(そうやって、いつまでたってもあなたはずるい男なの)



(たとえば、ほら、唯一無二の友が言ったとするじゃないですか。自分のことが好きだって。まあ、同性同士だとするじゃないですか。行き着く先は、まあ、自分次第なんですけど。自分は、拒むか、受け入れるかの二択だとするじゃないですか、っていうか多分そうなるじゃないですか。そのとき、いや、あのとき、僕はなんて言っていれば、今、こんな途方もない気持ちに、ならずに済んだかなあ、て、思う)









形 骸 と 笑 う か











殴り込みにきたんじゃないかと錯覚するような勢いで、朝一番に大家は告げた。「彼が自殺したって」。
突然のことに、変な冗談を言っているようにしか聞こえなかったので、性質の悪い嘘を言うものだなあ、なんて他人ごとのように考えてしまっていた。「彼って言われても、大多数を指しますけど」、なんて返した。ところが、あまりにも大家が必死の形相で僕の肩を掴むものだから、僕も本気で受け入れざるを得なくなった。大家は何度も繰り返した。「あんたんとこの、自殺しちゃったのよ」。どうやら嘘じゃあないらしい。
彼というのは、何度も確認したところ、僕と一緒に住んでいた男のことで間違いないようだった。シェア……していたということになるのか、ともかく彼と一緒に住んでいたアパートから何分もしない湖の縁に、彼のいつも履いていた靴と、それから手書きの遺書が置かれていたという。
「まだね、遺体の方は見つかっていないみたいなんだけど……」
「遺体……ですか」
「あ、ああ、ごめんなさいね、まだ生きてるかもしれないのにね」
はっきり言って、あの男が自殺なんてどうしたって考えられない。それはきっと他人だ。どっかの同姓同名の誰かと間違ってでもいるんだろう。
「あの……本当に、うちの……なんですか」
「勿論よ。だって目撃者もいるくらいなんだから。昨日、あんたんとこのが湖に向かってったところ」
「飛び込んだところを見た訳でもないでしょうに……確かに、彼は昨日から連絡も寄越さないし、帰ってきていないですが」
「ほら! やっぱりあんたんとこので間違いないよ」
「……なんですか? そんなに彼を殺したいんですか?」
「いやね、そういうつもりじゃあないけれど……」言いながら、どこか興奮している顔色だった。
「……とにかく、僕は彼を待ちます。本当に死んだっていうなら、そのうち腐敗して浮かんでくるでしょう」
「ちょっと、ウォーカーさん……」
「全身斑のぼこぼこに膨張した、人間とも思えない醜い姿で。……そうなると、ますます本人かだなんて特定できなくなっちゃいますね」
「あんた……怖ろしいこと平気で言う人だったんだね……!」
「平気な訳ないでしょう」それだけ言って僕はドアを力任せに閉めた。

彼が死んだ。ただ死んだんじゃない、自ら命を絶ったのだと言う。誰が? 周りの人間が。そんなことが真実あるのだろうか? 世界が滅びようとものうのうと、飄々と、生き残っていそうな男が? ……まさかだ。

日が高くならないうちに警察が僕のところへやってきて、彼の靴と遺書を僕に確認させた。僕は、彼のもので間違いないと答えた。……否定しようがなかった。だって靴のサイズも同じだし底の特徴的なすり減り方だって同じだし遺書に残された筆跡だって同じだったのだ。
「すみませんね、彼のことをよく知るのはどうもあなただけのようなので……」
「彼は……親戚とか、いないんですか?」
「ああ、知りませんでしたか? どうやらそのようですよ……天涯孤独とでも言うんですかね、という訳で、あなたのところへ」
「そうでしたか、……」
警察は訊くべきことだけを訊いて早々に引き上げていった。学生の頃から今まで随分長いこと一緒にいたような気がするが、僕は彼のことを大して知りもしないまま過ごしてきたことを思い知らされた。肉親も、何も、いない彼……僕は何も知らない。お気に入りの靴や、彼の書く字は見分けられても、彼の背景を僕は何も知らなかったのだった。
「今知ったって遅すぎる……」

晴れて社会人になるというときに受け取ったこのアパートの一室の合鍵。この部屋で彼に求められるまま差し出した末のこの仕打ち。イエスかノーか、ただ二択を提示されて選ばされた、けれども選んだのは確かに僕だ。そのときから彼は僕の弱みだった。初めの軽い気持ちから一転して、最終的には心の臓となった。僕を置いていくなんて、あんまりだ……。

……彼はこの日、死んでしまった。










それから一ヶ月程経ち、一階に住む大家に家賃を払いに行った先で、また不愉快な話に耳を傾けなければならなくなった。
「あの人、まだ見つかってないんだってねえ」
「……そうみたいですね。警察の方が、見つかったらすぐに連絡すると仰っていましたから。これ、今月分の家賃です」
「ああ、はい。……あんた、まだ待ってるの?」
「ええ、一応……」
内心ではもう待つ意味もないかもと思っていた矢先のことだった。
「あんた彼とできてたんでしょう! そうよそうよ、だっていくら同じ部屋に住んでたからって、普通ならもう見限ってるよ」
大家の心ない言葉に僕が傷つく必要はない。要するに、この人は噂が好きなだけなのだろう。人の不幸話を齧っては腹に溜めて、そうすることでしか生きられない人種なのだろう。
「……まあ、大事な人に変わりはありませんが……」
「可愛い顔してやることは俗っぽいのね! ふふ、あんた、毎晩毎晩化膿するくらいやられてたんじゃないの。彼ちょっと性欲あり余ってそうだったもんねえ」
何がおかしいのか、大家は下卑た笑いを堪えている。
「あの……、ちょっとお湯を沸かして出てきてしまったので……」
「ああ、そうなの。引き留めちゃって悪かったね」
「いえ」
僕が本当にお湯なんてものを沸かしていたら、今頃先日の警察の人にでも厄介になっていたかもしれないと思うくらいには、煩わしいと心底思った。

人の生活に、何故そこまで首を突っ込もうとする? 高尚な生き方ではないのかもしれないけれど、そこまで汚される謂れがどこにあると? 何かを愛するのに上品である必要なんかないだろう、ただ性別が同じという以外はやることも変わらないだろう、そう言う気も失せた。あの人間の前では何を言ったところで無駄のような気がした。そしてそれはきっと正しい。

たとえば、もしも僕があのとき首を横に振っていたら? ノーとはっきり拒否していたら? 彼と一緒にこうして生活することもなかっただろうし、多分二度と会うことはなかったと思う。
死ぬ前に見た彼はいつもどおり笑っていたのに。死にに行く人間には、とても見えなかったのに。





深夜、僕はもの音で目を覚ました。強盗か何かか、一度目を開けはしたもののそのまま閉じた。刺し殺されて死んだってよかった。近所の話のねたにされるよりずっといいと思った。
「……った」
強盗だかなんだかと思しき人物は、どうやら何かに躓いたようだった。よく知った声が鼓膜に飛び込んでいなかったら、僕は薄い毛布を被って音を遮断していただろう。
「ラビ……っ!?」
彼の声を聞き間違える筈はない、この僕が!
「え、うそ、嘘、まじで……やべ……!」
「らび、らび!」
狂ったように僕は彼の名前を呼んだ。この一ヶ月、彼の名前を口にすることは一度もなかった。
「ラビ、どこへ行ってたの、皆、皆言うんだよキミが死んだって……!」
うれしくて、どうしようもない程にうれしくて僕は彼に飛びついた。彼のにおいも本物であることに安堵して、僕は泣いた。
「……アレンごめん、オレは死んだ。もうラビじゃない。ごめん」
「……、なに、」
「お前の中のラビを、どうか殺して」
「……嫌……そんなの嫌……僕がどんな思いで、キミの帰りを待っていたと思ってるの」
彼はやさしく僕を引き離した。
「……さすがにもういねーだろと思って、ちょっと足りないもん持っていこうとしただけ、で。オレは」
「またどこかに行くの」
「いや、あのさあ、まだわかんない? オレ、お前から逃げようと思って、あんな面倒くさいことまでやったっていうのに、水の泡だ」
「どういう……こと……」
「オレが死にでもしなきゃ、お前はオレを絶対に離さないだろう。そんなお前のためと、オレのため、半々の計画だった」
「キミが死ぬことが、僕のためになる訳ない!」
「……なんでかな……初めの頃は、オレの方がお前のこと、好きだった筈なのにな」
「……今は、違うんだ……?」
「まあ、恋愛感情なんて、所詮電気信号だったってことさ。永遠だなんて思っているのはお前くらい」
「いらなくなったら、土曜の朝に簡単に捨てれるってこと!? それまでの過去と一緒に! キミは湖へダイブするふりをして、今日ここで僕と偶然顔を合わせてしまうこともなかったら、そのまま違う土地で誰か知らない人間とつき合って、そのうち完全に僕のことなんか忘れて……!」
「アレン、だって、仕方ないじゃんさ……オレの手じゃ止められなかったんだから……」
……止める気なんて、少しもなかったのでしょう。
「僕の方が死にたいよ、」
それはまさしく本心だった。今すぐにでもすぐそこの湖へ飛び込んで、みっともない姿になったっていいから、深い底へ沈んでいきたい。
「じゃあオレじゃなくて、お前を殺せばよかった?」
「そんなこと、キミにはできやしないでしょう……」
何故そんな意地の悪いことを言うのだろう、彼は。
「どうして」
「……罪を被るのが、嫌だから」
僕にはわかっていた。目の前の男は、決して自ら罪を犯すことをしない人種だと。何があろうとも、自分以上に大切なものは存在しないのだと。そんなことは、わかりきっていたことだったのに。
謦咳がひとつ聞こえて、やがて真っ暗な部屋に僕だけが残された。
(それでも彼は確かに僕の心臓だったのだ)










090807
綺麗な青だなあと思って使ってみたかった色。見にくかったらすみません。ああでもブラウザによって違うか……。
しかし……大家がいまいち定まらず……俗っぽいて! おやじか! 変態か!

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