「まずさあ、」 少年は長いこと黙りこくっていた―――と思ったら、次の瞬間にはそう口を開いた。私は訳もわからずに、薄い紙の上に頬杖をつきながら少年をじっと見つめる。私の机には、先程部下が置いていった書類で半ば埋もれている。忙しいときに限って、こうして彼はやってくるのだ。 「どこからおかしくなってたか、ってことなんだよね」 「……何がだ」 「苛々してる? 眉間、皺」 してるとも。こうして君と話している間にも、仕事の期限は迫っている。君はなんの被害も受けないだろうが、私は違うのだ。運が悪ければ―――殺される、かもしれない。 「あはは。大丈夫だって。中尉は冗談でしかそんなことしないよ」 「冗談じゃなかったらどうする」 「……死ぬね。そしたら指さして笑ってやるよ、ぶはは」 こいつ……。一度燃やしてやろうか……。 「あー、やめてやめて。アルが泣くじゃん」 「知るか。さっさと用件を済ませて帰れ」 「つれないなあ」 「つれなくて結構。私は鬱陶しい奴が嫌いでね。君もその部類に入るな、これは」 「あらまあ」 彼は口元に手を当て、わざとらしく驚いた。なんだそのリアクション。 「まあいいんだけどさ―――そういう話をしにきたんじゃないんだ、オレは」 「奇遇だな、私もそんな話をさせられるために君を通したのではない」 「んじゃなんで?」 私は暫し迷った挙げ句、 「知るか」 先程と同じ台詞を繰り返した。 「語彙が少ないんだなぁー、大佐って」 無意識に力が入ってしまい、ペン先が紙に食い込み、びり、と破れた。 「中尉! 中尉きてくれ! このガキが私の仕事の邪魔をする!」 「おわっ、あんた何言ってくれるんだよ! オレまで巻き添え食うじゃん! つーかオレはガキじゃねぇー!!」 「お前など巻き込まれてろ! 邪魔だ!」 「そんな本気で邪魔がらなくてもさあ!」 私が懸命に叫んだのにも関わらず、誰かくる様子はまったくない。上官が必死こいて助けを呼んでいるのに、中尉は何をやっているんだ。 「あ、中尉ならさっきどっか行ったけど」 「それを先に言え!」 何故かわからないが、私が恥ずかしい人、みたいなことになっているじゃないか。 「けどまあ、ハボック少尉とか、いたよね」 薄情な奴らめ……! 「じゃあ、聞いてくれる? こんなこと、アルには話せないんだ」 「……君がそういう風に前置きするときは、大体暗くて重くてくだらない話だと自覚しているのだろうか」 独白のように呟いてみる。 「くだらないは余計だ。……自覚、ねえ」 「まあいい、さっさと話してさっさと帰れ。どうせ私に助けを求めるつもりでもないんだろう」 「うん。愚痴みたいなものかな。なんか、大佐に話すとすっきりすんだよね」 「延々と愚痴られる私としては堪ったもんじゃないがな」 「そんなこと言わないでさー。ね」 何が「ね」、なのか。 「……仕方ない」 「どーも」 そう言って、 「アルが、『兄さんおかしいよ』って言うんだ」 ―――は? 思わず私は手を止め、顔を上げた。そこには無表情な彼が、無表情のままで、こちらを見ていた―――まるで表情をなくしてしまったかのような。 「『兄さんどうしたの?』って」 「それは、……」 「何度も、言うんだ。『兄さん、笑えなくなったの?』って」 そういえば、と私は少し前の記憶を遡る。 ここへきたとき、彼は無表情だった。でもそれは別に、おかしいということもない。笑顔満載でこられても、そちらの方が私にしてみれば不思議だ。何か企んでいるんじゃないかとさえ思う。 彼は私に適当に挨拶した後、ずかずかと踏み入ってソファに腰を下ろした。そのまま何も喋らないかと思ったら、彼はおかしなことを言い出し始めたので、仕事に没頭していた私は一度顔を上げた。それから、再度紙面に目を落とし……。だから、それから彼の顔は一度も見ていない。彼が笑ったときも、怒ったときも。 「オレ、笑ってない? 自分では笑ってるつもりなんだ。さっきだって。でもアルは『今日の兄さん、おかしいよ』って言う。しまいには体温計まで持ち出す始末だ」 「―――一度、鏡で見てみたらどうだ」 「怖くて見れない。だってさ、もしアルの言うとおり、―――笑えて、なかったら。表情作れてなかったら、オレ、駄目だ。きっと」 ここで、笑えないと言う彼に「試しに笑ってみろ」と言うのは気が引けた。もし本当に表情を失ってしまったのなら、私には何も言えない。「笑えてない」と告げることは、到底無理なように思えた。私には、荷が重い。 「なあ、どう思う? オレがおかしいんだと思う? それとも、アルがおかしいのかな」 「……さあ」 「さあじゃなくて。本気で考えてよ」 じゃあ、なんと言えば君の気が済むのか。「そんなことはない、ちゃんと笑えているよ」、とでも言えばいいのか。 「オレさ、熱もないし、ちゃんと正常で、気も確かなんだけど」 「そのようだな」 「でもアルは、氷枕まで用意するし。司令部行ってくるっつったら、『今日は外出禁止!』だってさ、あはは」 ―――笑った、のだろうか。今。 しかし「あ、笑っちゃった」と彼が言ったからには、それが例え、無表情でも―――笑顔、と呼ぶのだろうな。 「……一緒に、考えよう」 「え?」 「何か間違いが、あったんじゃないかい」 「間違い……?」 「君が、笑えなくなるような、理由だよ」 何も言えないだろうと思っていたのに、本当に、ちっとも笑えない彼を目にしたら、何も言わない訳には、いかなくなってしまった。 まちがいさがし 070226 最終的に言ってしまいましたね、大佐。ていうかタイトルがそぐわない……(沈) |