口悪説は染みのようなもの


 ひとを、ものを、じっと観察するのが癖だ。
 おもしろかったり不思議だったりするほど、僕は対象から目を逸らせない。何時間だって飽きもせずひたすら眺めているぼくのこの癖は、ただしこわいものは対象外だ。おそろしさという刺激はできるだけ記憶に残しておきたくはないから、すぐに見なかったことにする。
 ある日ぼくが住まう屋敷にやってきた少年は、ぼくのなかで「不思議なもの」「変なもの」「興味深いもの」というカテゴリに振り分けられた。
 彼が家族となって暫くすると、仲よくしなくちゃ、なんていうおかしな使命感はすぐに薄れて、ただの観察対象として近くにいることが多くなった。彼のやることなすことといえばことごとくぼくの嫌なことで、なんだこいつはと頭にくることなんて星の数ほどあるけれど、逆に何故こうも彼はぼくの嫌がることばかりしたがるのだろうと不思議に思えて仕方がなかった。
 だからぼくはずっと彼を見ていた。そうすると、ぼくの視線が気になるからだろうか、彼もまたぼくをよく見た。大抵、鬱陶しそうな視線だった。  彼を見ていると、なるほどすばらしい外面ではないかと関心することがままあった。彼は行儀もよく、人を立てながらも自分を貶さず、言葉選びが秀逸で、何をさせてもそつがない。取り立てて欠点らしいところのない彼の唯一の欠点は、性格が破綻しているという点だった。
 彼は、性格が悪い。性根が腐っている、と言っても同じことだ。少しオブラートに包んだ言い方をするなら、癖のある性格をしている。ただ彼は自分自身でそれを知っている。だから彼は頭がいい。
 同じ屋敷で暮らしはじめて二年目の冬、彼はついにぼくの視線に我慢できなくなったようだった。むしろ、二年もじっくり眺められてよくもったものだと思う。おそらく、心底嫌いであろうぼくという人間に。
「言いたいことがあるなら口で言え」
 彼はぼくの片耳を掴むと思いきり引っ張り上げながらそう言った。
「言いたいことなんて何もないよ」
「嘘を吐くな。いい加減、きみのそのまとわりつくような視線には辟易する。目で喋るな、口を動かせ」
「仮にきみに言いたいことを言ったところで、きみは鼻で笑って終わりだろう?」
「終わりじゃない。気に入らなければ殴って蹴飛ばしてやる」
 なんと理不尽なことか。
 ぼくの口から自然と漏れ出た溜息に彼はまた苛々としたようで手の力が強くなった。痛い、と反射的に叫ぶと、彼は口の端を上げて投げ出すように手を離した。ふらついた身体は追い詰められた先の壁のおかげで倒れることはなかった。
「……きみが嫌だと言うなら、もう見ない。興味が失せたから」
 ぼくのこころのなかにあった天秤が、「不思議なもの」「変なもの」「興味深いもの」から「こわいもの」「おそろしいもの」へと傾いた瞬間だった。彼の暴力には、ほとほと嫌気が差していた。
 ぼくの言葉に煽られて強まった怒気を隠そうともせず、彼の握り締められた拳はまっすぐぼくの頬に打ち込まれた。殴って、その次は、蹴りかな――と身を固くすると、思いも寄らないところに足を振り上げられて、ぼくはあまりの痛みに顔を顰めながらくずおれた。
「無様だな、ジョジョ」
 下腹部へ与えられた衝撃をどうにかやりすごそうと力の限り目を瞑る。口のなかは鉄の味しかしない。あまりにも滑稽であろう自分の姿を見下ろして笑う酷薄な彼は、やはりいい性格をしているとはとても言えない。
 その日から、ぼくは彼と目線を合わせることはおろか、極力視界に収めないことに努めた。もう二度とこんな思いはごめんだった。観察対象は他にいくらでもある。彼だけが、ずっとそうだったわけではなかった。
 のちにぼくは知ることになる。彼の欠点はひとつではない。彼は性格が悪く、面倒くさい男でもあるのだと。今度は「ぼくを見ろ」と堂々と言ってのける度胸は、買わないこともないけれど。

03, January 2015


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