11:空白劇





長い夢を見ていた。およそ思い出したくない夢。路地裏で目撃した裏切り。

「………リアルにも、色つきでな」

サイドテーブルに置かれた時計を見やると、十一時。太陽の光がカーテンの隙間から差し込んでいたので、まず夜ではない。社会人としては好ましくない時間帯であった。
まあいいか、どうせ仕事はない。何時まで寝ていようが勝手だ。そう思い直し再び目を閉じるが、閉じたら閉じたで頭の中で様々な記憶が映像となり、巡り始める。

エドワードの裏切りを目撃したこと。今考えるとなんともない言葉に乗せられて殺人を犯してしまったこと。それから様々なことを見限り自堕落な生活を送るようになったこと。中尉が私の家を訪ね、美味しい料理まで作っていってくれたこと。殺してしまったと思っていたエドワードに出会い、喜んだこと。次の邂逅で彼に会った際に私は彼に問いかけたが、彼は答えられなかったこと。
そんな私の人生を変えたすべてのものごとが、巡り始める。しかし私は、そこである矛盾点らしきものがあることに漸く気づいた。

「答えられなかったのは、思い出せないからだったか……?」
二度目にエドワードに会った日から二日過ぎていた。
彼が忘れる訳はないのじゃないだろうか。あの日の切羽詰ったような彼が口にした言葉を、まさか自分自身が。

「天才錬金術師」と謳われる彼のことである、それくらい覚えているのではないかと思う。それどころか、根深く記憶に残ったのじゃないだろうか。
そういえば、と思い当たることがもうひとつある。彼の弟、アルフォンスはどこへ行ったのだ? 彼ら兄弟はどこへ行くにも、鬱陶しい程にいつも一緒だった。それなのに、私はあの路地裏でのできごと以来、一度も会っていないのだ。エドワードには会っているのに、アルフォンスには一度も。姿さえ見かけたことがない。エドワードの右手が生身に戻っていたので、きっとアルフォンスも元に戻れたのだろうが。
「成功したなら、私に一言くらいあってもいいだろうに。……それも無理な話か」
私は彼を殺しかけていたのだし、さすがに報告はしずらいだろう。
それにしても、と私は大きく息を吸い込み、吐き出した。
「……なんてタイミングの悪い………あれを私が見ていなければ、こんなややこしいことには―――
―――ならなかっただろうに。これは生憎と声にはならなかった。喉が乾燥していて痛い。
「視察など、滅多にするもんじゃないな……」

螺旋を描きながら、私は更なる闇へと深みへと嵌っていく。逃れられない、罪を犯した者の宿命を背負いながら。

人を殺すことも厭わない、それどころか当たり前な環境にいた所為か、本当は罪深き殺人をどこか軽んじている自分がいる。けれど実際はそうではない、そうであってはいけないのだ。人の命を奪っていい理由などどこにもない筈だし、それが例え戦争であっても許される訳ではないのだから。
けれどもこうして自覚していながらも、今更この固定観念を変えることはできそうにない。五年前のシュヴァールの内乱で、私は多くの人間を殺しすぎた。いくら軍上層部からの命令だったとはいえ、本来大衆のためにあるべき錬金術を施行し、エドワードを焼いてしまったときと同様に、数多の命をこの手で奪った。

救われていたのは、私はエドワードを殺していなかったということ、たったひとつだ。私が殺めた者たちを数えるには両手ではあまりに足りなさすぎるけれども、それはそれで救われることであった。どうせこんなもの、ただの気休めにしかなりはしないのにも関わらず。
私はまだ人間だと、そう信じてみてもいいのだろうか。


「信じるも何も、あんた人間じゃなかったら一体なんなんだよ」


はっとして勢いよく起き上がる。
「オレもあんたもおんなじ。錬金術使えても、そんなの全然関係ない。ただの人間さ」
「鋼の……」
に、と彼は笑う。あの日のことなど、少しも気にしていないような笑顔で。
これは……私の都合のいい幻か?
「自分は悪くないとか言って、けっこー気にしてんじゃん、オレのこと」
「……私は殺していない。君を殺してなどいないぞ」

「バーカ。殺したとか、殺してないとか、それ以前の問題だっつーの」
瞬間。
「はが―――
僅かな音すら立てず、彼は大きく揺らいで、消えた。
―――ね、の」

周りをいくら見渡したところで、相変わらず殺風景な部屋が広がるだけであった。誰かがきた様子もない。私だけ。この部屋の中には私だけ。
「何を、期待しているんだろうな、私は。白昼夢なんか初めてみたぞ」

禁忌を犯し、世界から目を逸らした子供を救った。日の当たる場所へ送り出した。彼らの力になりたいと思ったのは嘘ではなかった。だから彼らに提供した。軍属になるという、ひとつの手段を。けれどもそれは、本当に彼らのためだったのかと問われれば、すぐさま「イエス」と頷くことは難しいのだろう。私が犯した罪を償うために、あの子らを利用しただけにすぎないのだ。
今になって悔やんだところで、なんの意味もないから。だからあの子たちを、重い罪を背負ったあの子たちを、利用した。助けるふりをして、そうすることによって、自分が救われていたのだ。

彼を国家錬金術師になるよう勧めたのは私だ。果たしてそれが、彼らにとって最善の手段であったのだろうか。軍に頭を垂れるよりも、彼らの故郷で穏やかに過ごしていた方がよかったのではないだろうか。
……汚い大人もいたものだ。

―――休日出勤とでもいくか……」

実際は休日ではなかったけれども。





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