自分たちの他には誰もいないものと思っていた。暗闇に閉ざされた裏路地での取引を、誰かに見られることを少しも考慮していなかった自分が甘かったのだろうか―――それも今となってはなんの意味もないということを、オレは知ってしまったけれど。 錬成した炎が赤々と燃え上がる中で、それは、まっすぐにオレを見つめていた。鋭く冷たい瞳―――大佐は、やがてゆっくりと口を開いた。 「……見損なったよ」 『ミソコナッタヨ』? その言葉に、一瞬オレの思考は停止した。彼は、見ていたというのだろうか。オレたちがあろうことか人造人間と取引をしているところや、オレが大佐を「人間ができていない」と評価したことを。 オレが、賢者の石を使用し、錬成を行ったことも、全部見て―――? 「ちっ、違うんです大佐! これはその、ちょっとした間違いで……っ」 「間違い? 何をどう間違った結果だというんだね、この状況を」 アルが意味もない否定を試みるが、大佐の表情は更に険しくなるばかりだった。それが当然の態度なのだろう。これはオレたちが今まで支えてきてくれた人をあっさりと裏切ってしまった結果なのだから、文句は何ひとつない。―――ただ。 「アル、お前はもうこれ持ってどっか行ってろ。ここはオレがなんとかするから」 オレの隣で大佐に向き合うアルに小声で告げ、賢者の石をこっそりと手渡した。 「なんとかって、どうするの!?」 「声でけぇよ! 大丈夫、時計台の下で待ってろ。すぐ行くから。……ここまできたんだ、今更それ、奪われてたまるか」 理由が理由なだけに、アルは何も反抗せずに駆けていった。オレたちのことをどう思われても構わない、ただこの石だけは、賢者の石だけは。 「ちょっとおチビさん、こうなったからにはちゃんと責任取ってよね。あと対価!」 「わかってるよ。でもそれも後だ、全部後回し。今は大佐をなんとかしないと……」 なんとかと言っても、その「なんとか」が思いつかない。 「―――話し合いは終わったかい? 鋼の。どう説明してくれる気なんだろうな」 こう、大佐にあからさまな嫌悪を向けられると、どうしてだか胸が痛む。ああ、もうオレのことは―――なんて、馬鹿なことを。 大佐は、そいつは、と顎でエンヴィーを指し示した。 「君が以前言っていた、人造人間とやらではないのか? 君の話しぶりからして、てっきり敵だと思っていたが……認識を謝ったかな?」 大佐はなんとも意地の悪い言い方をする。 そういえば、エンヴィーと初めて遭遇したときに大佐にも報告していたな、と思い出す。第五研究所に忍び込んだオレは、二人の人造人間に出会い、殺されかけたのだった(微妙に違うけれど、まあ似たようなものなのでいいとしよう)。 「まあ、敵だけど……このとおりさ、説明なんか必要ないだろ? 今はこいつは敵じゃなくて、取引相手だ。オレは、オレたちの夢が叶うならなんだってするんだよ。そんなのあんただって知ってた筈だろ。だから……」 「だから? 『だからオレは悪くない』とでも言うつもりか?」 「悪いのはオレだ。そんなの知ってるさ。許してほしいなんてことも願わないし、わかってくれなんて都合のいいことも言わねぇよ」 ここで泣くのはとても卑怯で姑息で汚いというのに。泣きたくもないし、大佐に弱みを見せたくもないのに。どうせこんなことを言ったところで、何が変わる訳でもないのに。 なみだってなんで、こんなときに? 「泣くくらいなら始めからしなければいい。……というよりも、泣けば済むとでも思っているのか? 私が訊きたいのはね、鋼の。どうしてこうやって、私を裏切るような真似をしたかということなんだよ。それともなんだ、信じていたのは私だけだったのか?」 大佐は口にこそ出さないけれど、きっと、きっとオレは最低な奴だと思ったに違いない。当たっているから、救えないのだけれど。当たっているから、笑えないのだけれど。 本当に、こうやって泣くくらいなら始めからしなければいいのに。自分が悪いのだとわかっていて、この行為。最低じゃないならなんだ、最悪か? 結構、ショックだな。こういうのって。覚悟なんか、全然できてねぇじゃん―――格好悪。 「……おチビさん、大丈夫? 辛いなら逃げてもいいんじゃない」 エンヴィーがそっと耳打ちする。 「悪いけど、却下だな。逃げるなんてオレのプライドに反する。あれ、ポリシー?」 「どっちでもいいよそんなん。よかった、平気みたいだね」 「ナーバスになんのは得意なのだけど嫌いなんでね」 「はは、そりゃいいや」 やっぱりおチビさん好きだな、なんていう思いも寄らないエンヴィーの告白は無視を決め込み、さらりと流した。こいつと話をしていると大佐の不機嫌メーターが上がりまくってくるので、いつ焼き殺されるかわからないという心配もあったのだけれど。 「もう大丈夫だ。今度こそ覚悟したから」 最低なら、最低の中の最低になってやる。堕ちるところまで堕ちてやる。そうして行き着く先がどこだって構うものか、ただアルさえいれば他に何もいらない。あんたはオレのシナリオから纏めて削り落としてやるまでだ。 「じゃあ僕も手伝ってあげる」 「………………」 「そんな疑わしい目で見なくてもよくない? これはただの善意みたいなもんだよ。僕が勝手にしたいだけ。アーユーオーケィ?」 「ったく……はいはい、おーけいですよ。よろしく頼んます……じゃあ、」 こいつ―――エンヴィーは敵なのにな、と思いつつも、手を取ってしまうオレはやっぱり最低で、最悪な裏切り者なんだろうな。大佐の目には、絶対にそういう風に映っている筈だ。こうして手を組んでしまっているのだし。 「―――……なあ、大佐」 今だから言えるけれど、オレはあんたが嫌いじゃなかったんだよ。ムカつくけど、子供扱いしないで、一人の人間として見てくれていたところとか。でもオレが苦しんでるときは、やさしく頭撫でてくれたりして。なんか母さん思い出したりしてさ、そういうところが好きだったのに。過去形ってのも、なんだかなあと思うけれど。 「オレを燃やしてくれちゃってもいいよ」 今だから言えることなんだってば。だから、ごめんって、謝っておくことにするよ。あんたのそんな情けない顔が見たい訳でもないんだからさ。 ああでも。あんたはどうしようもない意気地なしだから。 「どうせあんたの罪は、オレ一人殺したくらいじゃ変わんねぇくらい重いだろ? なあ、イシュヴァールの英雄さん?」 オレは最後の最後で毒を吐いて、死んだ――――――――――― あいつの中、で。 back |