左の子宮が痛い、と突然たわけたことを言ったのは彼だった。聞き間違いかとも思ったが、彼は深刻な顔をして下腹を押さえていたのでそうではないことを知る。 「……唐突に、なんだね」 彼に振り回されるのはいつだって自分の方だ。大人びた表情をするかと思えば小さな子供のように駄々を捏ねたりする彼に、毎度私はうんざりしながらつき合う羽目になる。放っておけばいいと言われるかもしれないが、彼は私が反応するまで騒がしく喚くので、その手は使えないのである。これでは弟の苦労も知れるというものだ。 「だから……左の、子宮が……」 「お前は男だ!」だん、と力任せに机に拳を降り下ろす。彼はびくりと肩を震わせ、落としていた視線を私に向けた。「……なんだ、その目は」 明らかに、嫌悪が込められている。 「オレが女だって言ったらどうすんの」 「確かめるまでもなく、お前が女でないことは重々承知だ。なんならそこで脱いでみろ、今ここで確かめてやる」 「は、」 「その胸で女だと寝ぼけたことをぬかすなよ。まな板どころの話じゃないぞ」 「そっ、そこまで言うかよ……信じらんねえ……!」彼はコートの前を手繰り合わせ、私を睨みつける。「あんたにどうして女が小蠅のようにたかるのか、ちっともわかんねーわ!」 わかりきったことを言うものだ、と私は一笑する。 「それはお前が女ではないから、わからないことなんだろう」 単純明快である。女は自分にやさしくしてくれる男を好む。見目がよければなおよし、加えて金と地位もあるような男を、どんな女が嫌うというのか。好かれたことはあれど、女に疎まれたことはないのが私の誇りである。男としてこんなに素晴らしいことはない。 「オレがたとえ女でも、あんたみたいに性格のねじ曲がった男はごめんだね!」 彼は実に忌々しげにそう吐き捨てるが、私にとってなんのダメージにもならない。 「エスコートしてほしいならそう言いたまえよ」 「誰が!」 こっちだってお前のようなちんちくりんなどこちらから願い下げだがな、と心中で呟く。 「それより、腹の調子はもういいのか? ありもしない子宮が痛むなど、そのうち想像妊娠でもしそうな妄想力だな」 「うっせ……え……うあ?」 「今度はなんだ」奇妙な声を発したかとお前ば、彼は思考停止したかのように一点を凝視したまま動かなくなる。「……おい、本当にどこか悪いのか? おい。鋼の?」 何度か呼びかけて、やっと反応が返ってくる。 「……大佐、」彼の意識は一体どこへ向かっているのか。「たすけて……」 消え入りそうな声で、彼はそう言った。彼からそんな言葉を聞いたのは、おそらくこれがはじめてだ。明日は吹雪くかもしれない。 「たすけて、たいさ、オレ、死ぬかも、」 「ちょっと待て、一旦落ち着け。……どうした?」 ただならぬ反応に、椅子に深く沈めていた腰を上げる。執務机を回って彼が座っているソファに近づくと、彼の前に膝を落とす。間近で見てやっと気づいたが、彼は酷く青褪めていた。 「鋼の?」 「血が、」血が、と譫言のように繰り返す。「血、血が、うわ、」 彼の視線の先を辿り、私は漸くその意味に気づく。ついで、愕然とした。 「……待て、君は、男だよな?」 当然、肯定が返ってくるものと思っていた。だから私は彼の返答など待たずに、普段中尉が仮眠用に用意してくれる薄手の毛布を彼の腰に巻きつけ、微動だにしない小さなかたまりを抱き抱える。黒の皮張りで気づきづらかったが、ソファには紛れもない血の存在が窺えた。血の気が引いたが、これが彼のもので相違ないとすると、本当に血の気が引いているのは彼だ。 「おい、男ならこれくらいの出血で死ぬなよ!」 朦朧としている彼を抱え執務室を出ようとするところで、向こう側からドアが開く。 「大佐、何やら騒がしいですがどうか――」 「君のタイミングのよさは天下一だな!」 まさに天の助け! 丁度いいところにきた! 「エドワード君、どうかしたんですか?」 「突然腹が痛むと言い出したのだが、どうやら下腹部から出血したようだ。早く病院に連れていかねばと、」 「あら、」彼女はこんな緊迫した状況だというのに顔色ひとつ変えず、それどころか笑みすらたたえて彼の頭に手を伸ばす。「お祝いしなくてはね」 「……は?」こんな、出血して、顔を真っ青にしている彼に向かって、お祝い? 私の耳は正常な働きをしている筈だから、聞き間違いではない。「中尉、君が何を言っているのだか、どうも理解しがたいのだが、」 「だってエドワード君、初経でしょう。お祝いする習わしですよ、大佐ともあろう人が、まさか知らなかったとでも?」 「いや、私はそれ以前のことを訊いているのであって、」 「それ以前、というと」 「彼は――」ちら、と腕の中でおとなしくしている子供を見る。目蓋を伏せたその容貌は、むしろ少女と形容した方がしっくりこないでも、ない。「……男、じゃ、」 言葉にした途端、中尉はとんでもないものを見るような目で私を見た。 「何を言っているんです、この子は――女の子ですよ」 「だ、だって、君、エドワード君と、この子だって、男のように、というかそもそも男子の名前じゃないか!」 国家錬金術師関連の書類にも、確かに男とあったのに! 「それはこの子が男として扱われるのを望んだからで……男の子の名前なのも、きっと理由があるんでしょう。それより大佐、早く彼女を着替えさせないと……」 飄々としている中尉のようにはなれなかった。私は疑うことなくずっと彼を男だと思い、男のように接してきたのだ。それが、まさか、ここへきて覆るなど――今更彼、否、彼女を女扱いしろというのは、いくら私であっても、至難の業と言わざるを得ないだろう? 20111224 にいさんが女子話、はじめて書きました。最初はまったくそんな気なかったんですけどね。男の子が子宮痛い発言したら面白いなって思っただけなんです、本当です。苦手な方がおりましたらすみません。メリークリスマスイブ! |