もう一度、中尉の言葉を心の中で繰り返す。 『エドワード君は死んでなどいません』? まさか。そんな筈はない。死んでいないものか。確かにあれは私の目の前で死んでいった筈だ。酷い勘違いである訳がない。私は自信を持って言える、鋼のは死んだのだと。 私の手によって息絶えた軟弱者。けれどもし仮に、鋼のが死んでいなかったら? 有り得ないことではあるが百歩、いや千歩譲って鋼のが生きているとしたら? なんのことはない、免罪である。彼を追悼する必要も、彼を殺したことについて責められることもないのだ。喜ばしいことではないか! 「勝手に死なせてはエドワード君が可哀相ですよ。ですがあなたにこれ以上言っても仕方ないようですし……明日の昼頃、もう一度ここへきますから、外に出かけられるように用意をしておいてください」 中尉は、決して今のような格好ではなく、とつけ加えるのも忘れなかった。無精髭はやはり剃った方がいいのだろう、今の忠告からして。 それから中尉は私に夕食を用意してから帰った。 私は久しぶりに美味しいと思えるものを口にしたので、今までの食生活は余程荒んでいたのだと改めて自覚した。何せ殆どが酒であったのだ。それはもう食事でもなんでもないし、健康にも悪い。せめてこれからは自粛しよう。 明日になれば何か変わるかもしれない。けれども今の私にとって外へ出る、出かけるという行為はものすごく勇気のいるものであった。外の空気に触れれば、何か余計なものばかりを思い出してしまいそうで。 そして、それは大抵、心の奥にしまっておくようなものであるのだ。だから私は極力外へは出ないようにしていた。 ……ここ一週間ばかりの話ではあるが。 *** 明くる日の昼頃。約束どおりに彼女はやってきた。玄関のチャイムが鳴り、朝早くから支度していた私は素早くドアを開けた。 「おはようございます」 中尉は律儀に挨拶と礼をしたので、つられて私も同じように彼女に頭を下げてしまった。 「支度は済ませておられますか?」 勿論だ。私はひとつ頷くことで肯定を示した。そうですか、と中尉はやはり内情をちらりとも見せず、平然と返答しただけだった。 「では、行きましょうか。表に車を停めてあります」 当たり前のように家の前に駐車してあったのは軍用車だった。私はそれの助手席に乗り込み、中尉は運転席に座った。 車に揺られどこかを目指す間、私たちはひたすら無言で前だけを見詰めていた。運転中なので当たり前だったが、ひとつも会話が弾まず、それは彼女が緊張している所為でもあるのだと漸く悟った。しかしその沈黙に耐えきれず、私はずっと訊きたかったことを尋ねた。それはつまり、行き先のことである。それについて彼女は「すぐにわかります」と詳しいことを教えてはくれなかったが、私もこれ以上何も訊けなかった。 時折がたりと車体が揺れる他はこれといって何もなく、その内に私たちを乗せた軍用車はある施設の前で止まった。中尉は私を騙したのかもしれなかった。 白い外装と赤い十字。明らかに病院である。 私はてっきり鋼のに会わせてくれるのだと思い込んでいたので、はっきり言ってしまうと、肩透かしを食らった感が否めない。 「大佐、着きましたよ。降りてください」 窓がいくつも並ぶ外観を見上げながら、私は中尉の後をついていった。と、何故か中尉が足を止める。どうしたのかと問う前に、私はあるものを見つけてしまった。 エントランスに立つ、小柄な人影――― 気づくと私は彼の名前を叫んでいた。それはまるで、止まっていた時間がやっと動き出したようであった。私の心といわず身体でさえも一瞬にして軽くなり、身体中の血液がものすごい勢いで巡っているのを感じた。 中尉の言葉どおり、あの子は死んでなどいなかったのだ! 「……どうして」 小さく漏らすのは中尉で、どうしても何も生きていると言ったのは中尉ではないか、私はそう彼だけを見詰めて言った。 「大佐?」 何故だか訝しがる中尉の声も無視し、私は駆け足になるのを堪えて彼に近づく。まだ実感が持てなかったのだ。彼が本当に生きているなんて。もしかしたら都合のいい夢なのかもしれないと、私はそれ程期待をしないようにした。 彼は私の姿を目に留めると、少しばかり驚いたような面持ちで、探るような目でこちらを見ていた。しかしそれはすぐに笑顔へと変わる。 「よ、大佐。元気だった?」 そう尋ねてくる彼は、紛れもなくエドワードであった。 back |