死に絶える
(暗い日曜日)






 何もかもがどうでもよくなったのがほんの数日前、それから彼はただのひとりきりで眠った。小高い丘の上に建てた小さな家(それを、楽園と呼ぶ男がいた)は、すっかり温度をなくしてしまっているようだった。住人は彼と、もうひとりの男だった。男の名前は__といった。
 庭には季節ごとに色とりどりの花が咲いた。花の名前などいちいち覚えてはいられなかったが、__は蕾が開くたびに彼に説明してみせた。そして枯れるたびに、来年もまた綺麗に咲かせるから、そうしたら今度こそ覚えろよと笑っていた。咲いたらな、と彼も頷きを返した。
 本当はどうでもいいと思っていた。このまま何ごともなく気ままに暮らしていけるだけで、ただそれだけでいいと思っていたのだ。それを口に出したことはなかったし、態度で示したこともなかった。
 その日常に区切りがついた。突然、と言ってもいい。背後から伸びてきた手が、彼の身体の自由を奪った。ごめん、と耳元で小さく懺悔が零れた。彼が友愛だと信じて疑わなかったものが、肉欲の伴う恋であったのだと、__自身によって暴かれてしまった。たまらない嫌悪感が口から流れ出た。
 彼はひとりになった。決して受け入れられる筈の感情ではなかった。自分の気持ちに蓋をしてそばにいることはつらいからと、__は数年の住処とした家を出た。引き留める意味も、理由も、彼にはなかった。
 そして彼はひとりになった。誰も手入れのしない庭は見る間に荒れて、__がいた頃のように花が咲き乱れることもなくなった。風に乗ってただよう花の香りも、眩いような鮮やかな花の色も、何もかもが失われた庭で、彼は__の姿を探すようになった。いるわけもないのにその存在を求めて走り回った。それでもやはり__はどこにもいないようだった。
 当たり前だ。引き留めなかったのは彼だった。彼にはわかっていた。もはや会うことは叶わないと。
 かろうじて残っていた花を摘んで両腕に抱え、ふたりきりで暮らしていた家に持ち帰った。なんの花なのか、まるでわからなかった。名前を教えてくれる約束だったなと思い返しながら、約束を破ってしまったのは果たしてどちらだろうかと、奥歯を噛み締めた。そうでもしなければ喉の奥から悲鳴が零れてしまいそうだった。涙だけは絶対に流さないと決めていた。
 去って行ってからそれほどの月日が経っているわけでもないはずなのに、彼の中では永遠にも等しい時間が流れたような気がしていた。__がいたからこそ彼は楽に息をしていられた。__がいたからこそ、ひとりではないと思えた。
 楽園にただひとり命が終わるまで、もう二度と帰ってこないと知る者を待つのは苦しかった。こんなことを考えるのは裏切りだろうかと、なんのにおいもせず、なんの色もなく、死に絶えた庭を彼は窓辺で眺めた。戻ってこないと知っていた。期待も持てなかった。それでも万が一、何かの奇跡が起こって__がこの家を訪れたとき、彼の目が見つめているのはその者だけだろう。
 暗い日曜日。失って気づいた平穏の日々よ、その日々の眠りはなんと穏やかだったことか。





(20110724)
わるいおとな/ばかなこども
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