はがね――パラレルパラレル。




二年前、三番ホームから実の兄を突き落として殺した。









いつもとなんら変わりのない日常を過ごしていくことに初めは違和感こそ覚えたものの、そんな感情、いつの間にか麻痺していった。たったひとりで住むには十分過ぎる程大きな家ではあったけれど、別に不便ということもない。案外快適だ。


朝起きてご飯を食べたら学校へ行って、放課後には買い物をしてから家に帰ってくる。なんでもない、ただの日常だ。兄がいた頃と大して変わらない。だって兄は、家事はすべて僕に任せてしまう人だったから。

施錠して、兄を殺した駅まで向かう。学校は電車で二駅のところにある。いってきますを言ったって返ってくる訳がないので、兄がいなくなってから僕は何も言わず出ていくようになった。
殺した殺されたなんていう言葉があっさり出てくることを異常だと思う人もいるだろう。いきなり何を言い出すのかと。けれどこれは真実なのだ。人が込み合う構内で、電車がくるタイミングを見計らって僕は、僕は兄の背中を押した。兄は男のくせに華奢な体格であったから、それはほんの少しの力加減でよかった。


「おはよう、アルフォンス」
「あ……おはようございます、ロイさん」
アパートの階段を下りたところで、僕の部屋の真下に住んでいる、ロイさんに声をかけられた。
「いってらっしゃい」
にこにこ笑顔で送り出してくれる彼は、僕が兄を殺したということを知らない。彼だけではない、兄の死は事故として処分されているので、僕以外の誰も知らないのだ。
「いってきます」
僕は笑顔でそれに応えた。ロイさんも笑っていた。奇妙な朝の風景だった。家族を殺した殺人者と一般人が笑顔で朝の挨拶を交わしているなど、奇妙としか言いようがない。けれど傍から見れば僕だって健常な一般人なのだろうから、こう思うのも僕だけなのだ。
そんな状況に、たまにおかしくなりそうになる―――なんてことはまったくない。罪の意識なんて、全然感じられないのだ。それどころかこうして弟の僕が実の兄を殺してしまうことは、まるで最初から決められていたようにさえ思う。
「確かに、異常かもしれないな」
でもよく考えれば、兄を突き飛ばしたのは僕だけれど、兄を轢き殺したのはあの電車だ。あの電車がブレーキをかけてぶつかる前に停車していれば、兄は死なずに済んだのだ。すべてあの電車、もしくは運転手が悪いのだ。―――まさに責任の転嫁、ってやつである。
殺してしまったのは僕で、それ以外ない。どう言い逃れようもないし、言い逃れるつもりもないけれど、僕は決して自白などしないと誓った。そんな誓い、本当は正しくないけれど、僕の人生をここで滅茶苦茶にしてしまう訳にはいかないのだ。
ごめんね、兄さん。



信じられないことに無宗教だったので誰かが亡くなってもどう供養すればいいのかわからなかったけれど、よくよく昔を思い出せば、母が亡くなったときは確か土に埋めた筈だった。僕は僕なりの方法で兄を弔った。棺桶に詰めて、母の墓標の隣に埋めた。花は向日葵。ただ単にそのときの季節が夏だったからだ。


いつもの方向とは逆の切符を買う。今日が兄の命日だった。自分の人生は滅茶苦茶にされたくないと思うくせに兄の人生を断ち切ってしまったことへの罪滅ぼしである。





「あ…………」
遠く目を凝らすと、母と兄の墓前に人が立っているのが見えた。
「……随分、小さくなったな」
そんな感慨を覚えながら、ゆっくり歩いて近づいていく。あと数メートル、というところで彼は僕の存在に初めて気がついた。
「……今日は平日な筈なんだがな」
「学校はこれから行くよ、ていうか久しぶりに会ってそれ?」
―――背中だけではなくて、顔も随分と痩せた父はとても貧相だった。ああ、と頷いて元気だったか、などと訊いてくる。
「お決まりすぎてつまんないなあ」
「……お前はどう言えば満足するんだ」
「さあ。満足なんてしないだろうけど」
満足だなんて、する訳がない。父は浅く溜息を吐いた。
「……墓がひとつ増えているのは?」
「名前見てよ、エドワードって刻まれてるでしょ。兄さんの墓だよ」
「死んだのか?」
「死んでなきゃ墓なんて作らない。結構高かったんだから。お金、後で払ってね」
「お前な、」
「何? 文句でもあるの? 家庭を捨てていったあなたが?」
冷たい口調で切り返せば、つっけんどんな口調はやめなさいと話を逸らされる。
「……もう二年になるよ。兄さんが死んで」
「そんなに、か」
「そんなに。でもあなたの知ってる兄さんは、これからずっと幼いまま成長しない。どうしてもっと……早く帰ってきてくれなかったんだよ」
「俺にも都合というものがあるんだ。わかってほしいなんて言わないが」
「そうだね、言われても困るからね」
「お前……性格歪んだんじゃないか?」
「誰の所為だと思ってるの? 僕ね、今度あなたに会ったら兄さんを真似て、」
―――アルフォンス」
わざわざ人が話しているのに。父は僕の名前を呼び、遮った。
「父さんとは、呼んでくれないのか」
―――り得ない。
「有り得ない! 今更父親ぶるつもり? 家族ごっこがしたいなら他でやってよ。もう母さんも兄さんもいないんだから、どうぞご勝手に!」
憤りを感じるのは正当な筈だ。僕らの父でありながら父親らしいことを何ひとつしなかったくせに、今更父さんと呼べ? 馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しい!
小さい頃、本気で父親はいないのだと思ったときもある。それ程までに、家に父の姿はなかった。放浪癖のあるこの男を母はいつも静かに微笑んで待っていたけれど、こんな男、待つだけの価値があるとは思えない。
「何を言っているんだ。……お前も、家族だろう」
――――――
家族、だって?
「……いつあなたを父親だと、家族だと僕は認めましたか。一緒に過ごして初めて家族なんだよ!」
「違うな」
「どこが!」
「お前が認めようが認めまいが関係ない。血が繋がっているのなら、俺がお前の父親だ。父親は家族とは言わないのか?」
「……っ、滅茶苦茶だ……! あなたと血が繋がっているかと思うとぞっとする! ……思えば兄さんもそうだった。兄さんは確かにあなたと血が繋がっていたよ。あなたと同じように、ときどきすごく兄さんが怖いと思えたもの。すごく遠くに感じられたもの!」
でも僕は、兄が好きだった。本当に好きだったんだ。今感じている父への恐怖と同じものを兄に抱いたことは何度となくあったけれど、それよりやさしい兄の記憶の方がずっと多い。
「……お前は俺が怖いのか?」
「怖いさ。何を考えているのかまるでわからない。いつも遠くを見てる、兄さんもあなたも! 母さんや僕なんか見てないんだ。だから怖い。家族だと、父親だと思いたくない!」
「そうか―――

もう話は終わりだと、僕は父に背を向ける。これ以上何か話していたくなかった。走りたい衝動を抑え、一歩一歩制御して歩を踏み出す。ここで走り去るのは、なんだか逃げているみたいで嫌だった(歩こうが走ろうが、結局は一緒のことなのだけれど)。








「だからエドワードを、?」








父の声は聞こえないふりをした。






冷たく暗い墓の下で眠る昔





070226
ホーエン父ちゃんのキャラが掴めていないということがよくわかると思います。

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