はがね――よいやみにいざなわれ、 ※パラレルっていいよね!






夏よりも長く影が伸びるようになり、もう秋だなあとぼんやり思う。
茜色の光に照らされて、外は朱に染まっている。地面も、そこに根づく木々も。ここから―――ある病院の一室から見えるのは、精々それくらいだ。いい景色だとは思うけれど、朝から晩までずっと見ていれば、もう飽きる。


「エド」
時折、秋の冷たい風に乗って花の香りが鼻孔を掠める。どうやら花壇に植わっている花の香りらしい。オレに花の香りを嗅ぎ分ける能力なんてないから、なんていう花なのかは知らない。知っても、どうせすぐ忘れてしまうだろうから、わからないままでよかった。
「エド。……ちゃんと聞いてほしい」
「……うっせーなぁ」
あんたの話なんて聞く意味ねーよ、とオレは窓枠に腕を乗せたまま、動こうとしなかった。けれど多分、白衣を着込んだ医者は、顰めっ面でオレを睨んでいるんだと思う。
「あ、……蜻蛉」
外を眺めるオレの目の前に、すいっと、赤色の蜻蛉が横切った。
「ねー、先生。知ってる? 赤蜻蛉なんていないんだよ。それって実は蜻蛉の総称でさ」
「……そうか、それは初耳だな」
「あ、そう? 医学のことならなんでも知ってんのにな」
少しばかり皮肉も込めてみた。そんなヘボっちいアイロニー、この医者には通用しないことくらい知っているけれど。
「なんでも、ということはない。私にだって知らないことくらい沢山ある。例えば―――
「オレの病気の治し方、とか?」
「……そうだな」

病院の空気は嫌いだ。暗くて湿っぽくて、生ばかりじゃなくて死も孕んでいる。大抵の患者は、回復して元気に別れの挨拶をしてサヨウナラ。その他の患者は、どんどん病気が進行してやがてこの世にサヨウナラ。別れの挨拶だってできなかったりもする。
そしてオレもその他に部類される。原因が何かもわからなくて、治療法もなくて、それでも確かに死を連れてくる病がオレの身体を蝕んでいる。
「ただ、私は君に諦めてもらいたくはないんだ。今は辛いだろうが、乗り越えてほしい」
「無理だよ、そんなの。オレの身体だ、オレが一番よくわかってる。あとどれくらい生きていられるのかってことくらい。あんただってわかるだろ? 患者に希望持たせなきゃいけないって思ってそう言ってるだけなんだろ?」
「まさか、」
「薄っぺらい言葉なんかいらないから、オレ」
夕焼けが綺麗だ。遠い茜空に、淡い花びらが風に吹かれて舞う。手を伸ばしても、掴むことは叶わなかった。
「先生」
くるり、オレは向き直る。医者の目は鋭かった。それでいて哀れむような瞳だった。
「オレさ、死ぬことなんか怖くないよ」
「なくすものがないからか?」
首肯。
「元々生きることに執着してる訳でもなかったし? 家族もいないし? 大事なものは何ひとつ、持ってねーの」
オレには父親と母親と弟がいた。四人仲よく、とまではいかなくても、取り敢えず平凡な家庭でオレは育った―――あの事件が起こるまで。


家の裏に積んで置いた新聞に、どうやら火をつけられたらしい。要は放火だ。無差別的な犯行で平凡な家庭を築いていた家は焼け落ちた。
そのとき燃え盛る劫火から助け出されたのはオレだけで、他は手遅れだったと後から聞いた。意識のないまま病院に担ぎ込まれ、そのときお世話になったのがこの目の前の医者なのだけれども、だからこいつはオレの背景を知っている。

「神さまってさー、ほんとにいんのかな」
「……何故そう思うんだ」
「だってこんな不幸街道まっしぐらな人間、どういった理由があってこの世に生み落としたのか訊いてみたいじゃん。いたら」
「君は不幸なのか?」
「不幸っちゃあ不幸なんじゃないの。一回命助かったと思ったらもうすぐ死ぬんだから。笑える。……これも当事者次第だろうけど」
「私があのとき君を救ったのは、君に死んでもらいたかったからじゃない。死ぬために生かした訳じゃない」
「でも死ぬんだから仕方ないじゃん。オレの意志じゃねーよ」
「そこが大事なんだよ、エド。君が心の底から生きたいと思わなければ、君はこのまま死ぬだろう」
「生きたいって思ったら死なねーの?」
「できる限りのことをしよう。だがこれも、君の意志次第なんだよ」



あのとき死んでいればよかったのに、と切に思う。そうしたら、こうして家族の後を追うような真似をせずに済んだのに。最期くらい、仲睦まじい家族でいてもよかったのに。
端から見れば円満で平凡でどこにでもある家庭だった。けれど蓋を開ければどろどろでぐちゃぐちゃで、どうしようもないくらい拗れてねじ曲がっていた。
まず夫婦間。何が原因だったのかは定かではない。ただいつ頃からか、目も合わせなければ話もしなくなり、その結果、父親は外に愛人の一人や二人作って家には寝に帰るだけ、母親は鬱になって子供に暴力は振るうし自傷するしで手がつけられなかった。世間体を気にしていたのか、かろうじて離婚はしない状態だった。
それから、オレの弟。弟はどこの高校(もしかすると大学―――就職先まで将来を見据えていたのかもしれない)を目指していたんだか聞いたこともなかったけれど、取り敢えず一日中勉強勉強で部屋から出てこない奴だった。昔はそうではなかったのに、中学に入ってから弟は変わった。

それでもそんな中身なんか、外から見てわかる訳がない。変な噂が流れなかったのもその所為だし、弟なんかは「勉強熱心な次男」と思われているらしかった。勉強するのは悪いことではないけれど、弟の場合はいくらなんでもやりすぎだったと思う。実際、受験ノイローゼになったあげく第一志望に落ちて自殺未遂。それ以来、弟は引きこもりと化した。

「……どう思ってると思う? オレの、家族は」
「勿論、君に生きてほしいと願っていると思うよ」
だからそんな薄っぺらい言葉はいらないというのに。

―――家を燃やしたのが、オレの母さんでも?」

「な―――あの火事は、放火だったんだろう? 何故君の母親が……」
「あんた、なんか隠してんだろ」
医者の僅かな反応を見逃す程、オレはぬるくない。
「おかしいと思ったんだ。火事が起こったのは、家族四人が寝ている夜。あの日は資源ゴミの日で、確かに朝、新聞紙は捨てた筈なんだよ。オレが学校行く途中に。だから積まれてる訳がないんだ」
「誰かがまた、置いたのかもしれないじゃないか。それに火をつけるなら、どこだって構わないだろう」
「まあそうなんだけど、なんかしっくりこねー。……ほんとにあの火事は、放火だったのか? どうせ死ぬんだ、隠しごとはやめてもらいたいね」
目を逸らしたら負けだと思い、医者を力の限り睨みつける。
「………………」

暫しの沈黙の後、先に口を開いたのは医者だった。

「……詳しいことはわからないよ。ただ警察の方では、そういう見解もあったということだけだ。あの火事は死者まで出た大規模な火災ということで、新聞の一面に載った。ニュースでも流れた。波が引くまで君は眠っていたから、このときのことは知らないだろう。調べたりもしてないんだろう?」
「別に、どうでもよかったし」
「放火という線が強かったから、この火事は放火ということで片づけられた。詳しい調査もせずにね。だからもしかすると君の言うとおりだったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。ただその辺はもう、突き止めることは不可能だ。これでいいか?」
「ありがと。ってか、隠すようなことでもねーじゃん」
「そうか? 割にショックを受けそうなものだが。……君に限ってそれはないな」
「どういう意味だコラ」
「そのままの意味だよ」
ほんとにこいつは、ああ言えばこう言う。
「……んでも、それはあんま関係ないんだよね、オレ的には」
「関係ないとは?」
「いつか皆死ぬんだ、遅かれ早かれ。だから哀しむこともないし、哀れに思われることもない。…………冷たい奴だと思うけどね、自分でも」
家族が死んだというのに、哀しむことができない。葬儀のとき、オレは泣けなかった。最後くらい、と思ったけれど、どうにも涙は零れなかった。
「なんかさ、なんで自分が生きてるんだかわかんないんだよ。だから生きたいとも思えない。なんのために自分が存在しているのか、先生はわかってんの?」
「わからないよ」
早。即答かよ……。少しは考えたりしないのかね、この医者は。
「よく言うじゃないか、人生は自分探しの旅……これはちょっと違うか? まあそんなものだ。私は生きている理由こそ見つけられていないけれど、毎日の中でちょっとした楽しみならある」
「へー。何?」

「君とこうして話すこと」

言葉に一瞬詰まった。本気で言っているなら、ちょっと気恥ずかしい気もする。
「嘘だと思っているのかい? 残念ながら本当なんだよ。だから私の楽しみを奪わないでくれ」
「……ふーん。上手いこと言って、オレに諦めさせないつもりっすね?」
「はは、ばれたか」
「ってオイ!」
もしかするとこいつは嫌味でしかできてないんじゃなかろうか。
「……まあ、冗談はこれくらいにして。気持ち、変わったかい?」

―――きもち。気持ち? そんなの、―――

「じょーだん。生きてても楽しいことなんかひとつもないのに、なんでわざわざ頑張らなきゃいけない訳」
「そうか」
「そうだよ」
少しだけ気が緩み、オレは窓に背を向けたまま、後ろ向きに桟に両肘をつく。医者は呆れ果てたような顔をして、深い溜息を吐いた。それからゆっくりパイプ椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩を進める。
「……?」
「そんなに死にたいのなら」
「ど、どうしたんだよ―――?」





「さっさと死んでしまえばいい」







どん、―――胸を押されて、そのまま。
そのまま、背中から落ち――――――


(あれ―――オレ、このまま死ぬ、の?)






―――ぃやだっ!!」

背筋が凍るかと思うくらいの恐怖がオレを取り巻いて、気がつけば手を伸ばしていた。狡賢い笑みを貼りつけている医者の袖に。
「……死にたいんじゃなかったのかい?」
そうだよ、どうせなら早く、死にたかったんだ。あのときに死んでしまえたらよかったのにと、何度も何度も思った。本当に苦しいと思うなら、身勝手な死を待つより、さっさと自分から死んでしまった方がよかったのに。
―――なのに、

「死にたくない……っ」

下は固いコンクリート。少しだけ冷えた秋風が、オレの頬を撫でていく。
「そうか」
医者はひとつ呟き、オレを一気に引っ張り上げた。心臓がどくどくと忙しなく脈打っている。
「……あんたって、ほんと……意味わっかんねぇ」
「君が天邪鬼すぎるんだよ、エド」
「へー……初耳だな、そりゃ」
医者はもう一度「そうか」と言って、オレの頭をぐしゃりと撫でた。



―――死にたくないなら、生きるしかねーってか。






宵闇に誘われ





070506
なんだこれは……! ええと、実際こんなもん書く予定ではありませんでしたorz

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