高尚なる魂の器とやらを/20120317



何が目的か。自らの命を延ばすための金か、それとも死へ向かう自分への哀れみか。そんな疑問が頭を掠めたが、もう何もかもがどうでもよかった。僕は死ぬ。今度こそ死ぬのだ。それは抗うことは決してできない、突き詰めれば宿命という言葉に落ち着くだろう。
僕と対照的にどこも欠けたところがない月が暗澹に重くのしかかる。だらしなく口を開け、その口端からだらりと糸を垂らすさまがかろうじて見えた。肺へ酸素を送り込もうと必死なのだろうか、僕の腹の上では陸に打ち上げられた魚が暴れている。みっともなく頭を振り乱す気品のかけらもないその女は、やがて低く呻いたかと思うとその痩せ細った身体で僕の精を飲み込んだ。情緒など微塵もない。今夜は満月ということもあってかいやに明るかったが、女の顔は自身の赤い髪で覆われてしまってほとんど認識できなかった。
あれだけの行為を強いておきながら、ああ、痛そうね、だいじょうぶ、と女は掠れた声で僕に尋ねた。とはいえもう痛覚すら四肢とともにどこかへ吹っ飛んでしまった僕にはなんの意味もない問いだ。みぎても、ひだりても、みぎあしも、ひだりあしも、ないなんて、かわいそうな子よ……おお神よ、とでたらめな身振りを披露する女には、おそらく修道の知見などない。だから僕の左胸にも見向きもしない。
だらだらと血液だけが抜けていく不思議な感覚に身を委ね、僕はこれまでの人生という人生を反芻していた。死ぬことはわかりきっているが、その瞬間がいつまで経っても訪れなかったためだ。そうしているうちにどこかからやってきたこの女は僕を見下ろし、そして笑った。色々と欠けている身体が血潮とともに地面に横たわっているその図を眺めて笑う神経を疑ったが、僕は思いがけず嘲笑を頂いてしまったという訳だ。それからは、何故このような行為に及んだのか、女の考えることは後にも先にもわからないという教訓を得ることになる。
女は襤褸のようなものを着ていた。継ぎ接ぎすらない、ただ袋に穴を開けそのまま被ったような汚らしい布だった。ただ灰を被ったような赤髪だけは、きっと洗えば綺麗に映るのだろうと思った。行為を終えてやっと知ったことは、女は僕がとても好きな色を携えていたということだった。
衝動的に両手を伸ばすも肩が僅かに揺れただけに終わった。僕には両手両足がなかった。奪われてしまったものを今更取り返そうという気にもならない僕は、やはりここで死ぬのだろう。女がぐっと背中を丸め顔を近づける。女の落とす影で見える筈もないのに、それでも僕は女の瞳に懐かしい色を見た。
闇が降りてくる。
赤い髪と緑の瞳に、僕は美しい思い出を持っていた。





(おお神よ、)
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