無差別パラレル浪漫荘(拍手再録)

番外1

「レッツ・外食!」 




「なあ、まじでロイの奢りでいいん?」
和なんだか洋なんだかよくわからない店に入り取り敢えずメニューを見終えたラビが尋ねたのはそれだった。向かいの席のロイはにこりと笑い、勿論と。
「なんでも好きなものを頼みなさい」
―――参ったなあと思う。あと一ヶ月と少しで高校も卒業し社会人として生きていく自分にも、この大家ときたら見事な子供扱いをするなのだから。
「や、でもこいつ、オレより相当食うぜ?」
言って、隣でずっとメニューを抱えて離さないアレンを横目で見遣る。久しぶりの外食であるから、まあ仕方がないかとも思うのだが。
「ふたり分くらいなら持ってきたんだけど」
「そんなことはいいから、今夜は私に奢らせてくれ。私だって、たまには君たちに格好いいところを見せたいんだよ」
こういうところを見ると、本当に大人なのだとぼんやり思う。それは遠慮しようにもできない言い回しではなかろうか。
「気にすんなって。こいつこう見えて結構なブルジョアなんだからさ」
「え、そうなの?」
横から飛び出てきたエドワードの暴露に真っ先に反応したのはアレン。次いでエドワードはあのアパートもただの娯楽だよと言い出した。
「娯楽、ねえ……管理とか大変なんじゃねーの」
「いいや? そうでもないよ。君たちにも会えたし、あれを建ててよかったと本当に思っている」
「……よくそんなくっせえ台詞が言えるよな」
「勿論君もだよ、鋼の」
「へーへー」
それよりさあとエドワードはアレンの右隣にちゃっかり落ち着いてしまっている神田に目をやった。というよりも睨んだという表現の方がこの場合的確だろうが。
「なんでお前がここにいんの」
「年上に向かってお前はねえだろが」
「しょっちゅう家賃滞納する奴なんかお前で十分だ」
「まあまあ、彼だって毎日バイト三昧で大変なんだよ。たまにはいいだろう」
「ロイはやさしすぎだ! そんな甘いこと言っといて、益々つけ上がっても知らねーぞ」
「大丈夫だよ。彼もちゃんとわかっているんだから」
相変わらず神田にだけ牙を剥くエドワードだったがやんわりとロイが窘めている内に店員がやってきてオーダーをとっていく。
「オレB定」とラビ。
本当に好きなだけ食べていいんですよね、と小声で確認したのち「じゃあこのメニューの上から下まで。えーと、……あれ、150グラムが最高ですか? じゃあそれで」とアレン。
「私は白魚と茸のムニエルにクレソンのサラダ、あと紅茶を」とロイ。
「んじゃオレもそのなんとかムニエルとー、ビッグカツカレーとー、カットステーキの150とー、和風ハンバーグセットとー、……そんなもんかな」とエドワード。
メニューもろくに見ず「蕎麦」とただ一言口にしたのは無論神田である。
「ばっか目薬でも注してよく見やがれ! こんなとこに蕎麦なんてあるわ」
「ございますよ?」
「け……まじ?」
不躾な注文だと神田を除く全員が思ったからのエドワードの注釈だったのだが、どうやらここの店員にとっては違ったらしい。
「当店には裏メニューというものがございまして、こちらの蕎麦は味、香といった品質が最高級のものを使用しております。なんといっても蕎麦粉にこだわっておりまして、北は」
「すいませんナポリタンもひとつー」
放っておけばその裏蕎麦とやらを存分に語られそうな気がしたので、ラビはロイに少し申し訳ないと思いつつも追加注文をした。
「てかロイ、そんだけしか食わねぇんさ?」
「随分少食ですよね、ロイさんて」
ああいや私は、と続くロイの弁解をエドワードがこいつ間食大魔王だからと遮った。
「ここくる前もひとりでなんか食ってたぜ? 全然少食なんかじゃねーよ。な」
「それにしたって間食大魔王はないだろう。いやまあ、否定はできないんだが……ああ、以上です」
危うく完全に忘れ去られるところだった店員は暫く待っていろという旨を言い残し戻っていった。
「気づかんかったなあ」
「ほんとに」
「こいつはオレたちのいない間に隠れて食べてるからな」
「だって格好悪いだろう、子供みたいで」
「そう思うんならやめろよ……」
「人は見かけによらないんですねえ。ていうか、実はセレブリティ、て。すご」
「そういやロイのスーツ、皆アルマニーだもんな。前クリーニング出しに行くとき発見して、まじくそびびったもん。オオオオレ落としたらどうしよう! みたいな」
「別に落としたって構わないんだが」
へーと感嘆するアレンだがアルマニーがなんたるかはおそらくというか絶対わかっていないだろうと思う。ラビはアレンが成人した際には有名ブランドの一着や二着くらい買ってやらねばと人知れず決意したのだった、というのはひとまず置いておいて。
店員に注文していくらか経った頃アレンはラビの分の水まで奪いつつぼやき始めた。
「それにしてもおっそいですねえー。お腹と背中がくっつきそう」
「あれじゃね、牛捕まえに行ってるとか」
「捕まえたら今度、肉切る時間もプラスされんなー、ってそんなに待ってらんねえぇえええ!」
「っせえなこの豆くそ」
「てめえにだけは言われたかねえよ!! いや誰にだって言われたかねえけど!」
いつものお返しだとばかりにエドワードを糾弾したのは蕎麦注文以来口を閉ざしていた神田だった。負けじと、というよりも神田に言われたのが存外気に喰わなかったようでエドワードは身を乗り出して噛みつかんばかりの勢いである。
「もーふたり共。大人げないですよ」
見兼ねてアレンが口を挟めば、
「だって高校生だもんまだ大人じゃねーもん」
「だって高校生だもんまだ成人してねーもん」
とかいう大変子供染みた言い訳が返ってきた。
「オレの口調真似んなよ……! 激さぶ!」
「うるせえ」
「……オレ絶対こいつとは相入れねえ……!」
「それは俺もだ。ったく、ちっせえことばっか気にしやがって」
「ちっせえ言うんじゃねー――――――!!」
「……鋼の、さすがに店内で声を張るのは……」
そこで言わなければいいのに小声で馬鹿と言った神田をエドワードはいつか必ず殺してやるとでも言っているかのような(ような、ではないかもしれない)顔で睨みつけた。
そうこうしている内にテーブルの上は次から次へと運ばれてくる料理で埋め尽くされていき、それから暫くは何気ない談笑で食は進んでいったのだが。白魚と茸のムニエルを食べ終わったロイが唐突に、
「ああいう風に―――派手な装飾も無価値な設備もない、素っ気ないアパートをつくることが私の夢でありロマンであり、だからあれは浪漫荘と言うんだが、」
などと切り出したものだから全員が、勿論ロイを除く全員が「―――は?」と。
「ちょ、ちょっとロイ産……?」
「むしろ私はマスタング産なんだが……」
以前にもあったようなやり取りだがアレンが唖然とするのも当たり前だろう。アレンとエドワードのふたりは浪漫荘の由来を聞き出すべくメイドさんにまでなったという男子高校生としては屈辱的すぎる過去があるのだから(しかしロイからはそこまでしても聞き出すことができなかった訳でいつしかふたりはその話題に触れなくなっていた)。
「こ……んなとこで、そんな、あっさり、」
「いや、そういえばすっかり忘れていてね。危うく君たちとの約束を破ってしまうところだった」
「ろ、ろい……」
堪らず脱力するエドワードの目には何やら涙が。アレンもがっくりと肩を落としすっかり俯いてしまう。
「あ……あー、ロイ、は長男なん?」
見かねたラビが口を挟む。ロイは一言そうだよと肯定した。
「本来なら私が家業を継がなければならないんだがね……小さい頃から、ああいうそまゲフンゴフン、ああいう質素な家に住んでみたくて」
「粗末から質素に言い直す意味がわかんねえぞおい」
思わずエドワードが突っ込む。しかしラビやアレンにしてみれば幼き日に過ごした施設よりも余程立派なものに見えるのだが。さすがセレブリティと口笛でも吹きたくなるような言い分だった。
「反対とかされなかったんですか?」
「されたとも。だから無理矢理あのアパートを建てて、家出したんだ」
「家出って……ロイさん以外と突拍子もないことする人だったんですね」
「ちょっと待てアレン、そこじゃなくて、まずロイにそんな大金動かす力があったってことを突っ込め」
「だってラビ、ロイさんはなんちゃってセレブリティですよ」
「ロイは本物だし、ってかそれよりなんちゃってセレブリティておま」
「間違えた、だってラビ、ロイさんはなんたってセレブリティですよ!?」
「これがテイクツーとばかりに最初から言い直すなよ。そして力を入れるなよ」
「いいんだよラビ、確かに今は『なんちゃって』、だから」
アレンに割と失礼なことを言われたくせに怒るどころかにこやかに笑む大人。自分はその絶対的な境界線を越えることはできないかもしれないなとラビは少しだけ落ち込んだ。
「さて、君の疑問からだが。私はね、昔株に手を出したことがあったんだ」
「へえ」
「元金は、残念ながら親からの小遣いだったんだが……まあ、それで」
「一攫千金!? 知らなかった、ロイさんて顔だけじゃないんですね!」
オイ、とラビは反射的に突っ込みを入れてしまう。
「ぶはは、『顔だけじゃないんですね!』だって! ぶは!」
わざわざアレンの口調を真似、吹き出すエドワード。さて当の本人はとラビがロイを見遣る、と。
「ふ、もっと言ってくれたまえ!」
グラスを持ちわざわざ立ち上がってポーズを取りだした。
「きゃーロイさん素敵ー!」
「『きゃーロイさん素敵ー!』だって! ぶは!」
「はっは、今夜は無礼講だ! さあ君たちも好きなだけ飲んでくれたまえ!」
「……ロイ……」
なんてこった。ラビはついに頭を抱え込みたくなった。唯一ましな人間かと思ったロイが、まさかこんな一面を持っていようとは。
自分が「ましな人間」だと思ったことは十八年間生きてきて一度だってない。だってそうだろう、自分は生まれた直後駅構内のコインロッカーに置き去りにされていたのだ。そんな過去からしてまず普通ではないしそうやって捨てられたのだって自分に何か原因があったからに違いないのだ。例えば生まれてすぐ宇宙語を喋ったとか、青色の血を流したとか、……そんなものしか浮かばないが両親の方に何か問題があったとはどうしても考えられない。
しかし、そうか。もう十八―――十九に、なるのか。あのひやりとしたロッカーに置き去りにされて。
「難しい顔をしているよ」
「へ?」
「眉」
そう指摘されたと思ったらロイは腕を伸ばしテーブルを挟んで真向かいに座るラビの眉間を親指で触れる。やさしく、ほぐすように。
「また何か考え込んでいたのかい?」
「や、別に……」
「酒はいい」
「は?」
今度は何を言い出すのかとラビが目を見張るとロイはにこりと笑んだ口元のままほぐれた眉間から手を離した。
「言わなかったかな、今夜は無礼講だよ」
空のグラスに並々と注がれる赤い液体。
「あれ、ボトルなんか頼んでたんさ」
いつの間に。
「酒はいいよ、気分が浮上する。そうしたら多分前向きに考えられるし、君の悩みがいかにくだらないことか気がつくだろう」
君が浮上型か沈下型かわからないけどねと最後にロイは言わなくてもいいことをつけ足した。
「あんた……どこまで知ってんの?」
「うん? 何も?」
「……っく。すげ、知らないくせにくだらないとか、ははっ! ロイさいこー」
「ふはは、褒められるのはやはり気分がいいな!」
「ついでにオレの悩み聞いてくれる?」
ラビはまだ未成年で飲酒は法律で禁止されている年頃ではあったが葡萄の甘い香のするワインを一気に飲み干した。急性アルコール中毒がという言葉が脳裏に過ぎったが、多分死なない、多分大丈夫、そんな根拠のない自信があった。
「オレってなんでこんなちっせえんだろって、ずっと思ってたんさ」
「小さい?」
「そう。ロイとオレを比べて、でも比べるべくもなくて、落ち込んでたの。―――アレン、オレは頼りないだろ?」
「そんなことありません」
気弱なラビに同情した様子でもなさそうだ。アレンははっきりと言った。
「小さい頃からずっと一緒だった。僕はラビがいなかったら、多分あそこで、死んでたと思います」
「……話が穏やかじゃねーなあ。つーかさ、ラビ? お前ほんとそれくだらない悩みだって」
エドワードはオレンジジュースが終わって底に残った氷まで噛み砕いている。
「誰かと比べようとすること自体間違い。つかロイかよ、ロイでいいのかよ」
「どういう意味だ鋼の」
「そのまんまの意味ですよ大家」
「……ロイはすげーと思うよ、実際。一攫千金とかもそうだけど、ちゃんと自立してんじゃんさ。頼りがいのある大人で、オレ尊敬してるよ」
「ありがたいね、それは。だけど君はまだ成人してもいない。子供は大人に甘えてれば、それでいいと思うよ」
「それじゃ駄目さー……オレは、見返してやりてえの。ひとりでも生きていけるってこと、証明してやりてえの」
誰に、とは言わなかった。
「そのためには、ロイみたいに、」
「お前馬鹿か?」
―――突然割り込んできたのはそれまですっかり忘れ去られていたであろう神田だった。
「あ、そういえばいたんだっけ」
エドワードの心にもない一言にも反応しない。珍しい。
「ろくに力も持っていないくせに、でかい口叩いてんじゃねえよ」
「、ユウ」
「気持ちだけ先走って空回りして、正直こっちが恥ずい」
「ちょっと神田、そんな言い方ないじゃないですか! 僕にしてみればキミの前髪のパッツン具合の方が恥ずかしいですよ」
「るっせ! パッツンに文句つけんな毛虱!」
「ケジラミ……?」
不穏当な空気が流れ出したと思ったら、アレンは本当に物騒なものを握り締めた。思わずラビもアレンの腕を掴む。
「ちょ、アレンそれフォーク! フォーク!」
「放してください。男には決着をつけなければならないときがあるんです」
「それが今でないことを切に願う! 頼むから落ち着いてくれ、今はオレの話を聞いてほしいんだから」
「…………ちっ」
話を聞いてくれたのがいいがこの子こんなに柄悪かったかしらとラビは首を捻る。しかし今はそんなことよりも。
「うーん、ユウの言うとおりなんだけどね。でもそういう風に、考えられねえんさオレは」
「……不器用?」
エドワードが尋ねる。ラビは空になったグラスを握り締め目を閉じた。
「……わかんね。ただ馬鹿なだけかも。あっ、ごめんな暗くしちゃって!」
「気にすんなよ、別に暗くなった訳じゃねーし。ちょっと真剣になってただけだよ」
「ちょっとかい」
「まあ、今すぐに解決できなくても……もう君はひとりじゃないから」
「え?」
ロイの手から赤ワインを引っ手繰りエドワードは了承も得ずにどぼどぼとラビの握るグラスへ注いだ。あまりにも勢いがよすぎて飛沫が上がりテーブルクロスに赤っぽい染みができる。
「家族、だろ?」
エドワードがにやりと笑うのと同時に脇から小突かれる。見ればアレンはにへらと笑んで珍しくその隣の神田も地味に笑っているようだった。
「浪漫荘家訓そのいーち!」
「え、ロイ? 家訓て何!?」
いつの間にやらアパートメント浪漫荘自体が家に。
「ロマンは共有すべし、住人は支え合うべし」
「ロマンはいるのか?」
さして特別なことでもなさそうにエドワードが冷静な一言を述べる。
「なんとなく語呂がいいので」
「なんとなくかい。いや、……そっ、か」
なんのことはない。今まで気づいていなかったことを言葉にしてもらって初めて本質を理解できただけだ。家族の意味。あの頃とは決定的に違うもの。昔持つことができなかったもの。
「あんがと」
今はまだ納得のいく答を見出せないがそれだって今必要なことだから。
取り敢えず恥ずかしい雰囲気ではあったが、ラビはそれより先に決して酒の所為ではなく赤らむ頬をなんとかしなければならなかった。



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