器をつくるのが母で、魂をうずめるのが父だということはわかっている
な瘡蓋

「そもそも、盟友とは何か君は知っているか?」
「え、なんか、同盟みたいな?」
「そんなものだね。約束を結んだ仲という意味だよ。私は彼と、ある約束をしていた」
「約束……?」男は空を仰ぎ見るそぶりをした。本当に空を眺めたのかはわからない。「どんな?」
「極めて単純なものだ。『お互いを裏切らないこと』、というね」
「裏切らない……?」
「味方であり続ける、つまり決して敵には回らない、困ったときは手を取り合って、悩んだらなんでも相談、などなど」
「……うーん……どうなんだ、それは……ちょっと度が……いやいやいや、なんでもない」
オレには特に親しい男友だちというのがいなかったから、これが度を越しているのかどうか、判断するのは難しい。ただなんとなく、いきすぎているような気もする。
「言ってくれてもいいよ、気持ち悪いとかね」
「見かけによらずしつこいなお前」
「どう見えているのかはわからないが、私はこう見えて、他人がどうも信じられない性質でね。苦労してきたもんだ、なんせ頼れる人がいないんだからな。――でも彼だけは違ったんだ。私がおそらくはじめて信じることができた人間だ。それだけで、特別だった。彼は唯一大多数に埋もれなかった」
――聞いてい? なんで、その人、死んじゃったの」
「つまらんことさ。私が彼の死を助長した」オレの面食らった顔に少し笑って、彼は続けた。「……彼が死にたいと言ったので、その手助けをしてやったんだ」
「え……なに、どういう……まさか、お前が殺したんじゃ――ないよな?」
「勿論断ったよ。お前を殺すことはできないってね。そうしたら、じゃあ死ぬ用意をしろって言われたんだ。それにはさすがに吃驚したなあ。――でも困ったことに、約束の方が強かった。……俺は目の前で彼が死んでいくのを見ていた。最高のトラウマだよ。一生あいつを呪ってやりたいね」
もっとも呪ってやろうにもこの世にいないんだが、と男は軽快に笑い飛ばした。オレは途方もない思いを抱えて、男を眺めていた。何故か、赤の他人でなんの関わりもない人間なのに、この男の行く末を憂えた。
「変だよ……正気じゃねえ……お前ら、なんなんだよ……まじ気持ち悪い……」
「しかも、私はどうして彼が死にたがったのかわからずじまいだ。しょうがないからこうして、彼が命を絶ったこの場所で、最期に彼が何を思ってここから飛び降りたのか、知ろうと思ったんだよ」
最後まで話し終えて、男はさて、とオレの方へ向き直る。今気づいたのだけれど、男の瞳はとても綺麗な黒色だった。何も混ざっていない光彩が珍しくて、思わず見入ってしまったくらいだ。何やら腹立たしいので、言ってはやらない。
「次は君だよ」
「あん?」
「私の身の上話は粗方済んだし、次は君の番だろう」
「……理由なんか、ねえって言っただろ」
「『原因なくして結果は起こり得ない』、と私は言った。私ばかり話すのはフェアじゃないな」
確かに、深く訊いたのは自分だ。かと言ってオレはやっぱり語る程の話はない訳で、どうしたもんかと詰まる。足は痛いし、まったく踏んだり蹴ったりである。
「……なあ……価値のある子供って、どんなだと思う?」
けれど気づいたら、そんな言葉が口をついて出てきた。何故こんなつまらないことを訊いたのだろうか、いたたまれなさが酷い。オレは橋の高欄に両腕を乗せ見えもしない川底を眺めるようにして、男の視線から逃げた。立ち上がるだけでも強烈に痛むのに、身を乗り出す気なんてもはや起こらない。男もそれを悟ったのか何をされることもなかった。
「価値、とは」
「たとえば、賢い、とか。たとえば、愛嬌がある、とか。役に立つ、とか? ――オレだって知んねえよ、ただ、オレは価値のある人間になれなかったから、なあ、と、思って」
「なんだそれ。君だってまったく、意味不明だよ」
「両親の……大失敗作なんだな、オレってば。誤ってつくり出されたんだってさ。間違いでできちゃって生まれちゃったとかって。こんなの本人たちから言われたことじゃないけど、もう確かめられないし――ならいっそ、会いに行きゃいーんじゃないのってな。いわゆる天国ってとこまで。ロマンティック思考万歳」
「……どこがロマンティックなんだか……いや、しかし、その言った奴に訊けばいいじゃないか、普通に」
「やだよ。適当に返されそうだもん。それこそ、信じられない」
「そうか……なあ、君、天国なんてもの信じてるのか? 意外だな。そういうの、嫌いそうに見える」
「信じちゃいねえよ。でもないとはっきり言えるものでもないだろ。選ばれた奴しかみえないのかもしれないし、その逆もあるかもしれない。ま、信じたいっていうのが本当かな」
「何故?」
「何年も前に死んじゃった両親が一体どこへ行ったのか考えたら、楽園だのなんだの言われる天国が一番いいかな、って思っただけ。色々苦労した人たちだから、そういうのとは無縁のとこにいてほしいの、オレは。どうよ、ロマンティック思考じゃね?」
「むしろ、ドリーマーかな」
空よりもっと上にあるらしいその場所はオレなんかじゃとても手が届きそうにない。みえないし、だから信じているのではないけれど、願っているのだ。あればいいのに、というくらいの、ささやかな願望だ。
両親が事故でふたり仲よく突然に逝ってしまった後、顔も見たことのないような親戚に吐かれたのがあの暴言だった。間違いだとか言われたってオレにはどうすることもできないし傷ついた訳でもないのだけれど、男の言うように、その言葉に至るまでの経緯を疑問に思った。何故あんなことを、オレは言われたのだろう。殆ど他人に、何故あんなことを言われなければならなかったのだろう。遺産狙いかと訝しんでも、遺産という程のものは遺されなかった。取り立てて立派な家に住んでいたのでもない。思いつく限りでは、価値のあるものを持っていないのに。なら、一体どんな意図で? 意味は? ――そこでオレは、『生きてるのってめんどくさい』に到達するのだ。生来の面倒くさがりに拍車がかかった考えだった。
――さて、」今度そう切り出したのはオレだった。男の方へ身体を捻り、背中を欄干に預ける。もう日も傾きかけていた。「じゃあ、そろそろ死ぬ?」
「ああ――そうか、そのためにここにきたんだったな」
「とぼけたこと抜かすな。そうじゃなきゃ、こんな人気のない場所こねえから」
「確かにね」
男は長いこと地面に下ろしていた腰を上げ、手でズボンの汚れを払う。美しく死にたくないと言っていた人間の行動としては、ちぐはぐだと思った。
「私は別に後でも先でもいいんだが……君は先がいいんだったか?」
「うん、そう。男の後を追って死ぬみたいで嫌――
嫌だと言いかけたところで、急に何かが振動する音がした。――携帯か、しかもオレの。
「携帯? ブーブー言ってるが」
「ブーブーてなんだよ、やべえ、電源切ったんじゃなくて、マナーにしてたのか」ポケットから男の言うところの『ブーブー』という振動を生みだしている元凶を掴み出すと、着信はまさかの人物からの、「……弟だし」
ああ、バッドエンド。なんというタイミング。
「君、弟がいたのか!?」
「いたよ。なんでそんな驚いてんだ」
「だって、まるでもう家族はいないみたいに言ってたから……ああもう、本当に君は紛らわしいな!」
「うるせえな! 勝手に勘違いしてんのはお前の方だっつってんだろ、さっきから!」
出るべきか、否か。迷いどころだった。着信と言ってもメールではない。弟から、今まさに電話がかかってきているのである。――どうしてオレはこの文明の利器を、馬鹿のひとつ覚えのように携帯しているのだ!
「何してるんだ、早く出ろ」
「命令すんな! ……くっそ、」力任せに通話ボタンを押す。耳に流れ込むのは、能天気に響く弟の声だ。今どこにいるのかと、早く帰ってこいと、言っている。オレの気持ちも、この状況も何ひとつ知らずに。「ああ、うん、すぐ……帰るから、」だからオレは、そう返すしかない。
「帰るのか」携帯をしまうと、男が言った。「じゃあ、君は生きるんだな」
「……もう死ぬ気にはなれない。弟が一番大事だから、あいつの声聞いたら、駄目だ」
こうなることがわかっていたから、携帯の電源を落としておこうと思っていたのに。ボタンの場所の全然違うマナーモードを選択したのは、偶然なのだろうか。ロマンティック思考、いや、ドリーマー? どちらでもいいけれど、これが偶然でないなら、誰かに生きろと言われているみたいだ。
「でも運動会みたいにすぐ中止になる訳じゃないんだ、雨天だからって」
「と言うと?」
「弟が死ぬまで、延期」
弟を見送ってから、オレはここから飛び降りよう。たとえ極寒にやられて川の水が凍りついていようと。
「ふむ、それなら、私と君はここでお別れのようだ」
「そういうことだな」
「精々健やかに過ごしたまえ、まじで」
「死ぬ程似合わないので、やめた方が無難だと思います、まじで」
あと使い方もおかしいと言えば、男は若者言葉は難しいと笑った。
ろくに別れも告げず、死にたがりを何故だか引き寄せてしまう橋から足裏が離れたとき、後ろを振り向くと男は欄干に肘をついてこちらを見ていた。
――じゃあな、ロイ!」
一瞬驚いたようにしていたけれど、大きく右手を上げたオレに倣うようにロイも笑って手を振り返してくれた。それから彼がどうしたか、どうなったかは知らない。ただ彼のことだから、きっとオレの言ったとおりにしてくれるのだろう。そんな確信があった。

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