今手を伸ばせば、きっと、彼の手は掴めた筈だった。 「……なー、大佐」 彼の話はいつも突然で、この日も、決して例外ではなく。なんだと、私はいつもどおりの返答をした。 「…………あの、さ」 「……言いたいことがあるなら、はっきり言いたまえ」 「うん……」 うん、と言っておきながら、彼はそれ以上語ることもせず、どかりと執務室に備えつけられているソファに寝転がる。 「……ここは君の家じゃないんだが」 言った後で、少しの後悔。そうだ、彼は家を持たない。謝るにしてもとき既に遅し、オレは家なんか持ってないよ、彼の声は酷く無機質。 「そう、だったな。……すまない」 「ううん、別にいいけどさ」 そうして生まれる静寂の中で、一体何を得ると思うのか、君は。 「オレが、」 「……ああ」 「オレが、さ? もしも、もしもの話、なんだけど」 「なんだ」 「……オレじゃあ、なくなったら」 それまで休めることなく動かしてきた指が、止まる。自分の意思ではなく、反射的に、とでもいうのだろうか。 「……君じゃ、なくなる?」 意図をわかりかね、語尾を上げて問う。 「君じゃなくなるとは、どういうことだ?」 「……まだ、はっきりとは、してないんだけど……」 「それでもいい、話せ」 「……、」 険しくなった私の語調に、何か思うところがあったのだろう。彼はむくりと起き上がり、私に向き直る。目が、合うように。 「代価が、他に思いつかなかったんだ」 ―――そうやって、君はいつも、 「いつも、勝手に決めてしまう」 苦笑してしまうのは、自分の意思、か? 彼もまた、同じように笑う。 「ごめん」 「それは、何に対しての謝罪だ?」 「……いろ、いろ? はは、わかんねーや」 「私もだ」 穏やかにできる状況ではないのだ、それなのに、私たちは。余程の馬鹿とみえる。 「……予定は」 「まだ未定。アルにも、話してない。……大佐が、初めてだ」 「そうか……嬉しさなど、少しも感じていないからな」 「はいはい」 今手を伸ばせば、きっと、彼の手は掴めた筈なのだ。けれど、私は――― 「君の、好きなように生きろ」 「……うん」 「だが、後に残る者の気持ちも、少しは考えろよ」 「―――大佐は」 目は、最後まで、逸らすことなく。 「オレが消えたら、泣いてくれる……?」 それは純粋で、聞くだけで哀しくなるような、そんな、残酷な質疑。 「……いや、」 どう答えれば君のためになるのか、そんなこと考えてもわからなかった。だから、 「泣かない、な」 「そっ、か」 何故私は、彼の手を、掴まなかったのだろう。強く引けばきっと、彼は、ここへ留まってくれただろうのに。 「じゃあ、また」 「ああ、また」 また―――? 今度は、会えるかどうかも、わからないくせに。どうして「また」などと言うのだ、この口は。 「鋼の―――」 もうこの名を呼ぶことはないかもしれない。彼のきんいろも、見ることはないかもしれない。名残惜しそうに背で跳ねるみつ編みを、目で追う。ゆっくりと、扉に飲み込まれていった。 「……泣くと言えば、よかったのか……?」 きっと。きっと私は、心のどこかで、彼の人生に介入してはならないと、思っていたのかもしれない。そんなのとっくに、手遅れだというのに。 さあ、そして。 血みどろの彼と巡り合うのは、もう少し先のこととなるけれど。 (私は果たして、笑っているだろうか、それとも、泣いて、いるだろうか) 闇を背景に、赤をオプショ いつまで経っても答は出なかった。 ンに、僕らは踊る踊る。 070829 久しぶりすぎて予定と逸れたとかえへへ。 |