ガゴンッ! 尋常ではない音の後には、明らかに動作が停止したと取れる箱の傾きと無音が待ち構えていた。普通の人間ならば、正しい反応は次のようなものではない。 「これってもしかすると、密室だね?」 まさにわくわく、という擬態語が相応しい。目を爛々と輝かせて彼は私に尋ねた。確かにそうなのだろうが、彼にはときどきついていけなくなる。 エレベーターの扉がチンという音を鳴らして閉まると、一面異様な空間が広がった。なんだここは、第一にそう思ったその矢先のことだった。このエレベーターがなんらかによる不具合で止まったと知ると、彼はすぐにはしゃぎ出したというのは、先程のとおりである。 「ウォーカー、まず第一に言いたいことはそれですか」 「えっなんで。密室じゃないんですか?」 「密室でしょうね」 「なら、それで」 密室って言葉自体がどきどきするよね、などと見当違いな発言をしながら彼はくるくるとその場で回りはじめる。本当に、ついていけない。そもそも一体何がどう異様なのかと思うだろう、しかしこれは、誰が目にしても皆一様に同じ感想を抱くと思う。――正常な、人間であれば。 「きみ、周りを見て何か他に思うことはないのですか?」 「何かって……なんです」 ああ、頭が痛い。もしかするとこんなに気にしている自分の方がおかしいのではないかとすら思ってくるが、やはりそんなことはない、筈だ。私は正常である、筈だ。 「……私には、ここが密室である以前に、不吉な場所のような気がしてならないのですが」 「ふきつ……?」うーん、と彼は唸り、首を傾げる。「……どの辺が?」 「見なさい、ほら、この壁と床のありさまを!」 つい声を荒げてしまったが、ウォーカーはええ、だとか、んん、だとかいう不満げな声をあげて渋々ともう一度箱の中を眺める。 「……黄色いですね」 「そして!」 「…………赤いです……?」 「……少し、納得いきませんが……まあいいでしょう」 私は一息吐き、もう一度周りを見渡す。壁一面、勿論天井も床も、目に痛い原色の黄色で染められている。ここの管理者は頭がおかしいのではないかと思う程だが、それだけではない。更に気分が悪くなるのが、この、 「ああ、わかった」ウォーカーはここではじめて納得がいったとでも言うように、手のひらに拳を打ちつける。「血みたいなんだ」 「……そこまで辿り着くのが遅すぎです」 「だってリンク、なんだか懐かしい気がして」 「懐かしい?」 うん、と彼はひとりごつように呟く。 「父が死んだときも、こんな風でした」 彼が目線を落とした足元には、センスの悪い、血溜まりのようなペイントが広がっている。誰かがここで多量に吐血したか、それか夥しいまでの血を流したようだ。彼はするりと撫でるように、同じく血が飛び散っているように見える壁に手を這わす。 「本当に……うん、懐かしい、かな……血をだらだら吐き出して、血が湧き水のように溢れてくる腹を押さえて、苦しそうにもがく父の姿を僕はこの目で見たんだ」 「ウォーカー、きみは一体……」 「こんなの誰にも話したことはないです。きみがはじめて」 それは光栄と思うべきか否か。彼は、けれどなんの意図があって私にその話をした訳でもないのだろう。私が何か言う前に、もう一度けたたましい音とともにエレベーターの駆動音が響き出す。 「あ、動きましたね。折角の密室だったのに……」 「……何か事件でも起こってほしそうな口ぶりですね?」 「リンクってば、そういうこと言っちゃうんだ。うーん、まあ、巻き込まれるのだけは勘弁ですよね」 「……きみにはついていけません」 「それね、何回も聞いてる」 そうだっただろうか。私はてっきり、はじめて彼に言ってしまったと思ったのだが―― チン! 「やっと到着だ」 黄色く塗り潰されたドアが漸く開かれる。するりと抜け出る彼につづき、私もこんな忌々しい空間から早く出ようと思ったのに、それはかなわなかった。くん、と背中に垂らした髪が引っ張られる。私は後ろにバランスを崩す。背後にはエレベーターしかない。無人の、気味の悪い箱しか。振り返った彼は驚いたように目を見張る。そして、――懐かしげに微笑む。 「え、?」
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