燃やせない、壊せない、ただ終わらせることだけはできる








(生まれおちたその瞬間からひとは死につづけているのであります)













どうして爪ってのびるんだろう。まじまじと両の手を凝視しながら、彼はそう口にした。そんなこと、今まで考えたこともない。我々が意識しないうちに勝手にのびている。今更爪が、なんの問題になり得ることもない。
「いきなり、どうした」問えば、「いきなり、気になった」と返ってくる。
「そんなものか?」問えば、「そんなものだ」とまた返ってくる。
ふむ、と私は息を吐いた。私とのやりとりの間にも、彼は自分の指先から目を離そうとしなかった。私もなんとなく自分の手に目がいってしまう。
「まあ、理由は、あるにはあるんだろうが」
前述したとおり、これまで興味を持ったことがなかったために特に知識も持っていない。けれども私は私の爪に関しての無恥さを別段恥ずかしいとも思わなかった。
「そうか、あんたでも知らないことってあるんだな。興味のない分野はからきしか」
「人体の構造についてはひととおり学びはしたが……爪、か?」
「指先を保護しているから、っていうのは知ってるけど。蛋白質でできててさ。でもオレが言いたいのはそういうことじゃないんだ。ていうか爪に限ったことじゃない。髪とかだってそうだし、言ってしまえば、骨だってそう。つまり、成長するものについて」
「……君の思考回路がどんなふうに繋がっているのか、機会があれば一度調べてみたいものだな」
すべてにおいて彼の話は唐突で、私はいつもまたかと思いつつそれに耳を傾けるのだけれども、しまいには哲学だとか思想の道に突っ込んでいく羽目になるのである。だから片手間に聞き流すくらいが万事丁度よく、今回もその例外ではなかった。
「人間の成長は止まることを知らないな。停止させる術は、そうだな、冷凍くらいか? それにしたって老いとかは止められないし、生きたままじゃ」
「生命活動を続けたまま、成長の停止、か? そんな無茶、叶えられる日はくるのだろうかね」
「科学の発展に期待するしかないね。今の技術じゃとても無理だ」
視線を注いでいた生身の方の手を、彼はひらひらと宙に振った。それは単なる偶然であるのだろうか、彼は科学技術のたまものである機械製の義手は振り上げなかった。
「どうしてどうしてって疑問を並べていったらどこまで続くかな」
「おそらく果てしない道のりになるだろう」
「そのすべてに答え得る存在が真理という訳だ?」
「ただし私は君が言うところの真理とやらを目にしたこともないからなんとも言えない」
「そりゃそうだ」
くつくつと喉の奥を震わせて彼は笑った。私は彼の表情を見ていたから笑ったと判断できたのであって、そうでなければ、もしかすると泣いているのかと勘違いしたかもしれない。
「今日の君の講義は生命倫理についてか?」
「あっは、倫理観なんて語る資格、オレにはないっつーの」彼は肩を竦め、自嘲気味に唇を歪めた。「……ほんと、オレには……、」
はがねの、と私が音にする前に彼はそれまでごろごろと横たわっていたソファから立ち上がる。仕事の邪魔をしてすいませんでした、などと思ってもいないことを口にして扉に手をかけようとするのを私は引き留めた。
「君だからこそ言えることもあるのでは? 教訓は、体験せねば生まれない」
別に慰め、だとか、思ってはいないし、彼にそれが必要だとも思わない。それはきっと彼もわかっている。
「そのとおりだよ、だけど、先人が身をもって体験して後世に残した教えだって、オレみたいに無知さを誇って思い上がる馬鹿が、同じ轍を踏むのさ」
そうやって歴史は繰り返される。いけないと知りながら、伸ばしてしまうのは手だ。――手、だ。
「……爪がなければ、掴むこともなかっただろうにな」
気づけばそう口に出してしまっていた。我々の手に爪というものがなければ、何を掴むこともできていなかった、そう思ったら自然と発言してしまった。そして彼が言いたかったのはこういう類の問題なのではないかと思った。彼は首だけをこちらに向けて、「あんたはオレにとって死の先輩だ」と言った。
「……それの意味するところは?」
「死へと直進する成長は、やはり誰にも止められない」
「なんという、ネガティヴな思考だ」お手上げとばかりに、私は左右の手のひらを彼へ掲げて向けた。「頭が痛くなるだけだな」
「オレじゃないぜ? 先人が、よかれと思って残した、残酷な結論だよ」
んじゃあね、と軽い挨拶を置いて、十六の少年は扉を抜けて出て行った。そこは決して明るみでは、ない。






(あるいは皆等しく死へ近づいているのであります)










陳腐を導く毒素

20101117 マイナスの走行であります
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