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オレにとって彼とは、いつも弟の次だった。大事に思っていてくれていたことは知っている。もう何も関係のなくなった今でも度々中央から手紙が届くことから、それは尚も持続中ということだろう。それでも彼は、今でも弟の次だった。 「兄さん、手紙きてたよ」 彼は一ヶ月に一度、こうして便りを送ってくる。自分が返信したことは一度もない。糊づけされた封筒の口を破いて中身を取り出せば、大抵二、三枚入っている。昨日何があったとか、誰がどうしたとか、家の前にくる猫がどうとか、他愛もないことばかり記した手紙だ。 「あ、うん」 「そろそろ返事書きなよ。悪いでしょ」 オレは決まって、そのうちと言ってその場を凌ぐ。幾度も繰り返すうち、弟もまたかという顔をするようになった。今日はそれに加えて何か訴える視線も向けられたので、オレはいたたまれなくなりそそくさと席を立つ。 「……毎月送ってきてくれるのに」 逃げるように去るオレの背中に、溜息が降りかかった。 「ほんと、そのうち送るから。これ、ほんと」 書斎がなんたるものかも知らないくせに勝手に書斎と名づけた部屋に潜り込み、机の上に封筒を置いた。親しい人物に宛てた手紙というよりも事務的な何かと言った方が、それは相応しかった。味も素っ気もない茶封筒に並ぶ流麗な筆記体にはとても似つかわしくなく、なんだかちぐはぐでおかしかった。 浅く椅子に腰かけて引き出しを開ければ、半年以上放置している宛名の書いた封筒と文頭辺りしか書けていない便箋が顔を出した。いつも返事をしようと思うのに、何を書けばいいのかまるでわからなかった。毎回思い悩んで結局投函できないでいる。 「……せめて二ヶ月あれば、」 何がしか書けるような気もするのに。何を思って一ヶ月なのだろう。そんなに仕事がゆるやかである筈もないくせに。―――オレは複雑な心情で読み進めていた彼の日常から顔を上げる。今日は何日だったろう、そう部屋の中を見回したとき、弟の声がした。 「お客さんだよ!」 どうしてカレンダーのひとつもないのかと自分を恨めしく思ったのと一転して、今更そんなものあったってなんの役にも立たなかったと思い直す。勢いよく立ち上がったので机の角に膝をぶつけた。 「だ、誰」 訊かなくともわかっていることだった。オレは気づかれないように扉の近くまで行き、そして微弱な音すら立てないように錠を下ろした。 「准将だよ、マスタング准将」 今しがた目にした名前だった。先程届いた手紙には、久々に休暇をもらったから今日オレを訪ねるというようなことが書いてあったので、カレンダーを探したというくだりだった。冗談であればいいのにと思ってはいた。けれどそうではないのがオレの知る彼だった。 「ちょっと兄さん? 僕お茶持ってくるから、ちゃんと出てくるんだよ!」 おそらく彼も壁一枚隔てた向こう側にいる筈だった。だから無理だとか嫌だとか、それ以前に声を出すことは躊躇われた。それがどうしてなのか、自分でさえよくわからない。ひとり分の足音が向こうへ駆けていくのと同じくして、やはり扉の向こうに屹立していたのだろう彼が口を開いた。耳に馴染み深く、そして懐かしい声だった。 「……開けてはくれないのかな」 入ってこようとしないのは、オレが鍵をかけたことなど一目瞭然だったからだろう。わからないように細心の注意を払ったのにも関わらず。 「君が返事をくれないから、こうしてきてしまったよ」 「返事なら……書こうと思ったんだ」 何度だって書こうと思った。そしてその度に挫折した。ペンを持つ手が一向に進まなかった。頭の中に、文章が浮かんでこなかったために。 「でもさ、何書けばいいのか、全然わかんなくて」 「なんでもいいさ。そんなに悩む必要はないよ」 彼は身の回りで起こったできごとなどを書いてくる。自分もそうしようと思って、けれど、なんだか書けそうになかった。オレと弟は今日も元気でやっていますくらいしか、思いつかなかった。 「私はいつも君に話したいことが沢山あって、けれど君は長い文章など読む気も失せるかと思って、いつも短めにしているくらいだ」 「……長いの読むのは、嫌いじゃないよ」 「そうだね」 その後に、でもそれは錬金術に限っての話じゃないのかと彼はつけ足した。そうも言えたけれど、オレは彼のだったら何十枚だって読める気がした。 「ここ、開けてくれないかい」 オレは数秒か思い悩んだのち、観念してドアを開いた。眼前に映し出された懐かしい黒を、自分はまだ忘れていなかった。 「久しぶり、かな」 「うん」 手紙も出していない自分には。 「あ、昇進おめでとう」 「ありがとう」 「皆にも伝えておいて」 手紙に書こうと思っていた言葉は他にもある。 「あと、猫はどうなった?」 彼の家の前によくくる猫を手懐けようと彼は試みていたようだった。 「ああ、うん、それか。……結論から言えば、やはり私は猫より犬の方が好きだった」 「はは、失敗したのか、餌づけ作戦」 「猫は気まぐれな生きものなんだよ。君みたいに」 「今は思慮深いよ」 「どうだか」 知らないうちに笑みが零れる。いつかもう一度再会したとして、自分はどのように彼と対峙することになるのか、とても不安だった。よかったと素直に思う。 「秋の健康診断の結果は?」 秋頃届いたものには、健康診断のある来週がとても不安だとあった。 「健康体そのものだったよ、私も皆も」 「そりゃよかった」 「君もアルフォンスも元気そうで、何よりだ」 「あんたたちとは鍛え方も違うし、まだまだ若い」 「私だってまだ若いよ。……君たちには劣るが」 「無理はしなくてよいですよ、准将さん」 よかった、と再度思う。他人行儀な受け答えでないことも、オレにとって彼とは弟の次だという認識も変わっておらずほっとする。彼と会えば、それらの何かが変わるような気がした。そうでなくてよかったと、オレは思う。 「やっぱ、手紙って苦手。こうして会って話した方が、オレは楽だ」 「君らしいね」 くすりと彼は目を細めた。何度も見てきた解顔だった。オレは彼の、その顔が好きだった。 「大佐って、オレのことどう思ってた?」 階級を間違えたのはわざとだった。オレはあえて、昔の、過去を尋ねた。彼にもきっとその意図は伝わっている。話が突然飛んでしまっても。 「……そうだね、」 彼は考え込むような素振りを見せた。そんなことを訊いて、オレはどうするというのだろう。今は今なのだ。昔のことなど知ったことではない。リビングからお茶を持ってやってくる弟が、視界の端に入った。彼が何を言おうと、オレにとって彼が弟よりも上になることはまずないのだから。 「いいや、そんなの。アルが淹れるお茶は美味いよ、飲んでって」 そう言いながらオレは書斎から出て、扉を閉めた。書きかけの文面と、机の中で置き去りにされていたためにうっすらと黄ばんでしまっているけれど、すぐに出せるように切手だって貼っている宛名のみ準備万端ないずれ手紙になるだろうものを、何故か彼に見られたくなかった。
080221 准将とかはじめて書いた(あれ、大佐の次は准将?)。だってなんか階級決めるの面倒だか、ら! あ、一応アルにもお手紙書いてます。 |