たとえる間もない、単純な執着だったということを





「なんだか最近楽しくない」
それは、いつもどおりなんの変哲もない帰り道をいつもどおりアレンと横に並んで辿っている途中での、アレンによる、いつもどおりとは程遠い台詞だった。一体これの何がいつもどおりではないのかと普通なら思うだろうが、オレからすれば普通ではない。普通ではないというか、明らかに変だと言うしかない。
「……一応、今なんと言ったのか、もう一度聞こうか?」
今更言うことでもないが、そしてこの説明もどうかと思うが、アレンは常々オレの片割れであるラビを殺したいと思っているような輩である。何故、と聞くのすら愚問だ。何故なら訊いたところで誰も理解できはしないし、その上、追求することも憚られるような具合だからである。ただ一度だけ聞いたのは、生きている間は絶対に僕のものにはなってくれない、という謎の言葉だけだった。
「もう、また人の話聞いてくれてない。ディックって最近そうですよね、いつも上の空っていうか」アレンは不満そうにしながらもオレに話を聞いてほしいのだろう、文句の後につづけて、ただし声量は先程の二倍で同じことを繰り返す。「なんだか、最近、楽しくない!」
「だってお前さ……いっつも……いや……うん、」
「なに、言いたいことあるならどうぞ?」
だってお前いっつもラビを殺す妄想を脳内で散々繰り広げては悦に入っているのに今更楽しくないってなんだどういうことだ、と面と向かって尋ねられるくらいの度胸がオレに備えられているものなら、本当に訊きたいことだってとっくに訊けている。だからオレはここで口を噤むしかない。
「あのね……この間コンビニに売ってた世界の猟奇殺人みたいな本あったでしょ」
「ああ、ありましたね、そんなもの……」
コンビニでよく雑誌やらなんやらと一緒に棚を隔てて漫画などのコミックスが売られているが、その中に「世界の猟奇殺人」なるものが混ざって置いてあったのをアレンはいち早く見つけた。内容はタイトルを見て想像がつくように、世界で起こったあらゆる犯罪を取り上げていくというものである。そんなものに興味がないオレにはこんな膨大なページすべてに目を通すのも億劫なものだが、アレンにとってはそうではない。要するに、いついかなるときでもラビを殺す妄想を忘れないアレンにとってはバイブルとなり得るような本である。勿論アレンは繁々とそれを眺めた後、そして財布を逆さまにした後、オレにその本を手渡した。つまり購入者はオレである。そのとき、こいつ本気か、とでも思ったのだろう、店員の冷たい目が忘れられない。オレだってこんなのものほしくはないし金を払うのも馬鹿らしいし、何よりアレンに買い与えたくないのだと、そう言えたらどんなによかったか。
「それもね、一週間は持ったんです。あ、この方法いいな、これもいいなって色々考えて、でも一週間でそれも全部読み終わっちゃって」
「……飽きたってことか?」
「もう世界中の方法でやり尽くしたんじゃないかって思って……そしたらなんか、……そっか、これが飽きたってことか」
オレとしては世界中の方法でやり尽くした、否、殺り尽くしたというワードが引っかかったが、できればスルーしてこういう話は無視の方向でいきたいというのが本音だ。けれどここでそれを実行すれば途端にアレンが不機嫌になることは目に見えているし、何よりそうなったときが面倒くさい。
「じゃあもう、……」はっきり言おう、アレンの機嫌をなるべく損ねたくないというのも本心だが、こんなときどう返すのがベストなのか、これまでいくらでも出版されてきたHow to本にだって載っていないであろうものを、どうしてオレが今ここで考えつくというのだ。「もう、いい?」
何がもういいなのか、自分で言っておきながらオレにもよくわからない。出てきたのはもはやオレがもういいと言われそうな、面接ならばすぐさま落ちるような、とりあえず駄目出ししかされない返答だった。そして当然のごとく、アレンからも何がもういいのかと尋ね返される始末だ。
「もういいって、何がです」
「だから……」もしかしたら、これが最終チャンスかもしれない。チャンスというのもなんだかあれだが、これを逃すともう二度と訊けない気がして、オレは腹を括る。「……なんでお前は、あいつを、殺したい訳」
「僕の質問に答えてないですよ?」それでも仕方がないなというようにアレンは溜息を吐く。「言ったこと、ありませんでしたっけ?」
「いや……軽く聞いた程度っていうか。好きだから、殺したい? だっけ?」
「なんだ、知ってるんじゃないですか。それだけですよ、僕の理由なんて」
それがどうしても理解できないのだ。好きだから殺す、というのはどう考えても正常な思考ではない、常人ならそこまで辿りつけない。だってオレなら――好きだから、いつまでも一緒にいたいと思うのに。隣にいて、同じ温度で、思い出を共有することが、オレにとっては至福なのに。けれどそれはきっと、一番知ってもらいたい人間には知ってもらえなければ理解もされないのだろうと思うと、すべてを投げ出してしまいたくもなる。
「……ラビは今日も彼女とデート、だっけ」
「ああ、うん、そう言ってたな」
「彼女のこと、本当に大好きなんですね。ラビが一番うれしそうにするのは、彼女のこと話すときだもん」
いつもはオレとアレン、それからラビの三人で帰路に着いていたが、ラビに彼女ができてからはこうしてふたりで帰る日が多くなっていた。あんな馬鹿と同じ空気を吸っていると考えるだけで背筋に悪寒が走るので、オレにとっては大変好ましいことでも、当然のことながらアレンは違うようだった。というより、おそらく楽しくないのだって大本はそれが原因だろうと思う。オレは無駄な期待をすることをやめたのだ、アレンやラビに振り回されても結局疲れるのはオレだけで、報われないのもオレだけなのだとわかってしまったから。
「僕なんか、到底勝ち目がないってことは、わかってる。どうして僕は女の子に生まれてこなかった……これなかったのかなあって、いっつも考えるけど、考えたところで、でしょ。ラビってどうしてあんなに女の子に好かれるのか、ディックは知ってる?」
「いや……」
オレはあいつが最高に嫌いだから知る訳がないし第一知りたくもない、というのは飲み込む。アレンはオレのしょうもない攻防など、到底知る由もない。
「ラビってね、好き! って、顔を、するんです。女の子ってそういうの、好きでしょう。相手の気持ちが見えてると、こう、安心するっていうか。それで、彼女と一緒にいるときの、そういう、相手のことがすごく好きって顔、僕もう見たくなくて――殺しちゃえたら、もう、僕だけのものになるなあ、って、思って」
「アレンは……なんで、あいつが好きなの。自分のこと見てくれないって、わかってても、なんで、」
笑ってしまう。オレたちの馬鹿げた関係性には、思わず笑ってしまう。アレンもオレも似たようなものだ、いや、それどころかまるきり同じだ。好きなのに思いを告げられない。向き合わない矢印と、存在しない終止符にいつまでも苦しめられているのがオレたちで、脳天気にしあわせを噛み締めているのはあの馬鹿だけだ。
「ディックって、意地悪ですよね」アレンはそう言いながら傍らに立つオレの腕を掴む。「あの顔を僕にも向けてほしいなって思ったら、もう駄目だったよ」
オレだって同じ顔なのに。認めたくはないがまったく同じ顔なのに、アレンはいつだってオレを見てくれはしない。オレを見ながら、その向こうのラビを見ている。これがどんなに酷いことであるか、当の本人はまったく自覚していないというのだから救いようがない。オレはこの立場に甘んじなければならない。そうでなければ、アレンの隣に立つことは、できないのだ。
何故、と思う。どうしてオレはこんな、こんな、人を殺したがっているようなやつを、それも自分と血の繋がっている人間を、好きになってしまったのだろう。最大の、謎だ。
「わ、ねえ、どうしたの?」
この気持ちが伝わらなくてもいい、もうそんなのはどうだっていい。殺したい程好きなのが誰であっても、それがオレではなくても、女々しいと思われようが構わない、オレはアレンのそばにいたい、それがどんなにつらかろうが惨かろうがオレは、
――お前が、どうした、?」
片手で両の目蓋を覆うようにすると、微かに目元が濡れているのに気づくとともに、腰に回された腕にも驚く。
「きみが泣くと、僕も苦しい」
アレンはオレの胸に顔を押しつけて、くぐもった声でそう答えた。
「……泣いてんの」
「泣いてるのは、きみだよ」
指摘されて漸く自分が涙を流していたことを知る。すぐに止まりはしたが、何年ぶりに泣いただろう。小さな泣き声を上げるアレンの頭に手を置くと、猫っ毛でやわらかい髪をゆっくりと撫で回す。
(こいつの前で泣いてしまうとは、なんたる不覚……)
「ラビが……好きなんだろ。いいのかよ、あいつ以外の男に、こんなことして」
「ラビのことは勿論好きだけど、でも、ディックのことだって、好きだもん。きみが哀しいと、僕も哀しいんです。そんなことも知らなかったの?」
ずる、と鼻水を啜る音がする。アレンの言葉をどこまで信じていいのかわからないが、それでもこうしてくれたことに、オレだけのために泣いてくれたことに喜ばない筈がなかった。たとえその好きが、オレと同じベクトルではなかったとしても。
「だって、お前はいっつも……ラビ、ラビって」
「だって、ラビはいっつも、僕が呼ばなきゃこっちを向いてくれないから。でもきみは、……いっつも僕を見ててくれるでしょ? そういうことですよ」アレンは埋めていたオレの胸元からそっと顔を上げ、オレを仰ぎ見る。「もしかして、不貞腐れてたんだ?」
「……そうだよ、悪いか」
「悪くない」
へへ、とアレンははにかんだように、どこかおかしそうに笑う。ああ、好きだなあ、と、思った。これはもう一種の病気のようだ。どんな薬でさえ、効かない。身体に巣食う病魔にはどうしたところで抗えないのだとオレは知った。些細な言葉だけで報われた気がするのだから、既に末期なのだろう。手遅れとはまさにこういうことを言うのだ。
「あっ、ラビ!」
底抜けにうれしそうな声を上げて、アレンはオレから離れていく。アレンが走っていった方を目で追うと向こうから今一番見たくない人間が歩いてきていた。残念ながらデートは取りやめになったとか、じゃあ一緒に帰れるねとか、ふたりのそういうやり取りをオレはただ眺めている。そうすることしかできないからだ。アレンの、好きだ、という顔は、アレンの、好きだ、という声は、ラビにしか向いていないのに、オレが一体何を言えるというのか。
「ねえ、ラビ、好きな子からのチョコなら、そうだな、たとえば毒が入ってても、食べれちゃったりする?」
「そうさね……愛してるからもらっちゃうかもしれんけど……てか、なんでまた急に」
楽しくない、つまらないとぼやきながらも最終的にアレンが求めるのはやはりラビで、アレンが脳内で殺す算段をするのもラビだけだ。もうやり尽くしたというのならきっとその瞬間はもうじきの筈だった。そのときオレは一体どうするのだろうかと考えて、そのおかしさにはっとする。どうするかという選択肢は、これまでのオレには絶対に存在しないものだったのだというのに。
(でき得ることなら、こんな自分に気づきたくはなかった)
「だってもうすぐバレンタインでしょ。ラビはもてるからなあ、一個くらいそんなの混ざっててもおかしくないなあとか、思ったり」
「お前好きな子からって言ったじゃん、混ざってるとかの前に、オレは好きな子からしかもらいませんよ」
「なんだあ、残念。僕からのも受け取ってもらいたかったのに」
「お前もそんなに安売りすんなって、そういうのは、本当に好きな奴にだけ渡せばいいの」
(どうしてお前はそんなに鈍感でいられるんだ、)
さっさと毒入りチョコレートでもなんでも喰らって、オレの目にも、アレンの目にもつかないところで死んでくれ、などと、その鈍感ぶりに思わず手が出そうになったのは、オレだけの秘密だ。永遠に。






絶対的哀歓とその終着

20120126//シリアルキラーその後。またしてもお題を頂いてやってみたんですが結局ディックだけがどん底に。もうどうしようもなかった……
チョコレートのくだりははくはさんにアイディアを頂きました。ありがとうございました^///^

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