(青き死の軍団とあなた / ぼくらをどうか赦してください)











弟が泣いていた。それだけ覚えている。全壊した瓦礫の下から這い出すこともできず、オレは朦朧とする意識の中で、泣きじゃくる弟の手を握り締めていた。
次に目蓋を押し開けたとき、家の屋根が落ちる前までそばにいた筈の母親の姿はなかった。病室の寝台の横にいた弟に問いかけようと、身体を起こそうとしたけれど無理だった。よく見ればオレの片腕片足がもぎ取られていた。麻酔が切れると切断面は怖ろしい程悲鳴を上げた。後で知ったことは、オレは被害者だったということだ。
軍のよくない噂は聞いていた。戦いというものを好んでいる節があると。ヒエラルキーの頂点に立つ人間が交代してから益々攻撃的になったようだった。そしてその戦火の火種はオレたちの故郷、東部の田舎町にまで及んだ。逃げる暇も与えられず、まるで自然災害にでも見舞われたかのような感覚だった。あっという間過ぎて、だから、あまり覚えていない。
覚えていないけれど、誰の、なんの所為か――というのは、よくわかっていた。
















「ああ、君たちが噂の」
マスタングと名のる東方司令部を統括している男は、端的に言えばいけ好かない男だった。顔中に貼りつける笑顔があまりにも胡散臭くて何を考えているのだかわからない。それを第一印象と言ってもいいだろう。
「噂? 興味があるなあ、どんな噂でしょう」
オレにはとても真似できないけれど、そう問う弟も負けず劣らずの笑みを披露していた。弟と違ってオレは元来愛想笑いのできない人間なのだ。だからよく無愛想だとか罵られる羽目になる。
「教官泣かせのエルリック兄弟、とよく耳にしたものだが、いかがかな」
「語弊がありますね。僕らは一度だってそんなことをしたことはありませんよ。ねえ兄さん」
「……オレに話を振るなよ」
革張りの椅子にゆったり腰を沈める男と、その後ろに寡黙に控えている女。信用できるできないに関わらず、これが今日からオレたちの上司となる人間。オレたちに命を与える人間。――吐き気がする。
「ていうかオレとしちゃ、雑談に耳傾けんのも結構な労力なんで……用件だけさっくり言ってもらえますかね。挨拶以外に何か?」
これでも言葉は選んだつもりだ。男は机に肘をついたままくすりと笑んだ。本当にこの男の笑い方は嫌いだ。癇に障るとでも言うのか。
「珍しいな、媚びるということを知らないのか、君は」
「ときと場合による……ります」
「……なかなか、物怖じしない性質らしい。目的のためなら手段は厭わないというやつか? 私としては、怖がりの部下なんていらないのでね……精々見かけ倒しにならないことを期待しているよ」
「……僕たちが臆病者に見えますか?」
「最前線に立っても同じことが言えたらたいしたものだな」
弟が彼らに見えないように腕を掴んでくれていなければ、オレは今すぐにでも眼前の男の首を絞めに、身を乗り出していたかもしれない。自分が一体どの言葉に腹を立てたのか考えるより先に、殆ど反射的に。
「まあ――こちらからは他に、特に言うこともないから、今日は帰っていい。明日からよろしく頼む」
はい、と礼儀正しい返事をして、弟はオレの背中をぐいと押した。オレはそれに従って、執務室の扉に手をかける。けれど肝心のことを訊かないままでは帰るに帰れなかった。オレはさも、今ふと思いついたかのようにそれを口にする。
「……ああ、そうだ、」
「どうした? まだ何か?」
「いや……あんたらも戦場じゃ、人が変わるの?」形ばかりの敬語を忘れ、慌ててつけ加える。「――変わるんですか?」
「どういう意味だ?」
弟の、背中を押す力が更に強くなる。余計なことを言うなということなのだろう。
「そのままの意味ですけど、いや、あんたたちも狂ったように人を殺す方なのかなって、ちょっと思っただけです」
いい加減背中の肉が痛み出したので、一言断って出て行こうとする。端から見れば失礼なんて言葉で済むレベルではないのだろうけれど。
「君は――私をどう見る?」
その直前の男の問いかけには、「――さあ?」ドアが閉まる前にそれだけ返した。
訊きはしたものの、答に特別期待はしていない。軍人なんて存在がすべて、嫌悪の対象なのだから。それだから自分たちの今のありようも、我慢ならないというのが本音だった。けれど自分たちには他に方法が見つからなかった。――復讐のやり方が。




執務室から大分離れたところで、やっと弟が口を開いた。口調は面白い程尖っている。
――なんなのあれ」
「ごめん」
「あんなあからさまな言い方して。僕らが軍に反感持ってるってこと、きっと気づいたよ」
「ごめん」
「兄さんが言ったんでしょ? 軍に従順なふりをするって。なのに余計なことばっか言って、……」
「ごめん」
「兄さん!」ぐい、と横を歩いていたオレの両肩を引っ掴んで向き直らせる。「ごめんばっかり、いらない」
「ご――」思わず口をついて出てきそうになるのを、慌てて飲み込もうとする、けれども。「……めん」
それしか他に言いようがなかったのだから仕方がない。弟も口をへの字に曲げ、溜息を漏らした。
「なあ、アル。あれがオレたちの上司なんだと。オレたちもいつかあいつらに命令されて、戦争に加担させられんのかな。オレたち、あいつらに人を殺せって命じられんのかな」
「そんなの誰が聞くもんか。僕たちは僕たちの意思で動けばいい」
「おいおい、命令違反は除斥されるぞ」
オレを責めたくせにこの言いぐさだ。詰まるところ、弟も気持ちの上ではオレと同じなのだろう。弟が偉いのはそれを正直に表に出さないというところか。
「まったく……オレもお前も駄目な奴だなあ」
「しょうがない、だって大嫌いな人間には逆らいたくなるんだもの」
いけしゃあしゃあとそんなことを言いながら、弟は再び歩を進めた。正式に配属されるのは明朝からなので、今日はもう簡単な挨拶を済ませたら後はもう帰るのみだった。
「教官泣かせのエルリック兄弟――か? オレらがいつ士官学校のくそじじいどもを泣かせたよ」
「それより……噂っていうのが気になる。まさか僕らが錬金術を使えるなんて、知られていないだろうけど」
「それは大丈夫だろ。人前で使ったことなんかねえし……てか使ったらおしまいな気がする。あいつ、マスタングも国家錬金術師らしいけど、それだからイシュヴァールでも相当暴れたって言うじゃん」
国家錬金術師。その名のとおり、国家お抱えの錬金術師だ。様々な特権と引き換えに、ひとたび声がかかればどんな戦地にも赴かなければならないと言う。ときには最前線で率先して無抵抗に等しい人間を虐殺するのだと聞いた。――そんなものには絶対になりたくはない。
親父が錬金術師だったために家の蔵書は殆どがそれ関係のものだった。オレたちはそれらを絵本がわりに読み漁った。親父はあまり家にいるような男ではなかったから、オレたちが優秀な錬金術師になって母さんに楽をさせてあげようと決めていた。そんなささやかな子供の夢を見事にぶっ潰してくれたのが、軍だ。民衆を守るための組織が民衆を戦禍に巻き込んだのだ。この恨みは、果たして筋違いか。
「軍は多分、錬金術を使える人材を手放さないだろうからねえ……軍人なら尚更。国家錬金術師になって、マスタングみたいに早いところ昇格できるのはいいけど、」
「まあ、地位なんてなくても、要はここだろう」オレは人差し指で眉間を軽く二度つついた。「オレたちの人よりちょっとだけ賢い頭で、必ず報いてやる。中からぶっ潰してやるよ」
戦争なんてなければ。そんな言葉は何十回とだって繰り返された。何度だって耳にした。
死を引き連れる青き軍団に引金を――今はもう、それができる。(さあ見てて、かあさん)。
「僕たちはもう、指咥えて眺めてるだけの子供じゃない。世界を変えるなら自らで行動しなきゃ、だもんね」
それは幼き日に行き着いた心理。母さんの墓前で交わした契り。
「約束どおり――復讐を、はじめよう」
(きっとあたまをなでて、いい子だとほめてくれるよね)。







なんなら女神でもいい

(101002)
(軍部パラレル/世界中で起こる戦争で、人民を巻き込まないことなんてないなあとふと思ったり)

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