( ぼ く た ち が 生 き て い る 世 界 は あ ま り に も 小 さ か っ た ) 


終業式を終えた後のホームルームで、担任から通知表や美術の作品やなんやらを受け取ればもうこんなところに用はない。オレの大好きな夏休みのはじまりである。長期休暇につきものの沢山の宿題だって、学校に拘束される毎日に比べればなんともない――けれど今年の夏休みはそうもいかないのかもしれない。オレの一番の親友の機嫌が、すこぶるよろしくないのだ。きっと原因はオレにあるのだろうけれど、ロイがなんとも言わないのでわからないままだった。
「エド、今日俺んち寄ってけヨ。ラッセルもくるっテ」
「ごめん、今日はちょっと……」リンに断りの言葉を口にしながらも、オレの目は黙々と帰り支度をするロイを追っていた。呆れしか込められていない溜息をリンは零す。「まーたあいつカ……そのうちお前も、あいつみたいに友だちいなくなるゾ」
「……ロイは、友だちらしい友だちいたことない、と思う」
「本気カ!?」
「小学生んときから知ってるけど、見たことないから」
ロイという人間は一見とっつきにくいように見えるけれど、仲よくなれば話しやすいし冗談だって言うし頼れるし面白い奴なのだ。そんな彼がオレやオレの家族以外と気さくに話しているのをオレは今まで目にしたことがなかった。どうしてか教師や大人に好かれる男ではあるのだけれど、同年代の友人というものがオレを除いてひとりもいないのだ。
「謎だよなあ……あんなにいい奴、なかなかいないぜ」
オレはロイと誰を差し置いても親友というポジションをとても誇りに思っているというのに。
「さっきも言ってたな、話せばいいやつだとカ。どこがどういいんダ?」
よくぞ訊いてくれましたとでも言わんばかりに、オレは両の手のひらを打ちつける。
「いいか、まず、なんといっても頼りになる。やさしいし。忘れものしてもロイに言えば大丈夫、消しゴムも自分のを半分に切ってくれんだぜ? あと、ゲームは以外に弱いな。格ゲーだとまったく駄目。でもそんなところもかわいいよな。なんつーの、一見なんでもできそうなのに、あ、ギャップ? それから、」
「もういいもういい、お前があいつを大好きなのはわかっタ!」
「なんだよ、まだ沢山あんのに。全部聞いたらお前も好きになると思うぞ」
うんざり顔のリンを尻目に、オレはもう一度ロイに視線をずらす――けれど。
「いっいない!!」
彼はあろうことか、オレを置いてさっさと帰宅してしまったようだった。机の横にかかっていた鞄ももうない。
「嘘だろ……!」悲嘆に暮れるオレに、リンは暢気なことを言う。「嘘だろって、帰りたくなったら帰るだろウ」
「ばっか、お前、馬鹿!」こうしちゃいられないとオレも少ない荷物を適当に鞄に押し込んで口を閉める。「オレがロイに置いてかれたことなんて、これが人生はじめてだ!」
ロイと一緒に帰る約束を特にしていた訳ではないけれど、オレたちの間ではそれが習慣となっていた。だからどちらかが委員会だとかで遅くなる場合やどうしても先に急いで帰らなければならない場合は、必ず相手に報告していたのだ。それなのに、これはどうだ。ロイはオレに何も言わずひとりで先に帰宅してしまった。勿論何も聞いていない。つまり、ロイはオレと口を利きたくもないということなのだろう。
ごちゃごちゃ言っていたリンは無視して、オレは階段を一気に駆け下りた。一年生の教室は校舎の一番上だというのがもどかしい。全速力で下足入れまで向かったけれど――靴箱の中にまだロイの靴はあった。オレが誕生日に買ってやって以来、今も新品同様、綺麗に履いてくれているスニーカーだ。なのに肝心のロイの姿がどこにもいない。どこかで追い抜いたかすれ違ったかした筈はない。オレがロイのことを見逃すことは絶対にないからだ。
「だとすれば……どっかに、立ち寄ってる……?」
そうなるとロイの行きそうな場所はひとつしかない。膨大な蔵書のためにわざわざ建物を新築したという、別館扱いになっている図書館くらいだ。この中学に入学してその建物の存在を珍しく思ったオレたちはすぐにその場所を訪れた。古くさいにおいと静謐な空気をロイはとても気に入っていたのだ。それから彼は暇があればそこへ足を運ぶようになっていた。きっと今日も例外ではない。
「そうと決まれば……っ」
オレは今きた道をやはり全速力で戻り、校舎と図書館を結ぶ唯一の渡り廊下を走った。
ロイに嫌われたかもしれない恐怖はあったけれど、それを確かめずにはいられなかった。きっとオレはロイにそれを言われたときみっともなく泣いてしまうけれど、それでもオレは彼のことが大好きだから、こんな理由もわからずに仲互いしたくはなかった。どうしてもロイの気持ちが知りたかった。そうしないと、オレはどうしていいのかわからない。
そんなに長い距離ではなかったのに、図書館の入口まで着いたとき息はすっかり上がってしまっていた。うるさい心臓を鎮めながら、オレは扉に手をかける。中はいつものようにしんと静まり返っていて、埃っぽかった。――そこで彼は、誰かを待つように机上で手を組んで椅子にかけていた。オレはそんなロイに近づきたいと思いながらも勇気が出ずに立ち往生してしまう。これは許されることなのだろうか、オレが彼に近づいてもいいのだろうか――あんなに冷たくあしらわれたことなど、今までになかった。
「……いつまでそこにいる気だ?」相変わらず彼はこちらを見ようともしない。「入るなら入る。出るなら出る。どっちかにしろ」
「は、いる……入っても、いい?」
「ここは公共施設だぞ。そんなの、俺が禁止できる訳がないだろう」
この調子でいくと、ロイの目の前に座ってもいいかと尋ねても同じように答えられるのだろうと思い、のろのろと近づいたオレは何も言わずにテーブルを挟んで彼の正面の椅子を引いた。
「あのさ……さっきの、こと、なんだけど」
「お前があの馬鹿どもとじゃれてたこと?」
「……そんな言い方……」
今のロイは三割増で口が悪い。何がそこまで彼を苛立たせているのだろう。
「そうじゃなくて、さっき、そんなのどうでもいいとか言っただろ? あいつらオレのこと心配してくれてるんだって言ったとき。あれどういう意味だよ」
「そのまんまの意味だけど? 俺には関係ないってね。だからお好きなように。ただ俺は、あいつらと慣れ合うつもりはないから」
「……なんでロイってそうなの? なんでオレ意外と口利かないの。お前、なんで友だちつくろうとしないんだ」
「オレはお前がいればいい」
「そういうことじゃないだろ? 普通じゃないよ、お前。オレはそうは思わない、オレは皆にロイのよさを知ってもらいたいし、なんか、学校でひとりってのも、変だろ、だからオレ以外にも友だちつくって――わっ!」
突然伸びてきた手はオレの襟元を掴み、力任せに前へ引っ張られる。ロイの顔が一層近くなり、漸く合った彼の目はすごく久しぶりに見たように感じられた。
「二度言わせる気か?」
「な、なにを」
自分の身体を支えようと反射的についた肘が、机に擦れて痛い。
――俺はお前がいれば、それでいいんだよ。他に誰もいらない」
「なんで……っ、」そこでオレは漸くひとつの可能性の思い至る。「……お前、まさか、今日怒ってたのも、オレがあいつらと喋ってたからか……!?」
「そりゃあ、気に入らないでしょう。俺の大好きなエドが、俺が使いっぱしりさせられている間に、俺以外ととっても仲よくしているところを見せつけられちゃ」
「見せつけた訳じゃ……!」
「お前に言ってもどうせわからないと思った。だからしょうがないって言ったんだ」
ロイの言うとおり、オレには彼の言うことは半分も理解できなかった。どうしてそこまで人と距離を置きたがるのだろう。どうしてそこまでオレに執着するのだろう。何か、おかしいと思った。けれど彼は――頑なすぎた。
「……変だよ、ロイ……」
「俺はお前がいれば他に何もいらないし、お前もそうであってほしい。お前には俺だけ見ててほしい。――それの何がおかしい?」
ロイの黒い瞳が、今は怯えたオレを映している。彼は日頃、一体どんな目でオレを見ていたというのだろう。


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