(ねえ、ねえ、ぼくだけを見てよ)


好きになってあげないよ、と突き放すように言われたのを思い出した。その言葉どおりになっただけだ。その条件を飲んだのもオレだ。その意味するところとそれに伴う行為だなんてまったく考えていなかったオレが悪いのだ。傷つくであろうことも知っていたのに。
彼は誰にでもやさしい。人によって態度を変えたりすることもない。それはつまり特別をつくらない、ということに等しい。オレは思い知ったのだ、一方的に気持ちを押しつけるだけ押しつけて、与えられることのない恋がどれだけしんどいかということを。彼は、だから言ったのに、とでも言いたげな顔でオレを見る。
好きになってくれないことが苦しいのではなく、オレを信用しようとしてくれないことが苦しいのだ。彼はきっちりと線を引く。他人をつくり、わざと自己を孤立させようとする。そこになんの意味があるのかすら気づけない程、子供ではないつもりだ。
彼はおそらく怖いのだ。
「君はまだ若いから。この先色々な人と出会うだろうし、そうしたら、私に向けるその感情も、いつか忘れるよ」
そして、彼は何もわかっていない。
「同性だから駄目とか、そういうんじゃないんだ?」
「……勿論、それもある」
ひっきりなしに動いていた手を止め、彼は机上にペンを放り投げた。仕事の邪魔をしている自覚はあるけれど、追求せずにはいられなかった。
定期報告のために中央へ訪れると、オレたちはすぐに別々の行動を取った。前まではふたり揃って報告書を持ってきていたのだけれど、次第に弟は時間が惜しいからとひとりで図書館へ行くようになり、オレも司令部へはこうしてひとりでくるようになった。だから弟は、オレが今、ここでどんな会話をしているのかなど、まったく知らない。まさか兄が十以上も年上の男に迫っているとは、露程も思わないだろう。
「じゃあオレが女だったら、信じてくれたのかな」
言うと、彼ははっとしたように目を見開く。
「……そうじゃない、君が男でも女でも……私には、あまり関係がないのかもしれない」
視線を逸らし、彼は逃げるように目蓋を閉じる。放っておいたら耳まで塞いでしまうのではないかと思った。
「人が、信じられないの? それとも、オレだから、信用できないの?」
「鋼の……」
眉間に皺を寄せたのは、多分、どちらともだ。きっと今、お互いに似たような表情をしているのだろう。
「見ろよ、」同じ部屋にいるのに違う場所にいるような、そんな錯覚に胸が詰まる。「こっち見ろ」
おそるおそるというように目を開いた彼は、苦悩とでも言うべき顔でオレを見た。
「……人の愛情が、信じられない。形なんてないのに。自分が誰かに愛されるような高尚な人間とも、到底思えないんだ」
「どこ、見てんの、あんた。あんたの部下は、みんなあんたのこと慕ってるよ」
「それはね、鋼の。皆本当の私を知らないからだ。私のつくった偽りの私しか、知らない。そしてそれが一番安心できる。だから別に、やめようとも、思わないんだよ。このままでいいんだ」
訥々と吐露される心情を、喜ばしく思えてしまうのは不謹慎だろうか。
「淋しくないの。そんな壁、つくって」
「淋しい?」何も面白くはないのに、彼は口端を持ち上げる。「私に、淋しがる権利などないよ」
彼のそういった自嘲を、オレはもしかしたらはじめて見ることができたのかもしれない。彼はいつも取り繕って、本心を心の奥底に留めていた。少なくともオレにはそう感じられたのだ。
「あの戦争のこと、言ってるの」
「あれは戦争のなんてものじゃない」固有名詞は伏せたものの、存外素早い否定が飛んできた。「ただの、殺戮さ。一方的な虐殺だった」
かの地へ赴いた記憶が浮かび上がるのか、彼はそれを振り払うように頭を振る。何度かその話を聞く機会はあったけれど、誰ひとりとして肯定的に語る者はいなかった。皆口を揃えてそう言うのだ。虐殺だった、と。
「……私は信じられない程多くの人を殺したよ。彼らにも愛する人がいただろう。家族、恋人、仲間、とかね……そういう愛する者を失って、淋しいなんて言葉じゃ済ませられないくらいに、深く傷つけた筈だ。私がしたのは、そういうことだ、鋼の」
彼は座っていた椅子をくるりと回転させ、窓の方へと向いてしまう。美しい夕焼けが彼の生み出す赤を連想させてしまうのが、なんとも皮肉的だった。
「……あんたからそんな話聞くの、はじめてだよな」
「……失望させたか」
「うれしいよ」ぴくりと身じろいだのが背後からでもわかった。「だってオレにだけ、本当のあんたを教えてくれたってことだろ? うれしいよ、特別な感じがするもん」
「……君を手っ取り早く諦めさせるため、と言ったらどうするんだ?」
「オレは諦めない。試されてるなんて、光栄じゃないか」
そう言うと、彼はくっと喉を押し込めるように笑う。
「そうだった……君はいつも、前向きだったね」
「そうできゃ、こんな途方もない旅、つづけられないって」
彼は怖いのだ。オレから一心に向けられる好意が、いつか敵意とすりかわる日がくるかもしれないと、勝手に想像して、想定して、怖がっているのだ。
「大丈夫だよ」疑り深い彼のことだから、こんな言葉ひとつでは何も信じられないだろう。それでもオレは、気休めにしかならないとわかっていても、言いたい。「弱っちいところも全部ひっくるめてあんたが好きなんだから、そう簡単に嫌いになったり、しない」
「……世界中が私の敵に回ったら?」
はは、と思わず笑いを零してしまう。
「なんだよ、あんたって、意外に乙女だなあ」
答なんて決まりきっていることなのに。
オレはソファから立ち上がり、一歩ずつ彼へと近づく。こちらへ向き直った彼に向けてまっすぐに、つくりものの右手を伸ばした。
「あんたが掴んでくれたら、それで終わりさ。難しいことなんてないよ。ただ離さなければいい」そうしたら、彼の手を引いて、彼を傷つけるものなど何もないところまで、オレが連れていってあげるから。「ねえ、大佐?」
観念したように彼は躊躇いを飲み込み、骨ばった指で、そっとオレの手に触れる。
「……そんなことを言ったって、どうせ君は弟を捨てられる筈はないのにな、」
ぼそりと呟かれた真実に、わざわざ肯定を示すこともないだろう。今は、まだ。






を真似る



20111127
どうしても片恋だと、臆病なロイと、攻めるにいさんという図になってしまう。
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