シンク/20130303



昔。昔の話を、しようか。
オレは子供の頃、暗闇が不得手だった。ああ、子供の頃って、母さんがまだ生きていた頃ね。だけどオレはこんなでも一応兄だから、弟の前ではみっともない姿を見せられなくて、暗いところが怖いなんて誰にも言えなかった。もしかしたら母さんは気づいていたかもしれないけど、オレは自分から誰かに暗いのが駄目だって言ったことはないんだ。
何故苦手だったのかって? それは、だって、単純に怖くて。考えてみろよ、本当の暗闇を、あんただって一度くらい体験したことあるだろ? 自分が目を開けているのか、閉じているのか、それすらもわからない。右を見ても左を見ても、そこにはただ黒一色で塗り潰されたような、景色とも呼べない景色が広がっているんだ。オレはそれが、たまらなく怖かった。自分が今一体どこにいるのか、ここが現実世界であるのかどうかもよくわからなくなって、終いには生きた心地がしなくなる。そして、はっとする。オレがここにいるのが、正解なんじゃないかって。光のあるところで生きているのは皆虚構だったんじゃないかって。馬鹿みたいだよな。……馬鹿みたいだなって笑えよ。
今? 今は……怖くない。怖くなくなった。克服したとか、そういうんじゃないけど、とりあえずオレは暗闇が平気になった。気づいたんだよ、真っ暗で何も見えないなら明かりを灯せばいいって。そんな簡単なことに気づくまで、何年もかかった。まったく、時間を無駄にした気分だ。あ……まあ、そうだな、怖くなくなったっていうのは違った、あれだ、嘘だな。はは、わりい。今でも暗いのは駄目だけど、解決策を見出したから平気ってことだよ。
でもだから、たまにやむを得ない事態……たとえば停電とか、に直面したとき、一瞬訳がわからなくなるんだ。あまりにもいきなり暗闇に放り出されるとパニックになる。心臓が口から飛び出そうになるんじゃないかってくらい、動悸が大変なことになる。冷や汗が止まらなくなってさ。うん、大丈夫、大分落ち着いてきた。他人の気配があるのとないのとじゃ全然違うな。アルは……あんまり、……いや、そんなことない。そんなことなかった。うん。今のなし。なしったらなし。
その、暗闇が得意じゃないのって、母さんをつくった後からエスカレートしちゃってさ。思い出すんだよなあ。そのときの光景がまざまざと浮かび上がる。アルの身体とオレの手足が持っていかれて、目の前には、じんわり滲むように光る目玉がふたつ。こっちを見ているんだ。目があった瞬間に、オレは猛烈な嘔気に苛まれる。最低な気分だよ、ほんと。
(sink:沈むこと、沈没すること)









不意に司令部にもたらされた停電で、一番最初に響いたのはあろうことか鋼のの叫声だった。そう、まさに、断末魔のごとき叫び声。明らかに恐慌をきたしている彼の様子に私も一時唖然としかけたが、とにもかくにもまず明かりが必要だと、先程まで処理していた書類の何枚かに火をつける。後でどやされるだろうが、今はそうも言っていられないだろう。
「鋼の、落ち着け、大丈夫だ」
気休め程度に声をかけ、僅かな火に照らされたランプに手を伸ばす。こんなこともあろうかと常備しておいて助かった。さすがに部屋の照明には劣るが、これでやっとぼんやりと室内が照らされる。鋼の、と呼びかけながら地べたに丸まって座り込む彼にランプを持って近づけば、彼はうっすらと涙を浮かべた目をこちらへ走らせた。
「どうした? そんなに驚いたのか」
「あ、……や、これは、ちがくて、」
歯の根が合わずうまく喋ることのできない彼の肩にそっと手をやると、彼の方から私の腕にしがみついてきた。珍しいこともあるものだと思うと同時に、内心で首を捻る。何が鋼のをこうさせているのか。ランプを床に置き、は、は、と浅く息をする彼の背中に手を回す。拒絶されないことを確かめてから、そのまま彼を抱き込んだ。
「よしよし、私の呼吸と合わせてみろ。大丈夫だから」
忙しなく動く心臓を落ち着けるように一際大きく息を吸い込むと、彼はゆっくりと私の言うとおりに呼吸を落ち着けていく。そうしてから、ぽつりと、昔の話をしようか、と呟いた。
(think:考えること、思考)




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