(夢を、捨ててしまえばよかったの)





糖 
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驚いたのは彼もそうだろう。私もそうだった。
「鋼の?」
久しぶりに鬼のような副官から頂いた休暇を特に有効活用するでもなく、だらだらと窓辺に叩きつける雨粒を見ていればちらりと赤が過ぎったような気がした。まさかなとは思いつつ一応呼び鈴もノックも鳴らない扉を開け放てば、緋色のコートを色が変わるくらいに雨に打たれたのだろう少年が立ち尽くしていた。
「鋼の、こんなところで何をしてる」
常套句であろうそんな台詞を口にすれば、彼は困ったように首を傾げる。何故かは自分もわからないようだ、ただ足が向いてしまった、というところだろうか。
「ていうか、雨に打たれすぎて寒い」
それ程濡れ鼠になっていれば当たり前だろう。仕方ない、私は彼の腕を取り、半ば強引に招き入れる。掴んで初めて知ったが、彼の左腕は枝か何かのように細く骨ばっていた。もっと肉をつければいいのにとも思う。
「君、馬鹿じゃないのか。さっさとシャワーを浴びてこい。必要なら湯も入れる」
「ん、ああ、いいよそこまでしなくて。余計な気遣い無用」
素っ気なさはいつもどおりだったが、表情がやけに乏しい。何を考えているんだかわからないような、生気をどこかで削がれてきたような表情で風呂どっち、と訊かれたのでどこかおかしかった。
「まっすぐ行って右だ」
私の教えたとおりに進む彼は、足取りも危なっかしい。きちんと歩いていると思ったらふらふらと、一体この雨の中何をしていたんだか。多分あの服は乾かさないと着られないだろうし、着替えが必要だろう。確か新しいシャツがあった。バスタオルは使い古しでも構わないだろう。そこのところ頓着はしなさそうだし。
用意をしている間に浴室へ引っ込んだ彼の衣服は、ドアの前に脱ぎ散らかしてあった。もう少しなんとかしてもよさそうなものだが、これは生来のずぼらさという訳でもなさそうだった。仕方がないので水を吸って重くなった彼の服を洗濯機に放り込む。濡れたそこは雑巾で拭きながら、
「何をどうして私の家の前にいたのか、説明くらいしてくれるんだろうね?」
と尋ねれば、問いには問いで返ってくる。
「その前に、どうしてあんたがオレの来訪に気づいたのか、教えてくれないの?」
「……なんとなく、誰かがきたような気がしたんだ」
誰かはなんとなく予想していた。本当にいるとは思わなかったけれども。さて、私は答えた。
「君の番だ」
「んー……大佐が、人の心読める奴だったらなあ」
彼が何を思ってそんなことを口にしたのか、まったくわからないという訳ではない。言葉にするのがただ単に面倒だとか、そういうのだろう。
「駆け引きが面白いんじゃないか。私はそんな特殊技能ほしくないね」
「そ」
多分に彼は半分も理解していないに違いない。そんな相槌だった。
「大佐あ。バスタオルとか、着替え貸して」
「もう用意している」
「早……」
それまでひっきりなしに鳴っていた水流音が止まる。私がここにいては彼も出てきづらいだろうと思いコーヒーでも入れて待ってようかとしたのだが、肝心の彼が動く様子がない。
「……鋼の?」
返事もない。ドアを開ければ排水溝ら辺で彼は蹲り、気分でも悪いのかと尋ねれば首を数度横に振られる。けれど彼が次に口にした言葉は真逆だった。
「わ、る……」
「は?」
「ごめ、吐きそ……っ」
「いいから吐け、ここで吐いていいから」
急ぎ彼の元へ近寄り、自分でもなんの意味があるのかわからないが、取り敢えず彼の湯で濡れる背中を撫で下ろしてやる。
「う、え……げほ、っ」
「大丈夫か。最後まで吐いてしまった方が楽だ」
そう言えども彼の胃袋には胃液しかなかったようで、出てくるのはそれくらいだった。昼飯すら取っていなかったのだろうか。ノズルを回しすべてシャワーで流せば、気持ち悪そうに口元を押さえる彼があんた結構世話焼きなんだなとかなんとか言ってきたので、適当な言葉で流す。
「ほら、立てるか?」
頼りなく頷いたのを確認してから彼のそばを離れ、用意しておいたバスタオルで浴室からやっとのこと出てきた彼を包み、そのまま髪を拭いてやる。確かに世話を焼きすぎかもしれないなとは思ったが、今の彼を目にしていれば誰でもなんでもやってあげたくなってしまうだろうと思う。いつもの勝気さはどこへ行ってしまったのかと目を疑う程の変貌ぶりだ。いや、変貌というか、ただ単に弱ってしまっているだけなのだろうが。
「あー……」
「なんだ? 吐き足りないなら……」
「もういいよ、そうじゃない」
自分で身体を拭きながら、彼は迷うように私の目を見た。
「ごめん。なさい」
「……君は……いつも唐突に謝るな」
謝られる理由も思い至らないまま、彼は勝手に自己完結してしまうことが度々あった。今もなんのことか結局言わないままに、話を別な話題に切り替えてしまう。
「雨は、嫌だな……」
「同感だな」
今日ばかりは皮肉のつもりで言っている訳ではなさそうだったので、ここは素直に同意しておく。確かに雨は嫌いだ。耳を澄まさずとも雨の音が外から流れ込んでくる、きっとその音を聞いてのこの話だろう。
「そっか、あんたも、雨だけはね」
「ああ、雨だけは。……もう洗濯機に放り込んでしまったから、洗い終わって乾くまでうちにいなさい。着替え」
洗濯機に突っ込んだ衣類の中から下着を探し出す彼に、どう見ても大きすぎだろうシャツとズボンを手渡す。うちにはこれしかないので仕方がないのだ。裾を折るとかすれば着れないことはないだろう。
「や、いいや。シャツだけで。大佐、ついでにソファも貸して」
「……寝るんだったらベッドの方がいいんじゃないか?」
「そこまでしてもらう義理、ないよ」
言うやいなや勝手にリビングへと歩き出してしまう彼の後を追いながら問えば、やはり返ってきたのは素っ気ない返答。
「………………」
子供なのだから、甘えるだとか、頼ることをもう少し知ってもいいものではないのかと、思うのだけれど。彼の性格や立場からしてそれが難しいのなら、こちらも奥の手を使うまでだ。
何か悟ったのか振り返ろうとする彼の膝の後ろに手を回し、横に抱き抱える。実力行使というやつである。
―――何すん……っ」
「いいから、黙ってないと下噛むぞ」
彼にはこのくらい強引な方が丁度いい。普段なら下ろせとかなんとか言って喚き散らすところなのだろうが、存外大人しい態度でいてくれたので階段を上るのが楽でよかった。
「……オレ歩けるのに」
「まだるっこしい。こっちの方が速いし、君の負担も減る。一石二鳥じゃないか」
「はいはい……」
「結局有耶無耶にされたが、君が帰るまでには聞かせてもらうからな」
まったくどうしてこんな雨の中ふらふらしていたんだか。その結果こんなありさまではどうしようもない。
「……しつこ……つーか、ごめん。折角の休日」
「別に、することもなくて暇だったしね、構わないよ。少々のハプニングなら歓迎する」
あくまで少々だが。
「はー、なるほど」
何が成程なのか。
「私は下にいるから、何かあったら呼びなさい。弟はどうした?」
生憎寝室というものはひとつしかない。嫌がろうが何しようがしょうがないと思いつつ、彼には私のベッドを提供した。彼に毛布をかけながら弟の居場所を尋ねる。
「アルはー……宿に」
「連絡しておくが」
「電話番号……いいや、いい。面倒」
「君ね……心配しているんじゃないのか」
「喧嘩した」
「おや、珍しい」
「そんなんしょっちゅうだよ……でも、起きたら、かける……」
目蓋が重そうだ。あれだけ雨に打たれれば、相当堪えたことだろう。昔から考えなしなのは変わらないと見た。
「アルは……、待ってると思うから」
抗えないまどろみの中でそう口にする彼は、自分でも多分気づいていない。苦く、何かに怖れているような表情を和らげてあげたくて彼の頭を撫でれば、逆に一層強まってしまったことも。







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080103
雨葬とカップリングな訳ではなくて、ただこれにも使えるんじゃね? とか思ったが故のレイアウトorz
つーか何これ終わらなんか、った……! ま、まだ続きます。

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