きみとの恋はイオン化傾向/今週も妻が浮気します



神経質な愛の研ぎ方





「オレのからだは、そう、つまり、毒でできているんです」
最愛の妻(彼、男)が最愛の夫(私、男)に向けて言い放った、言い訳である。しかし私にとって彼は最愛と言うのに十分すぎる程だったが、彼の方はどう思ってくれているのか定かではない。それというのも、私はこれ程までに難解な言い訳というのを聞いたことがなかったからだ。人間の身体というのは、まさか毒物で成り立っている筈もなく。
「だからね、もう、しょうがないと思ってるんだよね」
私の妻は、手っ取り早く言えば浮気症だった。妻曰く、イイオトコを見ると視界が一瞬強く明々として、もう一度瞬きをしたその瞬間には既に恋に落ちているらしいのだ。イイオトコの基準は残念ながら妻にしかわからない彼独特のものだったが、夫がいながらなんてふしだらなのか! いやいやいや、それ以前に、人としてどうなのだ? 私と一度関係を結んだくせに、まだ他の男にふらふらと、それを浮気と言うのではないのか?
妻のその行為、私以外の男とよろしくやるのが両手両足の本数を超えたとき、私はやっと彼を問い詰めた。それは浮気ではないのかと。そうしたら、「わたしのからだは毒」発言である。ふざけているのかと思っても、至極真剣な顔つきだから手に負えない。
「しょうがない? 何がだ」ぶっきらぼうな口調になっているのは否めない。「だからその、ロイ以外の人に恋しちゃうこと」
恋! 今、妻は恋と言ったぞ!
「……それは立派な浮気だろう……私という夫がいながら。それともなんだ、君のメルヘンな国の法律では、既婚者でも恋愛は自由なのか?」
「な、なんだよめるへんな国って。どこの国?」
「君の頭の中に広がっているピンクっぽい国のことだ。君はもしかしたらそこの住人なのではと思っているんだが」
「失礼な、ちゃんと現実見てるよ!」
嘘を吐け、嘘を!
「ではちゃんと説明してもらおうか! 毒だのなんだの、非現実極まりない妄言はやめていただこう」
「だ、だからさあ、その、なんてーの、これはもう、体質っていうかさあ……」視線をあっちこっちにふらふら漂わせながら、「恋愛体質!?」彼はぴったりはまる語を言い当てたように大きく目を見開いた。
「……あほだろう君。あほに違いない」
呆れて額を押さえる私などには目もくれず、彼はひたすら弁明を続ける。
「オレの身体は爪先の毛細血管から辺縁系まで全部恋愛体質というおそろしい毒に侵されているんだ! これには白血球くんも太刀打ちできない、ねえ、だから、オレの関与するところじゃない! つまり、不可抗力が成り立つ!」
「……本当におそろしいのは君の想像力だ」
嬉々とした顔で、喜びに満ちた声で、
――ああ、オレの脳を解剖できたなら、それが証明できるのに!」
足をじたじたしながら、妻はもどかしそうにした。できる訳がないだろう、そんなこと。けれどもやはりこれも本気で言っているらしく、私は頭をがしがしと掻く始末だ。
「君は……」深く息を吐いて、私の妻である筈の彼を見つめる。最早妻と呼ぶ自信がなくなってきたのだ。「私のことが好きではなくなったということか?」
それ以外に思いつかなかった、彼が他の男に夢中になる理由など。しかし彼はあまりにも予想外のことを言われたのか、口も目も開いてぼんやり私を見返した。
「…………おい、」
「……ちょ、いまの、もっかい言って」
「私のことが好きではなくなったということか」
もしかすると即座に肯定されるかもしれないと思っていたのに、まさか二度言う羽目になろうとは。
「オレの……」しかしあろうことか飛んできたのは、かたく握り締めた拳だった。「愛が信じられねーのかっ!」
――入りました右顔面、見事なストレート、ただしひとつわからないのは、どうしてこちらが殴られなければならないのかということである。何か奥歯の具合がおかしくなったような気もしたが、それは後回しにすべきだろう。「……何故私が殴られる側だ」
妻を殴るつもりは毛頭なかった私だが、殴られるつもりも毛頭なかった私だ。これには堪忍袋の尾も切れる。
「ロイがオレの愛を疑ったから」彼の瞳は最初からずっと煩わしいくらい真剣で、だからこそ私の苛々は急成長を遂げる。「そうされるに足る行いをやったのは君だろう! 反省もなしか!」
「なんで反省しなきゃなんないの!? 仕方ないって言ってんじゃん!」
「遂には開き直りか。浮気は推奨されるような立派な行為だと、君はそう言っているんだな?」
「だって、オレは、……」人をありったけの力を込めて殴っておきながら、一体何を言い淀んでいるというのか。「オレは……っ」
「もういい、もう君を信じられない。私は私を愛してくれない君は愛せない。私は、そんなに強い男ではないから」
彼は、すごく、ものすごく傷つけられた顔をしていた。まるでこちらが悪いかのような。それをまた、理不尽だと思う私は悪なのだろうか。
――強いとか、思ったことなかったけど」その傷つけられた顔が、次には一変した。「あんたが、大佐がそう言うなら仕方ない」
「……泣くのは反則だ」
大粒の涙を後から後から零しながら、彼は私の名前を呼ばなかった。
「オレの病気はきっと治らないもん。だから、引き留めたりしない」
殴ってみちゃったけどね、と今度は笑う。怒ったり泣いたり笑ったり、忙しい人間だ。
「病気、と自分で言うくらいには自覚しているのか」
「だって毒説を否定するから、そう言うしかないだろ」
「当たり前だろう、あり得る筈がない」
「そう、あり得ない、これはもののたとえだ」
彼は深く頷く。終始大真面目な口調で話すものだから、たとえのつもりで言っていたとは知らなかった。
「でもいつか言ってやろうと思ってた。オレの病気を、指摘してくれたときにさ」
「……暫く放っておいた、君の好きにさせていた私を責めているのか?」
非難の色はなかったが、そう取れるような気もする。しかし私が長い間その話題を口にしなかったのにも、つまり、彼を問い質す真似をしなかったのにも、きちんとした理由があるのだ。
「そうじゃなくて、……」私の目をまっすぐに見つめたまま、彼は首を横に振った。「言い訳のタイミングをくれるのを、待ってた」
ずるくてごめん、と小さく零す。
「色んな人に目移りしてしまうけど、いつだって一番に考えるのはロイのことだよって言える機会を、オレは待ってたんだ」
そして、どうやら私も病気にかかっている模様。病名は、執着病でいい。







March 19, 2010

……アレ……おかしいな、甘いんだかなんなんだかよくわからない……。

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