言ってしまえばしょうもない攻防、笑える程に情けない。勝敗はまだ決してはいないが、そもそも何をもってして勝ち負けと呼べるのかさえわからないのだから、やはりオレは笑ってしまうのだ。ただ気の抜けた顔で気の抜けた炭酸を嚥下するだけで、こんな状況に陥っても真正面に座る男は何ひとつ気がつかないというのに。 「ディック、どしたんさ。思い出し笑い?」 隣から奪った銀色のナイフを投げ出すように、オレは目の前の空になった皿の縁を叩く。金属同士がぶつかり合う嫌な音がしたが、向かいに座るオレと同じ顔は微妙に歪んだだけだった。おい、と不服ありげな声が飛んでくるも、こっちは行儀が悪いと知っていてやっているのだ、はじめから謝罪などするつもりはない。 お前はどこまで天然ぶれば気が済むのかと、かわりにオレがその首筋にナイフを突き立ててやりたいくらいだった。たかだかファミレスの食器にそこまでの殺傷能力はないだろうが、力任せにやれば刺さるくらいはするのではないかと思う。何もこんなナイフでなくとも、お前のそれは計算か、ただぶっているだけなのか、もう何度拳とともに問おうとしたのか定かではない。同じ顔だからといって躊躇するオレではないのに、けれどいつも手を出す直前で、ふっ、と冷える。確かに頭に血が上っていた筈なのに、突然冷静になるのだ。おそらく世間では、これを我に返ると言う。 「なんだよ、今日はいつにも増してご機嫌斜めか」 「そりゃお前がいるからだろうが」 どちらが兄とか弟とか、そういう攻防も飽きるくらいには繰り返した。一卵性双生児だからといって同時に生まれた訳ではないのだから、当然先に生まれた者、後に生まれた者がある。向こうは我こそは兄であると主張するが、オレとしてはこんな馬鹿の弟になどなりたくもないのでその座を譲る気は毛頭ない。馬鹿と血が繋がっているというだけで目の前が暗くなるのに、この上、弟だと? 何故このオレが、お前の、下に、ならなければならないのか。いや、要するに血が繋がっているという事実自体をなかったことにしてほしいのに、どう抗ったってそれは不可能であることを知っているからこその攻防である。兄になど決してなりたい訳ではないのだ。この血の繋がりを解消したいのだ、オレは。 「はあ? 嫌ならこなけりゃいいじゃんさ、そしたらオレとアレンのふたりでくんのに」ちらりとオレとまったく同じ色彩の目を、オレの隣に座っているアレンに向ける。「なあ、アレン」 その言葉に、その行為に、意味はない。それはオレも、アレンも、よく知っている。 下校途中にファミレスへ寄り道するなど、どこの高校生でもやっていることだ。周りを見渡せば、オレたちと同じように制服でテーブルに着いている姿が沢山目に入る。なんともないことだ。なんともないことである筈なのに、オレたちだけは、このテーブルだけは、普通から逸している。 「おーい、アレン?」 「……あ、はい?」 ラビの、もとい馬鹿の数度の呼びかけでやっとアレンは反応を示した。きっとまた脳内でよからぬ妄想をおっぱじめていたに決まっている。その証拠に、明らかに恍惚といった顔をしている。 (これは、やったな) 「なーんか、最近のお前、変。心ここにあらずっていうかさ。なんかオレに隠してね?」 「やだなあ、僕がラビに隠しごとなんて、する訳ないじゃないですか。ねえディック」 そこでオレに振るのかと思いつつ、そうだなと相槌を打つ。アレンはいつも、ことラビに関してはおそろしい程に正直だった。今もその笑顔の下で、妄想での殺人の成功を噛み締めているに違いない。――それが妄想で済むうちは、まだ、オレも安心できるのに。 「あのねラビ、僕ね、昨日ラビの夢をみたよ。一緒にごはん食べてました」 「あ、だからなんか食って帰ろーってことになったのね」 無邪気にラビに話しかけるアレンを横目に、気づかれないように小さな溜息を吐く。四人がけの席にこういう配置で座ったのだって、オレが仕組んだことだ。アレンをラビの目の前に置くと、絶対に手が伸びるとわかっていた。それでも結局はナイフを握り締めた手を振りかぶろうとしたのだが、持ち上がる寸前でオレが止めた。ここでのアレンに現実と妄想の区別がついていたかどうかははっきりとしない。ただ、妄想と現実の境が曖昧になってきていることに気づいてからは、オレの懸念は一気に増した。 はじまりは――もう三年か、四年か。いや、三年前か。ふとアレンの口から吐かれた到底信じられない言葉をオレは聞いてしまったのだ。 「……ラビを……殺すしか、ないのかなあ……」 あまりにもぽつりとひとりごとのように呟くから、オレははじめ聞き間違いかと思った。けれど、そうではなかった。次にはっきりとこう言ったのだ。 「ディックも、そう思うでしょ? 僕はこんなにラビが好きなのに……絶対に、ぜったいに、彼は僕のものにはなってくれないんだよ。生きてる間は、絶対にね」 比喩ではなく、本当に虫も殺せないようなアレンが、そんな血腥いことを言う日がくるとは思わなかった。否、考えたこともなかった。だから、聞き間違いかと思った次には、冗談だと思った。けれどオレはそれが聞き間違いでも冗談でもなく、真実本音であったことを身をもって知るようになる。 「それで、今、彼女とはどうなんですか? うまくやってるの?」 「まあなあ、オレには勿体ないくらい、いい子だな。しっかりしてるし、何よりかわいい」 「ふうん……いいなあ」 「別に急がなくたって、こういうのはゆっくりでいいんだよ。焦んなくてもそのうちお前にもできるって、彼女くらい」 アレンの言っていることはおよそ理解できないが、この男のこういうところにはオレも殺意が湧く。何故こうも鈍いのか。それともアレンが羨ましがっているのは彼女という恋人の有無ではなく、単純にその彼女のことなのだと、ラビにそういう意味で好いてもらえる彼女のことなのだと知っている上ではぐらかしているだけなのだろうか? 馬鹿の分際で、予防線を張っているとでも? 顔だけではない、身長も体重も足のサイズも、耳の形も爪の形も、何から何まで同じなのにアレンはラビを選ぶ。どこを好きと言っているのか皆目見当もつかないが、それならおそらく器ではなく中身なのだろう。肉体の問題ではないなら、そういうことだ。 もう幾度もアレンはラビを手にかけようとしてきたし、オレはその度に必死で止めてきた。これがオレとアレンの攻防だ。けれど、アレンはオレの静止が入ろうが入らなかろうが、どのみち妄想の中でラビを殺している。あ、こいつ、殺したな、というのは見ていればすぐにわかる。今回もそうだったように、アレンは目的を達成するといつまでもその余韻に浸っていようとするのだ。アレンの気持ちはよくわからない。好きだから殺すという概念も理解しがたい。それでも想像上でラビを見事に殺し自分のものにした瞬間に、アレンの目は幸福を帯びる。 (……ああ、そういうことか、) オレは気づいてしまった。これは単なる予行練習だったのだ、あらゆる方法を試した上で、アレンは必ず、妄想したうちのどれかを実行しようというつもりなのだろう。そして、そこは紛れもなく現実世界だ。 殺めようとするその一瞬の、妄想と現実の区別がついていないと言うよりかは、おそらく反射的だ。脳味噌がどういうふうになっているのだか怖いもの見たさに一度覗いてみたいような気もするが、そしてこれはオレの勝手な予想にすぎないが、アレンは器用にもこうして実際にラビと話していながら、それと平行して妄想世界を成立させている。そして現実と妄想が食い違ったときに、無意識的反射とでも言えばいいのだろうか、妄想上と同じ動きを現実で行なってしまうのだ。 「こんなことなら、その彼女さんも誘えばよかったですね。ラビの横、空いてて淋しいでしょう?」 「ん、いーのいーの、そんな気、遣わんくて大丈夫だから」 「でもね、一回彼女さんと話してみたかったりするんです。ラビの、どこを好きになったのかなあと思って」 「うわ、そんなのオレの目の間で訊くなよ、恥ずかしいから」 「何を恥ずかしがることがあるんです?」 「ていうか、そういうのは、オレだけが知ってればいいんですよ」 「それもそっか」 何をどう解釈して納得したのかはわからないが、アレンはうんうんと満足そうに頷く。もう考えるのは疲れた。 オレたちのこの、異常としか呼べない関係は一体いつまでつづくのだろう。麗らかな午後、和やかな談笑、よくある光景なのに今のオレたちにはあまりにも不似合いすぎる。 「うお、見ろよアレン」ラビはそう言って、携帯の待ち受け画面をアレンに見せる。彼女とのプリクラ画像を待ち受けにしているのを見せびらかしたいのかと思ったが、そうではないようだった。「今日って、十三日の金曜日だぜ」 「ほんとだ。kill Mom!」 「なんそれ」 「知らないの? ジェイソンですよ。ほら、あの、効果音の。なんでも、気が触れてしまっている殺人鬼にだけ聞こえるとかなんとか」 「え、あれってそう言ってたん? うえ、怖」 今更、勝ち目などない。勝敗以前に、もともと勝負にすらなっていないのだ。だからラビのかわりにオレを殺せばいいとも言えないし、もっと単純な言葉だって、オレは言えないのだ。 「なんか、ふとした瞬間に、僕にも聞こえてくるような気がする」 「まあ確かに、あれは耳に残るもんな!」 (ちっげーよ、ばかやろう) そういう意味で言ったんじゃねえよ、などと、誰が教えてやるものか。絶対に。 |