(唯一無二の弟の手を握りました。オレは弟の手を握り締めました。弟はオレの気持ちをすべて見透かしたように握り返してくれました。全然大きさの違う手だったけれど、そのとき確かにオレたちは深いところで繋がっていました。それが崩れることはないのだと信じていました。オレたちは、だから家を焼くことができました。母さんに、さよならを告げることが、できました) 屍 に 口 づ け を 昔、鳥を飼おうとしたことがある。猫ではなくて、鳥だ。僕たちはまだ幼くて、けれど巣から一匹だけ落ちてしまったらしい雛鳥を見捨てることもできなくて、そっと手のひらに乗せて家まで持ち帰った。母は驚き、そしてすぐに表情を曇らせた。僕たちが勝手に拾ってきたことに怒っているのかと思ったのだけれど、そうではなかった。母にはすべてわかっていた。雛はもう息をしていなかった。 僕たちは死という概念とそれまで向き合ったことがなかった。村で親しくしている人たちが亡くなったことも、それまで幸運なことに経験したことがなかった。だから僕たちは、その雛が死んでしまっていることにも気づくことができなかった。冷たくなるということも知らなかったけれど、それ以前に僕らは、雛鳥の羽のあたたかみと、僕らの手の体温しか感じていなかった。 母はそっと床に膝をつき、目線を僕らの高さと合わせた。 「この鳥さんはね、残念なことだけれど、もう生きてはいないのよ」 はじめて僕らが死に触れた瞬間だった。生きる、という単語の意味自体はさすがに知っていた。 「もう空を飛べないの?」 「もう飛べないわ」 兄の問いかけに、母はやさしく答える。 「もう鳴かないの?」 「もう鳴かないわ」 僕の問いかけに、母はやさしく答える。 「いい、エドワード、アルフォンス。これがね、死ぬということなの。もうこの鳥さんは飛べないし、鳴けもしない。もう二度と」 よく母が読み聞かせてくれた絵本の中に、これと似たようなことがあったような気もしたし、なかったような気もした。僕らは母の声色から、これがかなしいことだと悟った。途端に胸が締めつけられるような痛みに襲われて、僕らは母の目の前でわあわあ泣いてしまった。 「そうね、かなしいわね。だからこの子がゆっくり眠れるように、母さんと弔ってあげましょう?」 「弔う?」 「お見送りするのよ。無事に天国へ行けますようにって」 母は洪水を起こしている僕らの顔を拭って、外へ出るように促した。僕らは鼻をすすりながら、花壇へ向かっていく母の後をどうするのかわからないままついていった。実のところ、天国なんて話は聞いたことがなかったのだけれど、きっと痛みのない平和な場所なのだろうと決めつけて、そのとき僕たちは疑問に思いながらもそれについて言及することはなかった。 「さあ、このあたりでどうかしら。綺麗な花が毎年咲くし、鳥さんもさみしくないでしょう」 母はいつも手入れの欠かさない花壇の一部分を、その雛に明け渡してくれた。僕たちはやわらかい土に手を差し込んで、母の言うように穴を掘った。そして底に花びらを敷き詰め、雛をそっと寝かせた。 「おかあさん、これでどうするの?」 「上から土をかけるの」 「そんなことしたら、息できないし、出てこられなくなっちゃうよ!」 兄は母の言うことが信じられないようだった。僕も兄と同じことを考えていた。天国なんてもう忘れていた。 「あのね、エドワード。わたしたちはいつも息をしているわよね?」 「うん、だって、苦しくなっちゃうもん」 「息をすることって、すごく大切なことなの。息を吸ったり吐いたりしているから、わたしたちは生きていられるの。でもそうやって、当たり前にしていたことができなくなるときが、誰にでもくるのよ。人も、動物も。この鳥さんも」母は懇切丁寧に教えてくれようとしていた。僕たちは黙って母の話を聞いていた。風のない、天気のいい日だった。「わかる? この子は死んでしまった。もう冷たいわ。息をすることができないの。土をかけてあげて、そのまま眠らせてあげることが幸福になるのよ。苦しく思うこともない」 何がなんだかわからないけれど、また涙が出た。嗚咽を漏らしながらかろうじてわかったと言うと、母は眉根を寄せながら僕たちの頭を撫でた。兄はそのまま、雛の上に土をかけた。そこに小さなお墓ができた。 「偉かったわね、ふたりとも。きっとあの子も喜んでいるわよ。ありがとうって、言ってくれているわ」 僕の頭の中は多くの疑問で埋め尽くされていた。けれどそれを口に出すことはなかなかできなかった。尋ねてしまえばおそらくつらい思いを抱える羽目になるだろうことは、なんとなく感じ取っていた。 「おかあさん、ぼくたちは、正しいことをしたんだよね?」 どうしても不安になって、母のエプロンの裾を引いた。母は当たり前じゃない、と僕の肩を抱き寄せた。けれど、やっと生まれた穏やかな空気を破ったのは、ずっと押し黙っていた兄の一言だった。 「おかあさんにもくるの?」 「エドワード?」 「おかあさんにも、息ができなくなるときが、くるの? おかあさんも、死んじゃうの? 天国ってところに行っちゃうの?」 兄はたった今できた小さなお墓の前で、身じろぎもせずに立ち尽くしていた。僕の肩に回された母の細い腕に、微かに力がこもったことに僕は気づいた。 「そしたら、オレたちが、おかあさんに土をかけなきゃいけないの?」兄はさっきまで雛鳥を抱いていた手を強く握り締めていた。「そんなの、やだ……っ」 死んじゃやだ、そう何度も繰り返して咽び泣く兄を、母はすぐに引き寄せた。母の左手は僕へ、右手は兄へしっかりと伸ばされた。母は、僕たち兄弟を、平等に愛した人だった。 「母さんは、まだ死なない。ふたりが立派な大人になるまで、母さん、まだ死なないから。泣かなくていいのよ。大丈夫」 それは僕が訊きたくて、けれど訊けなかった問いだった。父が家を出て行って、この上母までいなくなってしまったらと思うと、怖くて堪らなかった。 「でも、」 「母さんが今まで嘘吐いたことあった?」 引き下がろうとしない兄に、母はにこりと笑ってみせた。やさしく美しい母は、僕らとの約束を違えたことはなかった。 「……ない、」 「ほらね? 大丈夫よ、あなたたちの手を離して、どこかへ行ったりなんかしないわ」 思えば、母が僕らに嘘を吐き、約束を破ったのは、これが最初で最後なのではないかと、思う。 (生涯母にだけは嘘やごまかしを言うことのないようにと、オレたちはそのとき決意しました。母にだけは正直であろうと決めたのです。それがオレたちなりの、愛情表現だったのです) (忘れることは決してないと誓います。だから母よ、最期まで明朗であろうとした母よ、あなたの愛する家を燃やしてしまったオレたちを、どうか赦してください) Don't forget 3.Oct.11 / 20111003
滑り込みセーフ!/兄弟の原点、そして無限の愛をここに。 |