(青き死の軍団とあなた / ぼくらをどうか還してください)











兄がいる。そう年が離れている訳ではないのに、弟の目から見ても危うい兄がいる。散々気をつけろと言っているのに、決まってわかったと返すのに、彼は全然わかっていないのだ。全然、まったく、僕の忠告を聞いていないのだ。
復讐と言うには少し傲慢かもしれない。ただ、とてつもなく僕らの中でそれは重要な務めだった。今のところの生きる目的と相違ないそれを、もしかすると兄は軽んじているのかもしれない。だから僕の言葉に耳を傾けてくれないのかもしれない。
「……ねえ、兄さん」兄はやはり、僕の方を見ようともしなかった。「僕、何度も言ったよ」
こちらを振り向かないというのは、兄は自覚しているのだろうか。僕が腹を立てていると思っているのだろうか。意思が疎通しているかどうかを確かめたいだけなのに、顔が見えなければ何もわからない。
「兄さん、わかってるの」
「……わかってるよ、必要以上に親しくすんなって言いたいんだろ」
言いながら、兄は仮眠室のベッドに散乱していたシャツを取り上げ、だるそうに腕を通した。兄の片腕と片足は金属だった。カーテンの隙間から僅かに漏れる光がきらりとそれに反射する。その腕を見る度に、僕は口惜しい気持ちを抱える。それこそが復讐という念の象徴なのだ。兄だってそうだと信じたい。
「僕の言いたいことはわかっているのに、このありさまは一体何? ベッドで仲よく寝るのが、親しくしてないって言うの?」
「だから、これも仕事なの。わかれよ」
いっそ不自然な程に乱れ切ったシーツを見て、胃が捩れるような嫌な気分にさせられる。兄が上司とこういった行為に及ぶのは、もう少ないとは言えなかった。そしていつも仕事だから仕方がないと言う。仕事だから仕方がないと言って、うんざりした表情を顔に貼りつける。
「僕は兄さんにそんなことをさせたいんじゃないよ。まるで、……男娼じゃないか」
「はは、違いない」兄は笑いながら軍服を着込んでいく。「オレの本業はこっちかも」
本気で言っているのか、それとも冗談だったのか、判断できない。僕にはもう、兄の言葉の何を信じればいいのかわからなくなっていた。
「ふざけないで」
「……そんな怒るなよ、弟よ」
苦笑混じりに頭を軽く叩くように撫でられたけれど、誤魔化しにしか思えなかった。いつから兄は僕に対して秘密を持つようになったのだろう。大義名分を大事に握り締めていたのが、もう随分と昔のことのようだった。
「怒ってなんかいない。ただ僕だけが空回ってるみたいで、僕だけがあの日から動けずにいるみたいで、」いや違う、と内心で首を振る。気づいた。僕は嘘を吐いていた。「……ああごめん、やっぱりこれは、腹立たしいってやつだ。僕は、怒ってるんだ」
ふたりでいつか復讐しよう、と巻き添えになった母の墓前で誓った。兄の袖はそのとき空だった。僕の大好きなふたりは軍の起こした無意味な戦いで犠牲になった。
「軍人になるのも、こんな方法しか思いつかない自分も嫌だったけど、ただ媚びへつらうようなことはしたくないししてほしくない」
目的を完遂できるのは何年後になるかわからない。途中で諦めてしまうかもしれない。大嫌いな軍に籍を置いて、これからどうするかという明確な展望がある訳でもない。だからといって、慣れ合うようなことは決してしたくないのだ。そして赦されないことだとも思っている。
「でもアル、一介の下士官じゃ何もできない。出世させてくれるっていうならオレはどんなことでもやる。……勿論、お前との誓いを破ることだけは、絶対にしない」
「兄さん、こっち向いて」
(あなたの心の内側が見えないよ)。
「なんだあ、アル、オレを疑ってんの」
軍服をすっかり綺麗に身につけた兄はあくまでも茶化すような口調で、けれど僕の言うとおりにしてくれない。
「いいからこっちを向けって言ってるの!」
兄の肩を乱暴に掴んでこちらに向き直らせた。彼の両頬を手のひらで挟み、無理矢理にでも視線を合わせようとした。僕の大好きな兄は、応えてくれなかった。それがすべてということなのだろう。
――僕は兄さんとならなんだってできると思ったのに、」
(ああ、なんという虚脱感)。
僕の大好きな兄は、僕の大好きなままの兄ではいてくれない。一体これはなんの罰だというのだろう。僕はどこまで僕の大切なものを奪われなければならないのだろう。
兄はかわりに僕の手を取って、そのまま俯いてしまう。丸まった背中が愛おしいのに、そのくせ僕の目には酷くつらく映る。
「……オレはお前が一番大事だし、お前のしあわせだけを願ってる」兄は静かに息を吐き出した。「だから、ずっとオレを、信じてろよ」
今すぐ兄の腕を掴む上司に、なんだっていいからとにかく罵声を浴びせてやりたかった。貶めてやりたかった。勿論最後に言い捨てる言葉なんて決まっている。
僕の清かった兄を返して、だ。







深呼吸をすると胸が潰れる

(101002)
(軍部パラレル/「女神」のつづきのようなそうでないような)

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