眠った方がしあわせね

その青い痣を見たときぞっとした。生々しさが目に痛い。血が流れるのを見るのはどうにか慣れたのに、皮膚を隔てて血みどろになっているのかと思うと、どうも直視できなくなる。
誰の姿もないものと思っていた談話室には、先客がいた。何も触れずに彼の隣に座ると、「よう、リナリー」と彼が言ったので、私も無難な挨拶で返した。
「おみやげ」ん、と彼はどこか指差す。私は顔を向けることができなかったが、彼が何をおみやげと言ったのかはわかった。先程ちらりと見た限りでは、左眼が青くなっていたからだ。
「馬っ鹿じゃないの」手持無沙汰に、たまたま手にしていた本の表紙を捲る。「そんなのお土産って言わないんだけど」
「あ、やっぱり?」
「……どうしたの、ラビ、それ」
訊きたくはなかった、というより訊くつもりはなかったが、尋ねてほしそうだったので私は敢えて口にした。
「殴られちった」 「……誰に」訊いてほしそうな顔をしているくせに、彼はひと口にすべてを言わない。「アレン」
「アクマ、じゃないんだ」彼はここ一週間ばかり不在だったと記憶している。
「いや、」静かに、「あいつは悪魔だよ」
―――、あくま?」
「信じられんかったさ」
一体、彼が何をしたというのだろう。彼らは何をしていたのだろう。そしてそれを私は問いかけなければならないのだろうか。
少し躊躇って、踏み込んでほしいのかほしくないのか、彼の表情を盗み見る。彼はこちらを向いて私を見下ろしていた。青く、潰れた左眼と目が合ってしまう。ひやりとした。
「……気になる?」
「……誰がよ……ラビが気にしてほしそうだったから、どうしようか迷ってただけ」
「そっか」
「そうよ」
「オレお前にだったらなんでも話せるんさ」
唐突に、この男は何を言うのか。
「いきなりね」言えば、「話は変わるけれども、オレお前にだったらなんでも話せるんさ」と言い直される。
「……ふうん。それで? 何を話したいのでしょう、」
「オレ自信なくなっちゃった」
「自信?」
「アレンに好かれていると思ってた訳。これまでずっと」大胆な発言だった。
「……どう、言えばいいのか……わからないけど……何を、したの、あなたは」
「なんも、別に、ちょっと押し倒したくらい、」
「アレンくんを……?」うん、と頷き、「したら、ぼこり。遠慮なく。何も言わず。オレ、部屋追い出される。背後で鍵かけられた音がする。これは、拒絶ですかね?」
「……拒絶でしょう」
自然と溜息が零れる。押し倒した? どの口が、言うのだ。そんなことを。少し同情した。当たり前だが勿論ラビにではない。当然の反応をしたまでなのに悪魔と呼ばれた、彼の方だ。
「すっごい、みっともない顔」
右眼は黒く覆われて、左眼は青紫が主張している。そのありさまに呆れて出てきた言葉が、それだった。




次の日も彼はひとり、談話室のソファでぼんやり天井を見上げていた。深夜だった。
「またいる」
「お前こそ」
「わたしは息抜き、ただの。最近任務がないから、息詰まっちゃって」
「お前は戦いたいんか? アクマどもを、蹴り飛ばしたいんか」
「その言い方、やめてくれる」私が選んで蹴り飛ばしているのではない。アクマを破壊する方法が、私にはたったひとつ、蹴る術しか与えられなかった。それだけだ。だからラビのように槌を振り回したり、神田のように刀で斬りつけたり、アレンくんのように寄生型の力を授かっていれば、そのやり方で私はアクマを壊しただろう。―――救済とは、呼べずとも。
「でも戦いたいと思う気持ちは本当よ。私の中に平和があるのなら、限界まで戦う義務がある」
「義務ねえ……」ふうん、と相槌とも呼べないような、曖昧な相槌を彼は打つ。「オレは自己中な人間だから、」
「だから?」
「自分のことしか考えられねえの」
それはもしかしたら、戦場においての身の振り方だけではなく、アレンくんに対しての自分のあり方までもが含まれているのかもしれない。
「誰だって皆、自分が可愛いわよ」
「でもお前はオレとは違うから。大好きな兄を守るためなら、死んだっていいんだろう」
「愛してるからね」
すんなりと歯節から出た、なんとなく嘘くさくなってしまう語群のひとつ。
「オレには一生無縁なフレーズだな」薄く笑む彼。そうだろうなと、思った。
「あなたが愛なんて吐いた日には、何か兄さんにおかしな薬でも飲まされたのかと思っちゃうわ」
「ユウよりは、意外性ないと思うんけど」
「比べる相手が間違ってる」
「そーかい」口を尖らせて頭の後ろで両手を組む。
「皆にその顔のこと訊かれたりした?」
「まー、顔合わせた奴らには。でも全部違う答え方したさ。転んだとか、ユウにやられたとか、アクマの攻撃喰らったとか、まあ色々」
「転んでそんな痣ができたんだとしたら、反射神経が鈍っている証拠ね。手すらつけていないことになるんだから」
「はは、」自嘲的に歪む口唇を、彼はいつから使うようになったのだろう。「本当のこと知られるよりかは、ましかね」
「押し倒しただけでしょう。任務に支障をきたすと判断されたとき、ペアに指名されなくなるだけよ」
「でもアレンは教団に大事にされてるから」オレが切られるかもしれない、とぼそり。「んなことされちゃ、じじいに殺されるわ。まだ、そんときがきてねえのに。まだこんなとこでやめられねえのに」
今夜の彼はいやに饒舌だった。いつもならばこんなブックマンの事情とやらを話しはしないのに、彼は自ら、時期がくればたとえ戦争が終結しておらずとも教団を去ると、エクソシストをやめると、同義のことを言った。少なくとも私には、そう聞こえた。
「……そのときがきても、あの子を連れていかないでね」
好きで好きでしょうがないなら、そして彼も同じ気持ちを有しているなら、私に引き留めることはできないが。
「好きだと思ってんのがオレだけなら、そういう関係にはなれねーな」
現実を知る一言だった。






抒情的な口




090403
この後アレンも出てくる筈だったけどこれ以上脱線されてもね!←
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