わたしたちが肉食であることに変わりはない

蛾の画










(そういうふうに、怯えさせたかったんじゃないのに、)

男は小さく息を吐いた。視界が赤く染まっているような気がして数度瞬く。その様子を酷く慄然としている少年がじっと見上げていた。痛い、と小声で漏らす少年の声にはっとして、男は彼の細い腕を掴んでいた力を弱める。無意識に、その骨を折ってやろうとでもしたかのようだった。少年は緩む拘束から、けれどすぐに解放されようとはしなかった。ここで男の手を払い除ければ、次にどんなおそろしい惨事に見舞われるかわからなかった。何を考えているのかと、端的な問いが少年の口から飛び出た。まったく何を考えているんだろうなと、男は曖昧に返すしかなかった。綺麗な色だと思った少年の瞳は、今や絶対的な恐怖の色しか滲んでいない。そんな顔をさせたのは自分かと、男はもう一度目蓋を閉じた。
指先が急速に冷えていったのがわかった。裏切られたと思った。戦場においてもっともおそれるべきは裏切りである。仲間を信頼しているからこそ背中を預けられる――とはよく聞くものだ。男にとってそれは陳腐な滑稽論だった。戦っているのは、常に自分ひとり、である。
「……君が、いけないんだよ」
男は指先ひとつで他人の命を左右できた。ただ指を弾くだけだ。そうして自分の手で完了する。仲間という概念を持ち合わせたことがないのはおそらくこのためだ。軍隊である以上、周りと足並みを揃えなければならないのだろうけれど、自分にはそうしないことを許されるだけの力があった。つくづく、おそろしい兵器だと、思った。
少年は男の発した言葉をまるで理解できないとばかりに怪訝な顔をした。彼はいけないと非難されるような行為を行った気など微塵もなかったし、ただ単に男が歪んだ解釈に達してしまったということも知る筈がない。
「君が、」
妄執に駆られるとはこういうことを言うのだろうか、男の頭にはこの目の前でひたすら震え上がっている少年と仲睦まじく歓談している男の情景しかなかった。嫉妬に意識を奪われる女程見苦しいものはないと男は常々思っていたものだったけれど、今その立場にいるのは自分だということにはまったく気づいていないらしかった。ただそれをストレートにぶつけるだけの気概が男には備わっていなかった、だからこその現状である。
何も言えないまま、男は完全に少年の腕から手を離した。
「おこんないで、」
何もわからず、少年はそれだけ口にした。





110321 MDM(まるでだめなますだ)

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