ずっと隠し込んでいたのはあなたへの執着心と、ほんの少しの嫉妬だった。










人を殺したとき、一体何に手間取るか。人はこれに関して普段からあまり考えることはない。それはそうだ、僕たちのような生業の者とは違い、世間一般でのうのうと平和を甘受して生きている人間どもにはそういう思考は生まれない。何故ならそれとは縁遠い世界で生きているから。稀にその一線を自ら踏み越えてしまう馬鹿な輩もいるようだけれども、大多数はそうはしない。僕たちとは違った立ち位置で、僕たちとも交じることなく、そのまま生を終えることになる。寿命、という観念によって。
僕は、半ば強制的に引き込まれた側だった。
―――おい、」広がる闇の中で、僕を呼ぶ声のする方へ足を進める。「まだか?」
「とっくに終わってますよ、」
彼の黒髪黒目という姿は完全にこの暗闇と同化していた。加えて生来の性格が非情ということもあって、彼は僕らの中で一番この仕事に向いている。非情で、甘さなど、弱さなど、微塵も感じさせない。僕らを統べるボスに似ていると彼がよく言われる所以だ。一方の僕は影に飲まれることのない、真っ白い髪の色で―――どちらがよかったのかと言われると、どちらもたいした変わりはないと答えるしか、ないのだろうけれど。面白くないものは、面白くない。
「ならさっさと戻るぞ。いつまでも長居する訳にはいかない」
「ええ―――
短く返答した僕の後ろで、僕の嘘が破綻するのを誤魔化せる筈はなかった。小さな怪物が堰を切って泣きはじめたのだ。その小さい身体のどこからそれだけの大音量を捻り出せるのだろう、赤ん坊の甲高い声に苛々したように彼が舌を打った。
「お前、……見落としか? それとも、―――見逃しか」
「……見逃し、です」
彼の表情などこれっぽっちも窺えはしないけれど、おそらく侮蔑のこもった目で僕を見ているに違いない。夜目のきくようになった目が、すらりと刀身を抜く彼の姿態を捉えた。息の根を止めるつもりなのだ、彼は―――このまだ喋れもしない赤ん坊を。僕は抜身の刀を構える彼をじっと見つめたまま、そのまま泣き声のする方へ下がった。
「……どけ、」
低く唸るような声が耳に響く。僕は首を横に振ったけれど、それが彼に伝わったかどうかはわからない。じりじりと距離が縮まり、どん、と腰の辺りが何か硬いものに触れた。おそらく、赤ん坊の眠るベッドだろう。
「いいんだぞ、俺は。お前ごとそいつを切り伏せても」
「だって、まだ何も話せませんよ、この子は。何も見ていないし、何か覚えている訳もない。それなのに、神田、キミはこの子を殺すって言うんですか」
「喋れねえだとか、そんなのはどうだっていいんだよ。問題なのはその先だ」
彼は一体ここをどこだと思っているのだか知らないけれど、任務で使う道具といえばいつもその日本刀だった。銃の方が余程扱いやすいと言っているのにも関わらず、彼はそれを手放そうとしない。
「そいつは両親を何者かに殺された子供として生きることになる。そういうレッテルが貼りつく。生かしてやっても不愉快な事実が一生つき纏うだけだ」
「それならここで死んでいく方がましだって? そんなの間違ってる。そんなの、僕たちが決めていいことじゃないでしょう、」
―――甘いんだよ、てめえは」(それは限りなく、言葉による暴力だ、)。「だからいつまで経っても、お前ひとりに任されねえんだよ」
人を殺したとき、一体何に手間取るか。その答を僕は遠い昔に耳にした。目の前で殺された両親の亡骸を男たちはどう処理するかでいがみ合っていたのだ。僕はまだ小さくて、その恐怖から逃れることしか頭になくて、とにかく必死に見つからないようにするのに精一杯だったから、男たちが出した結論しか耳に入ってこなかった。彼らは単なる強盗に見せかけようと、あまりにも綺麗に殺しすぎた遺体に更なる傷を与えた。―――今でも思い出すと吐きそうになる。そう、彼らも、僕の両親も、裏の世界で生きる、そういうことを生業として糧を得ていた人間だったのだ。
「……この甘さを捨てたら、僕は、僕でなくなってしまう」
僕に事実と真実をもたらしたのは右顔を仮面で覆った、赤い髪の男だった。ただの強盗の仕業ではないことを誰にも言えないまま口を閉ざした僕の前に、その男は現れたのだ。そして選べ、と。報復か、安寧か、どちらかを選べ、と。不思議と迷いはなかった。片足を突っ込んだ時点でもう引き返すことはできない世界に、僕は躊躇もなく飛び込んだ。必ずあの男どもを捜し出し、同じ目に遭わせてやる―――それは、応報だろう。
僕はそのためだけに、この世界で生きている。この世界で、両親と、両親を殺した男どもと同じことをして、生きている。他人の命を奪うことで生を甘受している。ここに平和などない。安寧などある筈もない。黙っていれば続いていくような、表の世界で生きる人間どもの生とは勝手が違うのだ。
「阿呆かお前は」頬に冷たいものが触れた次の瞬間には、ちりっとした痛みと、肌の上を何かが滑り落ちていく感触があった。薄皮一枚切られたのだろう。「お前の感情論なんざどうでもいい。目の前の仕事を果たしさえすれば俺も文句は言わねえさ、」
「……ボスなら、こんな小さい子、きっと殺せなんて言わない」
「あの男のことを買い被りすぎなんだよ、お前は。俺に下った始末書には、一家全員が含まれていた。その赤ん坊も例外じゃねえ」
「キミに、ボスの何がわかるの」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ。お前はあいつの何を知ってる? このがきがいつか成長したとき、報復しにこないとも限らないだろう―――お前のようにな」
「それは……っ」
そんなことはない、とは言い切れなかった。始末書には単に人物の名と所在地や仕事場といった個人情報が記されているだけで、何故なのか、どうしてなのか、始末される理由は教えられない。もしかしたらこの赤ん坊も僕とまったく同じ境遇なのかもしれない。そう思うと、何も言えなくなってしまった。
「あの男は、自分の危険となるような種は蒔かない。おそれのあるものはすべて根絶やしだ。―――そういう奴なんだよ」
僕より彼の方が、ボスと過ごした時間は長い。どうしてだか悔しい思いがあるけれど、そういうことだ。僕の知らない側面を彼は知っている。ただ、それだけのことなのに。
彼は力の抜けた僕を突き飛ばした。頬に手をやると僅かにぬめり、赤ん坊の泣き声は、それからすぐにやんだ。



(20110629)
(以前やった請負屋とは違う、こっちはガチで殺し屋/そして謎の関係…^^)

inserted by FC2 system