「うーあー、うぁっちいいいいー」 夏も盛りにたわけた音で蝉が鳴き始めると、一層暑さが増すような気もしてくる。何故オレは今、冷房ガンガンの涼しくて快適な職員室を出て、湯気の立つ校庭にいるのか。いや、いなければならないのか。 「あっちいにも程があんだろうがよおおおーこのぼけぐぁあー」 「先生、ちょっと黙っててもらえませんか。余計暑くなります」 せめてもの打開策として日陰の落ちる場所を探し歩いていると、聞き慣れた声が背中にかけられる。その声の主が誰かなど振り返らずともわかった。 「うるせえマスタングっ! 大体なあ、お前らが勝ち進まなければ、こんなところにいねえんだよ!」 団扇を必死に扇いでもまったく意味がない。むしろ余計に汗をかく始末だ。それもこれもすべては球技大会などというふざけた行事の所為である。狙ってやっているのだか知らないけれど、わざわざ一番暑い頃を選ばなくてもいいのにと思う。体育館とグラウンドで行われる球技の総合で優勝が決まり、我が二年A組は現在サッカーに奮闘している最中だった。次の試合に勝てばめでたくサッカーの部での優勝が決まるらしいけれど、応援する側としては堪ったものではない。 「ちょっと、それが担任の言葉ですか?」 マスタングはどろどろに汚れたシャツで頬を流れる汗を拭う。取り敢えず拭ければなんでもいいという風体だ。 「お前、タオルとか持ってないのか?」 「持ってきましたけど、教室に忘れてきました。もう取りに行く体力すら惜しいです」 「なんのために持ってきたんだよ……仕方のない奴め」 「先生が取ってきてくれたり……」 「甘えるなー」丁度いい木陰に入ると、オレはそこへ腰を下ろす。「先生は特別扱いをしない主義なんです」 「俺って特別じゃないんですか?」言いながら、マスタングもオレの隣へ座る。「大親友の息子でしょう」 「大親友ねえ……それも今となっては怪しいものがあるからなあ」 「まだそんなこと言って……」 正直、考えることが多すぎて整理するのを放棄してしまった。いくら考えたところで死人に口はなし、彼の本当の気持ちなどオレにはわからない。裏切りを恨んでいようとも、愛していようとも、確認する術はない。 「……そうか、俺、ちゃんと父の口からは聞いていないんだ」不意に、マスタングが零す。「あなたはその人のことを好きだったんだって言っただけで」 「へえ……」 「でもそれを言ったとき、父は何か、はっとしたような顔をしていて……そのときにはじめて気がついたのかもしれません」 (なんだそれ……) 「本当に馬鹿だな、あいつは。救いようがない」 かつてのクラスメイト――リンやラッセルにあからさまな敵意を向けていたというのも、今ならわかる。一番人間らしい感情を彼は胸のうちに隠し持っていたのだ。嫉妬という、厄介な感情を。まったく、生きている間だけではなく死んでからもオレを悩ませるなど、困った奴だまったく。 「その馬鹿な血を、俺も引いているんですよ先生」 「知ってるよ、そんなのとっくに――さあ、お前らの出番だぞ、若人よ」 快晴の夏空に、決勝戦を告げる放送が響き渡る。マスタングはもう少し休ませてほしいだの足がだるいだの若者にあるまじき発言をして、やがて観念したようにゆっくりと立ち上がる。その後ろ姿は、やはり彼と同じものだった。オレはいつまでも、マスタングに彼を見るのだろう。それはマスタングの母親と同様に、仕方のないことだと思う。どうしたってそれは思い出してしまうし、無意識の領域に手出しはできない。 「マスタング、お前は、だけどお前だよ」これがオレの精一杯のやさしさだ。教師として、担任として、言ってやれることは少ないけれど。「当たり前のことだけど、それを忘れるな」 「はい先生」ひとつ返事をして木陰から出て行く間際、マスタングはこちらを振り向く。「あ、あと、できれば一言応援メッセージなんていただけるとうれしいんですが」 「馬鹿言え。オレはこの先誰かの応援なんかするものかと決めたんだ」 「はいはい」 苦笑を残して去るその背中に、けれどオレは声をかけた。気紛れ以外の、何でもない。 「――ロイ。お前は、長生きしろよ」 日差しは容赦なく降り注ぐし、こんな炎天下の中でサッカー観戦など冗談ではない。オレはこのまま直射日光を避けつつ、生徒たちの雄姿を眺めていることとしよう。 (だからほら、そこの馬鹿) 「へらへら笑ってないでさっさとピッチへ行け!」怒鳴り声を上げたところでやっとマスタングは仲間の元へと走って行った。「んっとに……仕方のない奴らだな、この親子は……」 彼の道は途絶えてしまった。彷徨って彷徨って、結果死んでしまった。春はもう過ぎ去って季節は夏をも通り越そうとしているけれど、オレとマスタングの道はまだ続いているし、おそらくこれからも続いていくだろう。彼のようにいつか終わりがくる、その日まで。 ありがとうございました。 |