(ぼくの言う論理が乱調して久しい、)
感情線路で迷う





恋とか愛とかよくわからないからそれらは自分には到底無縁のものだ、という体で生きてきて十五年になる。弟は人間じゃないと言い、幼馴染みは鈍いだけで本当は知っている筈だと言い、親友たちは本能で悟れなどと無茶を言う。勿論こんな話を両親にしたことはないから彼らから何か言われたことはないけれども、初恋もまだだということがそんなにおかしいことなのだろうか。早いやつは鼻水垂らしたくそがき時代にもう好きな子がいただの聞くけれど、オレはその頃人生ゲームにはまっていたらしい。よく母親から子供らしくない子供だったと聞かされて育った。周りと混ざろうとせず、たったひとりで黙々と人生ゲームを進めていたオレの話を耳にしたとき、なんて扱いにくい幼児だったのだろうかと自分で自分が気持ち悪かった。ひとり三役だったというのだから驚きを超えた。
さて、そんな調子で生きてきたオレも、もう鼻水はちゃんとティッシュでかむ歳になった。しかもちゃんとごみ箱に投げ入れる。学校はサボらず毎日行くし、電車でもお年寄りや妊婦さんや怪我人にもちゃんと席を譲る。今日も普段と同じようにしていただけなのだ。朝はともかく帰りは大抵座れる電車の中で、オレはやっぱりおばあさんに席をお譲りした。礼を言うおばあさんに会釈して、オレはドア付近まで移動した。そのときには周りのことなんてほぼ視界に入っていない。だってそうだろう、オレにはもう明け渡せる席などないのだから。ただそこからがいけなかったのかもしれない。前日のテスト勉強で徹夜明けだったオレは、そのままドアに凭れて船を漕いでいた。窓から差し込む光がとても心地よくて、上目蓋と下目蓋が仲よしさんになってしまっていたのだ。時折カーブのために揺れる振動で一時は目を開けるけれど、直進になるともう駄目だった。そろそろ最寄り駅に着くというアナウンスもまったく耳に入らず、オレはドアが開く瞬間まで睡魔さんと楽しくふわふわしていたのだ。それだから、ドアが勢いよく開け放たれたとき、それはもう、すっごく、すっごく吃驚した。吃驚して、まあ声も出ず、覚醒した頭は一瞬でオレの置かれている状況を察し、ああオレは打ちどころが悪ければ最悪死ぬかもしれない、なんて考えて、そして次にくる筈の衝撃に備えて思いきり上下の目蓋をラブラブにさせた――のだけれど、いつまで経っても痛いと思うことはなかった。どうしてオレは平気なのだろう、もしかして時が止まったのだろうか、え、ついにオレも時を止める力が!? なんて馬鹿みたいなことを考えていると、上から一言、大丈夫かとやわらかな声が降った。
もしや睡魔さんだろうか、睡魔さんがオレを助けて!? とか引き続きいい加減現実を見ろと叱られそうなことを考えつつラブラブのまま別れそうにない目蓋をどうにかこじ開けると、心配そうにオレの顔を覗き込んでいるサラリーマン風の男と目が合った。こんなに暑いのにネクタイまできっちり締めていて、糊のきいた清潔感溢れる白いシャツがまず視界に入った。発車音が響いてドアが閉まってしまったことにもオレは気づかなかった。
「駄目だよ、こんなところで立ったまま寝るのは危ない」
「あ、すいません……ありがとうございました」
「次から気をつければいい」彼は掴んでいたオレの手を離し、「ところで、まだ降りなくてもよかったかい?」
「降り……? ――あっ! あっ!? あー!! 過ぎた! しかもこれ各停じゃねーっ!」
「次停まるのは二駅か三駅後だったな……急いでいるのか」
急いでいるといえば急いでいたけれど、急いでいないといえば急いでいない。テストも無事に終わったことだし、単純にさっさと家に帰って惰眠を貪りたかっただけなのだ。
「いや……特に急いではいない、んだけど」
「ならよかった。次の駅で降りて逆方向のに乗り換えればいい。次は眠らないようにな」
「ほんと、ありがとうございました。あの、あんたこそ大丈夫?」にこりと笑いかけてくれる男が、もしかしたらオレの所為で降りそこねたかもしれないと思うとやる瀬ない。「オレの所為で……」
「ああ、いや、私は終点までだから」
「そっか、よかっ……」オレは耐え切れず、言葉の途中で大きいにも限度があるだろうというような欠伸を漏らしてしまった。「……すいません」
「はは、相当眠いんだな」
けれど彼は嫌な顔もせず、やはりその身に纏う衣服と同じように爽やかさ溢れる笑い顔をオレに向けた。これ程までに清々しい笑顔を繰り出してきた人間が、かつていただろうか。少なくともオレはお目にかかったことがない。
「あー、その、徹夜明けで。テストの勉強してたら知らぬ間に夜が明けてたっていう」
「えらいな、勉強か」
「や、全然えらくなんかないし。普段からやってなかったから慌てて詰め込んだ、という感じ」
「思い出すな、私も高校の頃はそうだったよ。毎回毎回計画的にやろうと思うんだが、結局一夜漬けになるんだ」
「同じだ! そうか、皆辿る道という訳か……」
「そういう訳だな。教師たちも自分たちと同じ轍を踏ませぬよう、あれこれ生徒に指図するが、まったく意味を成していなかった」
「そして後々大後悔する羽目に……それ、現在のオレだわ」
そうこうしている間にも車両は真面目にオレたちを次の駅へと運んでくれていた。目的地を告げる車掌のアナウンスが、今度は確かにオレの耳まで届いたことに落胆してしまったのを不思議に思いながら、オレは彼にじゃあと別れを告げる。次第に速度が落とされて行き、ゆっくりと駅のホームに滑り込む。ドアはやはり勢いよく開いたけれど、オレは先程のように体勢を崩すこともなく――「え、っ?」
電車を降りようとしたのだけれど、何かそれとは反対に働く力の所為でオレは車内へ引き戻されてしまった。これはデジャヴではない。オレの目前で、まるでリプレイでも見ているかのように扉は再び閉まった。驚いて、けれどそれ以上にオレの腕を掴む彼の手のひらの温度の高さに息が詰まる。振り返れば彼は自分でも吃驚した顔をして、そして困ったように笑んだ。
「やっぱり、君が話し相手になってくれないと寝てしまうかもしれなくて、」
最後まで彼は爽やかな男だったのだけれど―――この顔に熱が集まる感じは、心臓をぎゅうと鷲掴みにされたような息苦しさは、一体なんだ?







2011/07/02-MirossMirossMiross!!!

【嘆きの丘の聖なる星】公開日!^^この日を待ちに待っていたよ……!
でも中身はミロスとまったく関係のない、もしかしてこれが初恋なのか話でした

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