正義は腐り落ちた/20130212



遺書を書こうと言い出したのはヒューズの方からだった。
「なあ、ロイ、遺書を書こう」
彼が何を思ってそのようなことを言い出したのかは、決して想像できないことではなかった。むせ返る程の煙塵に塗れて毎日毎日飽きもせず人を殺している。表向きどんな大義名分を掲げられようとも、やっていることはそれと同じだ。イシュヴァールの地を血で濡らし、その血の海の中をひたすら突き進む。圧倒的兵力の前になす術もなく倒れていく無力な民たちの叫声と、絶え間なくつづく銃声、爆発音、それらをBGMにしながら俺たちはそれ以外何もインプットされていないかのごとくただ下された命をまっとうすることだけに尽力する。そこに個人の意思はない、言わば殺戮マシーンだ。明日生き残れるかどうかも定かではない状況で、故郷に愛しい人を置いてきた彼にとって、そんな死と隣合わせの生活は気弱になってしまってもなんらおかしくはなかった。
「……遺書なんか書いて、本当に死んでしまったらどうするんだ」
「もしもってあるだろ。……今日も、俺の部下がひとりやられた。俺もどうなるかわからねえ」
焚き火に木をくべながらヒューズは赤々と燃える火をぼんやりと眺めている。もう夜も遅く、軍事用テントに戻って寝てしまった方が体力回復のためにいいとわかってはいるが、あんな狭苦しくて饐えたにおいのする場所で眠れるかと言ったらそうでもない。まだ外の方が、いくらかましだ。本当に僅かの差でしかないが。
「……この火が、血に見えてきた。俺も末期か」
「こんな状況で、精神に異常をきたさない者などいない。末期と言うなら、俺だってそうだ」
「お前の炎も、赤いよなあ。お前が通った後には焼肉のにおいがして、いつも吐きそうになる。俺はミディアムがいいのに」
「すまんな、大総統閣下はどうもベリーウェルダンがお好みのようで」
「ただの丸焦げだろ」
冗談とも取れない冗談を口にしたところで、誰が笑えるというのか。昨日も、一昨日も、一昨昨日も、同じように俺は人を焼いた。大衆のためにあるべき錬金術の力でだ。戦場においての優先順位はいつだって揺らがない、それが俺の首を締めつける。きつく巻かれた首輪、それを繋ぐ鎖、手綱を握っている男がベリーウェルダンを望むなら、俺はそのようにするしかない。今日もまた、同じことを繰り返して一日が終わるだろう。
「……遺書って。何を書くつもりなんだ? 彼女に宛てたものか」
「ああ、まあ……それもあるか。別に、遺書と銘打って書かなくたって、彼女に宛てた手紙は自動的にそれっぽくなっちまうんだけどな、申し訳ないことに。俺が言いたいのはそうじゃねえよ」
「意味がわからん……」
「まあまあ! とりあえず、書いてみようぜ。なあ?」
どこからくすねてきたのか、ヒューズは懐からしわくちゃになった紙とペンを取り出し、俺に押しつける。正直気乗りしなかったし書くこともなかったのだが、赤い火に照らされた、あまりにも切羽詰まっているように見えた彼の顔が、大人しくそれらを受け取る気にさせた。
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ヒューズがそのときに書いた遺書は、戦争とも呼びづらい戦いが終わった後もどうやら大事に保管してあったらしい。彼の葬儀を済ませ、遺品整理をした際に彼の書斎からそれが出てきた。彼の妻もその存在を知らなかったようだ。目を通したかと尋ねると、彼女はこわくてとても開けなかったと言っていた。賢明な判断だと思う。こんなもの、ヒューズは絶対に見られたくなかった筈だ。年月が経って黄ばんだ紙の端に火をつける。遺書などにはとても見えない、俺からしてみればそれはただの懺悔の文だった。










愛する人はいるけれど、再会したとき、彼女が自分の手を拒絶したらと考えると夜も眠れない。いつか子に恵まれたとき、その子を抱き締める勇気もない。身体中に染みついた血のにおいは、おそらく永遠に薄れることはないと思う。
絶対に言ってはいけないこの言葉は、絶対に誰にも聞かれたくない。ただ一言で済むのに、口にはできない。こめかみに銃口を向ければすぐに終わるのに、そうはできない。それとも一切の感情を捨ててしまえたら、俺は楽になれるのか。
目を閉じると幾人もの視線に囚われる。明日にはそれも、引き金を引いた分だけ増えるだろう。自分はまだ正常なのだと言い聞かせながら、まるで息をするかのように人を殺すのだ。傑作だろう?
躊躇いを失った日を思い出す。考え得る限りの最低最悪な死に方で、俺は死にたい。


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