さまが与えてくださったものだって、いつも言ってるよ」 「あのじいさんに、オレも会ったよ」 この村に辿り着いて、村民の案内のもと彼に対面した。 特別用があったとか、そういう理由はない。 ただ僅かな期間、身を休めるのに丁度いいだろうと思ってのことだった。 村長だという、おそらくは村一番の古老だろう彼に許しをもらい、四日間だけ世話になることになっている。 あと三回日が昇ればまた出発する。 「おっとりしてて、やさしそうな雰囲気だった」 「怒ったところ見たことない。歳を重ねたら、怒る気力もなくなってきたって言って」 「うちのじじいは、オレのこと、殴るわ蹴るわすげえ元気だけどな。分けてあげた方がいいんじゃねーのかってくらい」 「そのおじいさん、今いないの? 出かけてる?」 「ああ、なんか、起きたらもうどっか行ってた。そのうち戻ってくんだろ」 「その人、目の周り真っ黒なんでしょ。化粧してるなんて、女の人みたい」 「パンダが大好きなんさ、しょうがない」 「パンダって何?」 「目の周り真っ黒で、黒と白の色しかない動物。しっぽは白い」 こうして話をしているだけだというのに、何故か落ち着かなかった。 落ち着かないというか、やはり、変な気持ちだった。 手持ち無沙汰というのもあいまって、余計そんな気分にさせられる。 あの頃はいつだってこんな心持ちになったりしなかったのに。 「ねえ、あんたの名前は、誰がつけたの」 「唐突……、」 「おじいちゃん? お母さん? お父さん? 誰?」 「自分でつけた」 「じゃあ、生まれたときの名前と違うの? だって、ぼくの妹も、友だちの弟も、生まれたときは、ちっとも喋れなかったもん」 「めんどくせえがきだー」 「ねえ、なんでアレン? ほんとの名前と、違うんでしょ。そうなんでしょ?」 「違うよ。ほんとの名前は、教えてやらんけど、Allenの意味は教えてやろうか」 どんな風の吹き回しだと、この場に自分の師が居合わせたならば笑われていただろうか。 子供は大きな瞳を瞬かせる。 昔話と呼ぶにはどうしたって違和感のある、少し前までの話だ。 死にもの狂いで戦っていた毎日。 少年はいつまで覚えていてくれるだろう。 「オレは、忘れちゃいけないんだよ。どんな事象も、どんな現象も。生憎記憶力には自信があるから、オレにとって記憶するっていうことは極々自然なことで、意識しなくたって呼吸するみたいに勝手になされる。だから本当は、自分の名前にする必要もないんだけど」 少年は、ふうん? と曖昧に相槌を打った。 悪性兵器のくだりは興味深そうに聞き入っていたくせに、関心のないものへの理解力は乏しいのだろうか。 「ずっとこの名前を使い続ける訳でもないしな、……だけどまあ、」 だけどまあ、の先が出てこなかった。 この先、この後に、一体何を言おうとしたのだろうか。 なんだ、なんだ、これに続く言葉はなんだ、と考えているうちに、少年は完全に思考を切り換えてしまったらしく、おなかすいたから帰るねとあっという間に出て行ってしまった。 「……なんだったんさ」 それから暫くして、オレが手近な文献を三冊程読み終えた頃に、またしても木戸が乱暴に開かれた。 「お前、またきたのか、」 「あれ、おじいさんまだ帰ってきてないの」 「あー、もうどこで何やってんだかな、さっぱりだ」 少年は手にしていた包みを傾いたテーブルの上に乗せて、早く食べてね、と言った。 「何それ」 「母さんが持ってけって。ファー・ブルトンていうお菓子だよ。おじいさんにも」 もしかしてこれを取りに帰ったのだろうかと一瞬思ったが、すぐに違うなと思い直す。 あれは本気でおなかがすいたから帰ったのだろう。 ついでというか餞別のようなものだ、たった四日だけの村民もどきへの。 「さっきの話、楽しかった。あんたの言ってることはよくわかんなかったけど」 「わかってなかったんか、やっぱり」 どうでもいいとさえ思っていたのではないだろうか。 それはそれで別に構わないけれども。 自分でもつまらない話をしてしまったと少しだけ後悔していたくらいだ。 「次に名前を変えるときは、ぼくの名前を使ってよ」 「……ディック?」 「格好いいでしょ?」 にこりと微笑む少年に、「アレン」は誰かの影を見る。 それはもしかしたら、ここへくるまでに犠牲としてきたもの、 「……覚えておこう」 わざと不遜な言い方をした。 五十一番目には、到底採用できない名だった。 0801214 アリスは欧米では一般的な名前なので、たとえ話の登場人物の名前としてもよく利用されたり、「Aさん」のかわりにアリスと言うらしいです。 しかしわたしはとてもありえないことをしでかした……orz |