8:否定と裏切り





「困ってるみたいだねぇ? 鋼のおチビさんと弟君」


何故この男が現れたのかはわからない。けれどオレたちの計画をどこで知ったのか、どこから漏れ出ていたのかも、問い詰める気にはならなかった。だからどうしたんだという開き直りも多少含まれていたとして。

「助けてあげようか?」
にっこりと、不気味な程にっこりと、そいつ―――エンヴィーは唇を歪めた。
「僕なら、君たちがやろうとしてることを、助けてあげられるけどな」
エンヴィーはそう言って、オレたちが望んでやまなかったものを取り出した。手にすっぽりと収まってしまうような小さな瓶の中、宵闇の中ではよく見えないけれど、微かに赤く光るもの。それを掴む日をどんなに望んだことか。
「欲しいんでしょ? これ」
暗闇の状態でもよくわかるように、エンヴィーはそれを、見紛うことなき賢者の石を親指と人差し指で掴みひらひらと揺らした。
別にこいつが持っていたって何もおかしいことではない。というより、人造人間が賢者の石を持っていて当たり前。だって彼らはそれを核として生存しているのだから。ただ、そんなことよりも気にかかるのは。

「……どうしてそれを僕たちに?」
アルがオレの考えを代弁するように、ゆっくりと慎重に問いかける。そう、それが一番知りたいところ。それを知るまでは、エンヴィーに対する警戒が緩まることはない。
「んん? 『どうして』? それに理由がなければならないのかな、君たち的には。喉から手が出る程ほしいものだって思ってたけど?」
気持ちの悪い笑みを顔に貼りつけたまま、茶化すようにエンヴィーは言う。
「それに正当な理由がなければ、君たちはこれを受け取れないの? 言っとくけど本物だよ。正真正銘、賢者の石だ。なんなら確かめてもらっても構わないけど」
「確かめ……?」
「これがあれば、君たちがよく言う代価とやらもいらないんだろ? これってすっごいことだよねぇ。錬金術に疎い僕でもそれくらいはわかってるつもりだよ」
確かにすごいことなのだ、それは。それさえあれば人体錬成だって成功するかもしれないのだから。

人体錬成は諦めたつもりだったし、間違っていたのが理論でも構築式なんでもなく、オレたちだったということを自覚していても、それが一縷の望みであることに違いなかった。
賢者の石がほしい。手に入るのなら、どんな汚いことだってする覚悟だった筈だ。それが今目の前にある。それなのに、掴まない理由がどこにある?

「兄さん……」
ごつん。オレはアルを小突いた。あいつのことだ、躊躇している暇はない。脈なしと判断すれば、すぐに食べるなり砕くなりしてしまうだろう。人体錬成云々は後にして、今は石を手に入れる方が先だ。
「アル、兄ちゃんは、覚悟できてるから」
面白そうに見ていたエンヴィーに向き直り、オレは手を差し出した。
―――ふぅん……いいの? あいつは。ていうか君たち、今何してるかわかってる?」
「わかってるさ」
あいつ、という代名詞が誰を指しているのかはすぐにわかった。これも覚悟の内、だ。誰だって利用できるのならとことん利用してやる。オレたちはそういう領域に足を踏み入れてしまっているのだから。何も罪の意識を感じる必要はない。
「ならいいけどね。僕にはさして関係ないし」
どうでもよさそうに呟き、エンヴィーは賢者の石を軽く投げて寄越した。
「あっぶねぇな! 壊れたりしたらどうすんだよ!」
「大丈夫だって。別に壊れものでもないし。……んでさぁ、まさかこれがタダとか思ってる訳、ないよね? ここが重要なんだけど」
「……等価交換とでも言うつもりか?」
「ご名答! そうだよ、等価交換だ。これ程のもの、まさか善意であげる訳にもいかないしねぇ。怒られちゃうもん」
エンヴィーが誰に怒られるのか、それがその場のノリ程度で言った言葉なのかはわからないけれど、取り敢えずそれは無視することにした。
「等価交換て、なんなの? この賢者の石と同等なものがあるとは、到底思えない」
「アル」
「だってそうでしょ兄さん。大体こいつがこんな話持ちかけること自体おかしいよ! いいように騙されてるのかもしれない!」
「あのさ……騙すも何も、賢者の石はもうおチビさんに渡しちゃったし、騙しようがなくない? 取引だってこれからだし、おチビさんは逃げようと思えばそれ持って逃げることだってできるでしょ? 人聞きの悪いこと言わないでよ。だからこうしてさぁ、君らに試してもいいよって出血大サービスしてやってんのに。中々ないよー? こんなビッグチャンス。ていうかこれ逃したら一生ないかもね。うん、ないね」
エンヴィーの言うことは尤もだ。試してこそいないけれど、おそらくこれは本物の賢者の石だろう。それにエンヴィー一人くらいなら、隙を突いて逃げ出すことだって可能だ。見つかってしまう前にことを済ませてしまえばいいだけの話。
「確かにエンヴィーの言うとおりだ、アル。こいつはムカつくしいけすかない奴だし信用なんてこれっぽっちもできないし人のこと何遍もチ―――から始まる単語で呼ぶけど、こればっかりは、さ。賢者の石なんてそうころころ転がってるもんでもない。オレらがこうして石に巡り会える、ましてや手に入れることができる機会なんて……」
「だけど僕はさ……大佐を裏切るような真似、したくないんだよ。あの人には本当お世話になった。いい人だよ、とっても。僕たちなんかのことを気にかけてくれてさ。だからこそ辛いんだ」
大佐が、いい人、か。お前の目にはそんな風にあいつが映ってんだな、アル。
「お前は、知らないのな。あいつのこと。エンヴィー、ちょっと試させてもらうぞ」
「お好きなよーに」

アルとの会話を強制的に終わらせ、オレはエンヴィーの了解を得る前に、賢者の石が収められた小瓶の蓋を開けた。
「ちょ……っ、待ってよ兄さん! なんなのさ、あいつのことって!」
「……あいつはお前が思ってる程、人間できてねぇってこと」
手のひらに転がる赤い石。人間の命が詰まった、石。
「突けば崩れる、脆い奴だよ。確かに世話にはなった、だけどそんなのはただの罪滅ぼしさ。昔犯した罪のな……」

両の手のひらを合わせる錬成方法は、オレ自身が構築式、錬成陣なんてものは必要ない。脳内でイメージし、起こる錬成反応。手慣れた動作だったけれど、何かが違う。



「裏切り者―――いや、裏切る者、かな?」


響くエンヴィーの声音。空中に赤く燃え上がる火柱。
この莫大な力を誇る石こそ、賢者の石―――


錬成を終える頃に、砂利が擦れる音が聞こえた。





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