saccharin-recordatio










高校を卒業して数年が経った。大学の長い夏季休暇を利用して一度地元に戻ったオレは会いたくもないと思っていた彼に出会ってしまった。それも場所が場所だけにすぐにさよならという訳にもいかないというのがよりオレを苦しめた。明らかに近所のコンビニで暇を潰している体のオレがそそくさと帰るというのも変な話だったからだ。

彼とは高校時代に同性だが好きなのだと自覚した途端に向こうの事情でぱったりと会えなくなってしまったクラスメイトのことだ。オレは彼が転校してしまった後で色々と考えることがあった。特にオレは彼のことが本当に好きだったのか自信がなかった。オレは普通に異性が好きだし、だから男に恋してしまったことには少なからずの罪悪感のようなものがあったのだが偏見を持たない友人たちのおかげでそのときはそれを解消することはできた。しかし彼が目の前からいなくなったことでオレは冷静になった。
オレの成し得たかったことはあまりにも生産性がなかった。男と男がどうにかなろうだなんてどう考えてもおかしかった。まだ彼が学校にいた頃は好きになってしまったのだからしょうがないとも考えていたがそんなことはない。おかしいものはおかしい。
それでは彼に抱いていた気持ちは一体なんだったのだろうかと考えるとひとつだけ思い当たることがあった。彼は気持ちのいい人間で誰からも好かれた。男も女も上も下も関係なく彼は好かれた。オレはきっと彼が羨ましかったのだ。彼に抱いていたのは羨望だったのだ。そういう風に結論が出たのは彼が引っ越して一週間程経った後だった。オレは、こんなのは恋でもなんでもないのだと自覚した。

そんな彼が突如オレの前に現れたときオレは正直最悪な心境だった。彼はオレの気持ちなど一言だって伝えていないのだから知る由もないのだがこちらとしては気まずさで一杯だった。彼はオレを見るなり明るい声を出した。「お前、エドワード、エドワードだよな?」笑顔でこちらにかけ寄ってくる彼にオレは咄嗟に後ずさってしまった。「おお、マスタングだっけ? こんなとこで何してんの」不審に思われないようにオレは虚勢を張って空笑いをした。「俺の家クーラー壊れてて、涼を……」彼は一歩下がったオレにはなんとも思わなかったようだった。

彼は何ひとつ変わっていない様子だった。転校先の学校の奴らに感化されて不良の道へ走ったりしていたら面白いだろうななどと想像していた自分が恥ずかしくなる程綺麗な格好をしていた。彼は制服をあまり着崩さない生徒だった。暑い夏でも無闇に肌蹴たりしなかったくせにいつも涼やかな顔をしていた。
「なあ、お前は今どうしてるんだ?」と訊くので「適当な大学行って適当に過ごしてる」とだけ答えた。あまり愛想よくしたくなかった。オレはもうお前のことなんかどうとも思っていないんだということを示したかったのかもしれない。彼は無愛想に返答するオレに若干眉根を寄せたが詮索する気はなさそうだった。メールアドレスは知っていたが直接的には大して関わってこなかったので当然と言えば当然の反応だった。あまりの気まずさにオレはもう帰る旨を告げ、足早にコンビニを退散しようとした。これ以上顔を合わせてなどいられなかった。

待って、と形のいい唇が動くのを目にした。それでもオレはコンビニの自動ドアを開けてさっさと出て行った。もうこれ以上なんの用があるというのだろう。振り払った筈の思いが首をもたげそうで怖かった。

あれは恋ではない。ただオレは彼の存在が羨ましかったのだ。一手に周りの眼差しを奪っていく彼の存在が、単純に羨ましかったのだ。そうでなければおかしい。だってオレは、彼がもう遠くへ行ってしまうのだと知ったときも哀しいと感じなかったのだから。

視界が歪む中でオレは黙々と足を動かした。今自分はどこへ向かっているかなど気にする余裕もなかった。
「待ってくれ、エドワード!」彼が珍しく声を荒げていた。オレはそれを背中で受け止めながら尚も足は止めなかったが彼は口を開き続けた。
「俺、向こうへ越してもお前のこと忘れたことなかった」オレは忘れていたよ。「お前に一度だけメールを送ったことがあるけど、返信がこないどころか送信すらされないのは驚いた」恋ではないと気づいて一番はじめに携帯のアドレスを変えたからな。彼からきたメールもフォルダごと削除した。「俺はすごく思い上がっていたのかもしれないけど、でもこれだけはどうしても確かめたくて、時間はかかったけどこの町に戻ってきたんだ。ここならお前に会えるかもしれないと思ったから」オレはお前になど、できれば未来永劫会いたくなどなかったというのに。「なあ、お前は、俺のことが好きだったんじゃないのか?」
「……思い上がりも大概にしとけ」オレは声を限界まで振り絞った。「お前のことなんか、ちっとも好きじゃなかったよ」
「じゃあ何故、泣いているんだ」
泣いてなどいない。こんな状況でそんなことをする筈がないだろう、そんなのはまるで、まるで間違いだったと認めてしまうようなものじゃないか。淡い初恋だと信じていたものが引っ繰り返されて、そこでオレは漸く哀しみを実感したというのに。
「……俺が、原因か?」
「だから、思い上がりも大概に、しとけって……」
後から後から音もなく溢れてくる涙がいかなる理由によるものかなど、オレの知るところではない。













続・青に焦がれて

110321//特にくっつくこともなく終わり

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