( ぼ く と き み の 祝 福 さ れ る べ き 出 会 い は ) 


人間には大きくふたつに分かれる――とかってよく言いながらも、実際人が言うその手のものはものすごく沢山ある。なのでここではオレ的意見でいこうと思う。この世には無言が気まずく思える人間とそうではない人間がいる。生まれてから約十年生きてきてはじめて意識したことだ。今日わかったことなのだけれども、隣を歩くロイ・ウェゲナーという奴は確実に後者の人間であり、対してオレはこの場面では確実に前者の人間であるらしい。
オレたちを取り巻くのは無言故のだんまりという厚い空気で、もはやオレの胃は僅かずつ萎んできているような気がするし、更に言えば背中のランドセルだって心なしか重さが増した気がする。オレってこんなに口下手だっただろうか。誰と一緒にいたってこんな日常で会話が途切れるようなことはなかったと思うのだけれども、今は普段どういう話題がのぼっていたのかも思い出せない。それくらいの薄い会話しか交わさないということだろうか、ああ。
「…………、」
沈黙はオレの知る限りはじめての経験というやつであり、だからだろうけれどもこのえも言えぬ静けさが痛い。小心者の器かはたまた別の何かか。とにもかくにも、オレとロイって相性がべらぼうに悪いのではないかと首を捻らざるを得ないところではある。
しかしながらこっそりとロイを窺ってみても、その顔は飄々としていて何を考えているか、この状況をいかように思っているかなんてわかったもんじゃなかった。小心者の反対は――大心者? なんだそれは。けれどおそらく器がでかいに越したことはないのだろう、ポーカーフェイスなんてのを一度でもいいから気取ってみたいオレとしては。
どうしてくれようかこの状況。母から耳に胼胝ができる程言い聞かせられたことは勿論、「転校性にはやさしくしてあげなさい」だった。ロイは先日遠からず近からずなところから越してきて、我が家の隣の空き家に運送業者と交じって荷物を運び入れている子供を母が見てからずっと言われてきたことだったのに、初日からこれだ。先が思いやられるとはまさにこのことだろう。
「あー……」通学路を一言も発せずに、このまま終着駅という名の自宅まで辿り着くことになるのだろうか――と思った矢先のロイだ。「もしかしてもしなくても、お前って俺のこと苦手?」
「……は?」
予想の斜め上を行く彼の発言に、思わず目を見開く。
「ずっと黙ってるから。仏頂面だし」
「いや、お前程ではない……」
(というかお前に言われたくねえ)
「俺のこれは生まれつき、でもお前のはそうじゃないだろ。どんな奴とだって仲いいところ、見習いたいくらいなんだけど」
「そう! それがオレの筈なんだ!」
そうだそうだ――ロイのように転校してきたばっかの奴であろうが歳の差があろうがなんだろうが誰とだってすぐに仲よくなれるというのがオレの最大にして最高の長所なんだった! なのにこのロイといると、どうもオレというエンジンは調子が出ないらしい。アクセルは確かに踏んでいる筈なのに。
「嫌なら無理して一緒に帰らなくてもいいって。家が隣ってだけで、別に絶対仲よくしなきゃいけないなんてことはないんだから」
「いやいやいや、嫌ってことでは……ないと思うんだけど……」ああ――歯切れが悪い。「なんだかなあ、と、自分でも思ってはいるんだ! こんなの全然オレじゃない、本当はずっと話題を探してんだけど、なんだろ、そういうのお前が相手だと、ちっとも出てこないんだ! 要するにこれは、スランプだ!」
「だからそれはきっと、俺みたいなタイプがお前は苦手なだけで……」
「違う!」それはきっと違う、「……多分」
こういう場では曖昧な言葉は避けるべきなのにオレときたら! けれどロイの反応はそれまでとは打って変わり、あの第一に顔を合わせたときから決して崩すことのなかった仏頂面に、なんと――笑みが現れたのだ。彼は少し目を細めて、穏やかそうに口元を綻ばせた。
「多分て……お前ってすごい正直なんだな」
「……あ、わかった」
「うん? 何が、」
オレはフェンスを軽々と超える特大ホームランでも打ち放ったかのような感覚を覚えた。野球経験なんてほとんどなかったけれども。むしろバットすら握ったことがなかったけれども。
「お前、笑えよ! オレお前がなかなか笑ってくれないから、どうしていいかわからなかったんだ! と、思う。だから」
久々のホームイン――否ロイに対しては初のホームランアンドホームインだ。これで気分は見事に爽快である。
「そんなこと言ってきたの、お前がはじめてだよ。変わった奴」
そういう風にもう一度ロイは笑ってくれた。それがなんだか無性にうれしくってしょうがなかった。
「なあ、お前ってひとりで暮らしてるんだろ?」これが母が口を酸っぱくして言い含んでいた最大の理由である。オレと同い年のくせして、彼は既に自立した生活を送っているのだという。「なんか不便なこととかないの? うちの母さん、いつでもご飯食べにこいって言ってたよ」
「大丈夫だよ、完全に俺ひとりって訳でもないんだ。ご飯とか、掃除とか、色々世話してくれる人雇ったし」
「うお、何、家政婦ってやつ? なんだよお前、あんな広い家にひとり暮らし、その上家政婦まで雇っちゃうって。どこのおぼっちゃまだよ」
「ああ、まあ――うちの親父、金だけはあるんだ」一瞬、それは自慢かと思ったけれど、彼の表情から察するにそうでもないらしかった。彼は心底うんざりしているといったように、顔を歪めて父親と呼んだ。「むしろ、金しか持っていない」
「ロイ……?」
「ごめん。なんでもない」
彼の本心がわからず眉根を寄せてしまうオレに、彼は困ったように笑って謝った。
(そんな笑い顔ならいらないのに)
「……ロイは、自分の父親、嫌いなの?」
「んー……」彼は一度躊躇って、俯いたままオレに答をくれた。「嫌い、だな。この世界で一番嫌いだ」
「なんで?」オレはその返答について深く考える前に、疑問の念をそのまま口にしてしまった。「なんで嫌いなの」
「……俺の父親ってさ……本当に、金が大好きでさ。金のために生きてるの。母さんと結婚したのだって会社のためだし、家の中も、赤の他人が三人同居してるようだった」
「会社のためって、どういうこと?」
質問尽くめになってしまうけれど、ロイはそれに対しては嫌そうな顔もせずにひとつひとつ答えてくれる。打ち解けて間もないのに、ここまで根掘り葉掘り訊いてしまってもいいのだろうかと思いながら、オレはロイのことならなんでも知りたいとも思っていた。ロイという人間を知って、もっと仲よくなりたかったのだ。
「あの人、社長だから」
「しゃ、しゃちょう……」
あれか、あの、会社で一番偉い人。
「それで……母さんもご令嬢だった訳で……とにかく、両親とも最近になって海外行くことになって、じゃあオレはこっちに残るって言ったら、好きな学校に通え、と」
「それで、好きにした、と」
「そう。子供に金だけ与えておけば万事済むと思ってるんだ、まともな人間の考えることじゃないよな」
ブルジョワという階級に属する人間をはじめて間近に目にしたけれど、沢山お金があったならそれはもうしあわせな生活を送れるとばかり思っていたオレは、ロイの辟易とした態度に驚いていた。世の中お金よりも大事なことがあるのにと、ロイはそう言いたげで、オレはどういう反応を取ればいいのやら見当もつかない。ロイはそんなオレを見て、またあのうれしくない笑顔をつくる。
「ごめん、もう、終わり」
「あ、……」
「俺のつまらない話より、お前の話が聞きたい」
すぐに気を使ってくれたのだということはわかった。訊かなくてもいいことまで訊いたのはオレなのに、申し訳なさそうにするロイに、逆に申し訳なくなった。
「……エドワード」え、と驚くロイに面と向かう。「エドワードって呼んで。――もう、友だちだろ」
オレは多分恵まれているのだ。父さんはあまり家にいないことが多いけれど、オレや弟にやさしいし、母さんも勿論、やさしい。お金だけ与えられて後は好きにしろなんて言われたこともなければ、これからもないだろう。他人なんて思ったことはない。皆オレの家族だ。
「同情なんて、いらないぞ」
まっすぐなロイの目を、オレはこれから先も逸らすことのないようにしよう。誰よりも彼のそばにいよう。
「お前のこと好きになった! だから、名前で呼ばれたいんだよ」
それは何よりの本音だった。ロイのことが好きになった。だから他人行儀にお前お前と呼ばれるよりも、名前を口にしてほしくなった。
「エドワードだよ、ロイ」
再度促すと、彼はうれしそうに顔を綻ばせてオレの名を呼んだ。そこには日向の情景がちらつき、初夏も過ぎた今頃に、もう一度春が訪れたのかと錯覚した程だった。


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